2016年2月9日火曜日

年間第5主日

先週末から雪祭りが開催され、今年も大勢の外国人旅行者が来札されているようです。
ニュースでは旅行者、特に中国からの旅行者のスタイルが「モノからコト」に変わってきていると流れていました。ツアーから個人旅行へ、爆買から体験に変化しているそうです。
比較は適切ではありませんが、私たちの教会も変化の過程にあります。札幌教区が大きく変わろうとしている時に、私たちの教会だけが現状維持に汲々とする様な事が無い様にしっかりと「変化」を時のしるしとして進んで行きたいものです。


<後藤神父様の説教概要>
今日のみ言葉は「自分を頼みとして自己中心に生きて罪をおかした者も、神のいつくしみとみ言葉で救われる人は幸い」と語られています。そしてペトロの召し出しの話に繋がって行きます。イエスの言葉を受け入れ難いペトロと、言葉に従ったペトロが語られます。群衆はイエスから神の言葉を聞こうとして押し寄せますが、ペトロはどんな態度をとっていたと思いますか?
今日の福音に至る前の聖書では、ペトロの姑が熱を出している話があります。人々はペトロの姑が熱を出している事を知りイエスを招き入れます。イエスが不思議な出来事を行った時、ある人々は拒絶しましたが、ある人々は驚いてイエスに付き従いました。ペトロはどの様にその出来事を見ていたのでしょうか?今日の福音では、ペトロは漁師としての経験を十分に積んだ自分の生き方に拘っています。魚が一杯になり網が破れそうになった時、自分を思い、自分の心に気づき「罪を犯しました」と告白します。イエスは「あなたを、人間を繋ぐものにしよう」と招き入れます。今日の話は単純ですが人の心の機微が豊かに想像できます。私たちにも同じような事があるのではないでしょうか?イエスの御言葉は人智を超えた神の力を私たちに示します。その力に触れたとき、私たちの信仰はまた変わるように思います。私たちが心を頑なにしているならば、そうした瞬間があっても気がつかずに過ぎて行きます。ペトロを神の前に恐れ慄かせた現実、その瞬間からペトロは大きく変えられました。
私たちはどんな信仰を生きているでしょうか?どの様な形でみ言葉を大切にしているでしょうか?素直な気持ちみ言葉を受け入れ、み言葉に生きていますか?み言葉を信じ、み言葉に従う事によって私たちは神に触れることができ、私たちの信仰生活は更に新しくなります。
神の力を知らず、神の言葉を聞いても頭だけで考えていては心も変わりようがありません。
第1朗読で、天使が「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と賛美しているように、私たちも心からみ言葉に賛美を奉げたいと思います。