ミサの後、聖堂で、ボーイスカウト26団の子供たちによるマザーテレサをテーマにした聖劇が行われました。この日のために一生懸命練習を積んだとのことです。
マザーテレサの無償の愛の姿が伝わって来るような、大変素晴らしい出来栄えに、
鑑賞した皆さんから、たくさんの温かい拍手がありました。
この日の後藤神父様のお説教をご紹介します。
『冬至を過ぎてからは、日暮れが少しずつ遅くなって、春が近づいてゆくのですが、北海道はこの季節が一番寒い季節となっています。この冬は「大寒」を前にして、雪も寒さも記録的ですから、一歩、家から出るにしても緊張があり健康維持も大変になります。
昨日から始まったセンター試験も、受験生たちが試験の前から会場に着くまで緊張を強いられているようで気の毒でした。今朝の新聞でも「道内は今日から大荒れ」と大きな見出しが出ていました。
今日のミサ後に、ボーイスカウトの子供たちによるマザーテレサをテーマにした聖劇が発表されます。昨日も寒い聖堂で一生懸命練習していました。是非見てあげて、温かい拍手を送ってあげてください。
さて、これまで白い祭服を着てミサをしていましたが、今日から色が緑に変わりました。何故だかわかりましたか?先週「主の公現」の日曜日が終わり、翌日の「主の洗礼」を迎え平日から年間の季節に入ったのです。3月1日の「灰の水曜日」から始まる「四旬節」まで年間の季節となります。
今年はA年ですから、日曜日ごとに「マタイの福音」のみ言葉をとおして、キリストの生涯と宣教の様子が語られますが、年間の第2主日の今日だけは、決まってABC年ともにヨハネの福音の最初の部分、イエスの洗礼の出来事が朗読され、イエスが宣教活動に乗り出す場面が語られます。
今日のみ言葉を黙想してみましょう。第一朗読 イザヤ予言書の印象的なみ言葉は、最初の「あなたはわたしの僕、あなたによってわたしの輝きは現れる」であり、すでに主の公現、主の洗礼の出来事につながっているように思えます。また「わたしはあなたを国々の光とし、わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする」とイザヤの予言は「救いの到来」を告げていますが、これこそ救い主イエスの到来と一致するのです。
イザヤは旧約の時代、紀元前745年~695年の時代に生きて活躍した予言者です。紀元前722年、当時の北王国であったイスラエルが滅び、南のユダ王国が残りました。イザヤも信仰の民も、苦しみの時が過ぎると神の民には輝かしい未来が到来すると、神の約束を信じていました。しかし、その時代は、政治的腐敗と圧政、道徳的堕落がはびこっていました。青年であったイザヤは民の偶像崇拝に心を悩ませると同時に、神の救いを保証する使命に燃えていたようです。若き予言者イザヤの心にその熱き信仰と使命を考えながら耳を傾けるなら、聖書の一節一節、一言一言にも思いが伝わって来るようです。
答唱詩編では「わたしはせつに神を呼び求め、神は耳を傾けてわたしの叫びを聞き入れられた」と歌うとき、イザヤの切なる願いが感謝の歌、賛美の歌となります。
そこから、福音のみ言葉を味わうならば、イエスの到来、イエスの洗礼の現実は、全能の父である神の計画に圧倒される思いになり、イエスに託されたすべての人々に対する救いの使命は、私たちの願い、祈りでなければならないと強く思わされます。
洗礼者ヨハネは、自分の使命を「道を整える者に過ぎない」と述べていましたが、イエスに洗礼を授け、真理について証する者となりました。主である神は、洗礼の恵みを受けたわたしたち一人一人にもイエスを証する者となるように願っているのではないでしょうか。
最初、「わたしはこの方を知らなかった」とヨハネは述べていますが、日曜日ごとに「信仰宣言」をするわたしたちは、神の子であるイエスを証するように、すでに招かれているのです。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と、ヨハネはイエスを指し示しています。小羊は苦しみの僕として、イエスの姿を示すいけにえの小羊です。
人類全体を、そしてわたしたち一人一人を救うために十字架にのぼられた尊いいけにえ 神の子イエスの姿なのです。イエスの歩まれた道を歩むために、「神の小羊」であるイエスを深く黙想して宣教のためにも祈りましょう。
力が足りないというのなら聖霊の助けを祈りながら、語り伝えることが宣教につながっていくことだと思います。』