『今日告げられたみ言葉は、72人を任命し福音宣教に派遣されるという出来事が私たちに語られました。
すでに12人の弟子を「神の国を宣べ伝え、人を癒すために派遣する」にあたり、その心構えについては、既に9章で語られていたイエスでしたが、今日ルカの福音だけが伝える異教徒への宣教における72人の弟子たちの派遣に際しての心構えについてもほとんど変わりません。たとえば「物質的な貧しさ」や「与えられたもので満足すること」、「足についたちりを払うこと」などは同じような大切な心掛けです。
刈り入れについては、教会の使命を示唆しているようですが、本当に豊かな収穫をするためには、十分な働き人が必要であると述べています。しかし、「収穫は多いが、働き手が少ない。だから収穫のために働く手を送ってくださるように収穫の主に願いなさい。」と言われているのです。
先週、札幌教区の「全道司祭大会」が開催されました。教区の100周年を迎える中、教会が抱える問題として少子化に伴う信徒の減少、高齢化による司祭の減少がありますし、人事面ではかつてはどの教会にも司祭が任命されていましたが、現実は司祭不在の教会が増えていて適正配置の問題があります。財政問題では教会の補修や改修があると在籍する信者だけでは負担が大き過ぎるという問題、さらに礼文、夕張、中司悦など小教区の閉鎖が続いています。そのような現状を踏まえ、札幌教区、そして小教区の将来について具体的に考えるために意見が交わされました。
現在、教区司祭と教区以外のフランシスコ会、パリミッション会、メリノール、マリア会、トラピスト、ラ・サール会の司祭を含めた札幌教区で働く司祭の平均年齢は71歳です。札幌教区司祭だけでは67歳、他教区の司祭平均年齢の47歳と比較すると高齢化が顕著です。
今日のみ言葉では、弟子が72人任命されて派遣され宣教に遣わされて働き手が少ないという話がありますが、「全道司祭大会」でも現実を直視すると問題は今も昔も変わらないのです。イエス様の当時は収穫が多いのに、今はその収穫も思うようにならないという厳しい現実があります。
「収穫が多いが、働く人は少ない。だから祈りなさい、願いなさい」
教会が、信徒一人一人が、福音宣教を叫ぶとき、もう一度、真剣になって、私たちの心を見つめて願い・祈るという点検をしてみたいものです。』