2017年1月29日日曜日

年間第4主日 - 佐藤謙一神父様 北一条教会初ミサ - 後藤神父様 霊名記念 - 

今日の主日ミサは、昨年4月に司祭叙階された佐藤謙一神父様の当教会での初ミサでした。
叙階されてから10ヶ月を迎え、現在、月寒教会で助任司祭を務められている御多忙の中、主日ミサを司式くださいました。


また併せて、この日は当教会の主任司祭 後藤神父様の霊名「聖ヨハネ・ボスコ司祭」記念日(1月31日)をお祝いしました。
両神父様へは、日頃への感謝を込めて、ささやかな記念品がお贈りされました。




この日の佐藤神父様のお説教をご紹介します。


『司祭に叙階されてから、もう10か月目になります。
司祭叙階記念カードを今一度見てみると、「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」というルカ福音書の言葉を取っていました。
なぜこの言葉を選んだのかというと、今は泣いているが、慰められて、笑うようになるという積極的な意味が込められているからだと思ったからです。
今日のマタイによる福音でも同じようなことが言われています。
「悲しむ人は幸いである、その人たちは慰められる」。
ルカ福音書ではさらに「笑うようになる」と言われています。
神は慰めてくれるが、さらに自分は笑うようになるともう一歩先の段階まで行くことを示しています。
それで選んだのです。
いろいろなことでわたしたちは悲しんだり泣いたりします。
しかし、イエスがいつもそばにいてくれるということが分かると、慰められ、そして笑うようになるのだということです。
わたし自身両親の死をきっかけに司祭召命の道を歩み始めましたが、わたしと同じように司祭叙階記念カードの言葉のように皆さんがなってくれたらと思います。
「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」。

ところで、今日の福音の「真福八端」と呼ばれる個所は、信徒としてのあり方を問う個所として取り上げられることがあります。
倫理的な基準として考えられることがあります。
しかしそうしなければならないと考えるよりも、そうされてしまった人々に対して神がどう見ているかと考えるべきだと思います。
ここでイエスが語ったことばは、目の前にいる弟子たちに向けて語った祝福の言葉です。
いろいろな悩みや病気、問題を抱えてきた群衆に向かって語った言葉です。
「貧しい人」「悲しむ人」「飢え渇く人」がなぜ幸いなのか。
それは「天の国はあなた がたのもの」だからです。
「国」はギリシア語で「支配」という意味や「王であること、王となること」を意味します。
神は決してあなたがたを見捨 ててはいない、神が王となってあなたがたを救ってくださる、だから幸いなのだというのです。
 「満たされる」とか「慰められる」のは神によってという言葉が付け加えられれば、よりわかりやすいと思います。
つまりこれこそ、わたしたち自身に向けられた「福音=よい知らせ」なのです。

福音の最後に「喜びなさい。大いに喜びなさい」とあります。
わたしたちはこの福音を聞いたときに、喜びに満ちあふれて生きていかなければならないのです。
8つの幸いのうちの、後半の4つは、貧しいだけでなく、その中でもっと前向きに生き ようとする人々の姿を表しています。
それは「憐れみ深い」「心の清い」「平和を実現す る」「義のために迫害される」という生き方です
そういう生き方をわたしたちができるかということが問われていると思います。
そういう生き方を通して、イエスのために「ののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき」わたしたちは神に祝福されるのです。
来週、ユスト高山右近が列福されます。
彼の生き方を通して今日の「真福八端」を見つめるのもよい信仰の振り返りとなると思います。
キリストの十字架の道のりはまさにこの「しんぷくはったん」を表しています。
キリストの十字架を背負ってどう生きていくかということがこの8つの幸いの中に込められています。
わたしたちの人生の歩みをこの8つの幸いという祝福の言葉に当てはめて考えてみるのもよい信仰の振り返りになるのではないでしょうか。』


御ミサの後、場所をカテドラルホールに移して、主日初ミサと霊名記念の祝賀会を行いました。