2019年4月20日土曜日

聖土曜日 復活徹夜祭

4月20日(土)午後6:30から、後藤神父様、地主司教様の共同司式により「復活徹夜祭」が行われました。


復活徹夜祭は、「光の祭儀」、「ことばの祭儀」、「洗礼の典礼」、「感謝の典礼」の4部からなり2時間以上にも及ぶ、一年の典礼のうち、最も盛大で、中心的な祭儀です。

「光の祭儀」
会衆は聖堂に隣接されたカテドラルホールに集まりました。
最初に、復活されたキリストのシンボルである「ローソクの祝福」が行われました。
司祭により祝福された火は「復活のローソク」にともされ、そこから信徒の持つローソクへと移されました。


一同は聖堂へと移動し、高らかに「復活の賛歌」が唄われました。







「洗礼の儀」では、新たに5名の方々が洗礼の恵みを受けました。


この日の後藤神父様のお説教をご紹介します。

『長い四旬節の旅が終わり、喜びあふれる復活祭へと辿り着きました。 終点に辿り着いたようでもありますが、信仰の世界では終わりは始まりと よく言われています。復活は新しいスタートでもあり主イエスの復活の喜びと希望を胸に歩み出したいものです。この一週間は、復活祭の今日を迎える忙しい日々でした。
聖週間を迎え、札幌教区で働く司祭たちが集まり「洗礼志願者の油」「病者の油」聖なる香油」が造られる祝福祝別の聖香油ミサがあり、木曜日から始まった聖なる三日間は、弟子たちの足を洗ったイエスの姿を思い起こす「主の晩さんのミサ」に始まりました。昨日の聖金曜日は、ミサとは違う雰囲気の中、どの御像も紫の布で覆われたまま祭壇の飾りも取り除かれたまま、イエスの受難と十字架の死を忍びながら、沈黙のうちに厳かな夜を過ごしました。
主の受難、十字架の奉献・キリストの犠牲にあわせて「わたしたちも 犠牲を捧げます」という神の子として謙虚な心で信仰に立ち帰る日々が求められた長い四旬節が終わりました。
「光の祭儀」で始まり、復活賛歌が歌われる今日の徹夜祭は「すべての聖なる徹夜祭の母」と聖アウグスチヌスが言うように、古来の教会の伝統やその重要性においても、また典礼の美しさにおいても最高峰にあるのが今日の徹夜祭といえるでしょう。
神のことばの朗読は、九つの朗読があり本来、復活徹夜祭の本質的な部 分でありますが、司牧的理由で数を少なくしています。神が人類の歴史と啓示をとおして、どのように神の民を救ったかは旧約聖書の朗読で語られ、時が満ちて新約の時代にはいると、神の子を救い主としてどのようにお遣わしになったかを黙想するようにみことばは告げられていました。
ルカの福音では、イエスの遺体を墓に納めたものの、律法の規定で安息日を迎えて何もできないままでいたこと。マリアの他、イエスと親しい人たちはイエスのことを気にしながら、自分たちも殺されるかも知れないという不安の中で三日間を過ごしていたのです。時にやさしく、弱々しく見える女性ですが男性よりも強くたくましく力を発揮する姿は、聖書の中でも語られています。
誰より先に墓に駆けつけたのは、弟子たちにも負けずイエスを慕い、イエスを愛する人びとでした。深い悲しみの中にあっても、暗闇に放り出されたようなときであっても、愛すること、愛の力が新しい力、大きな力を発揮するのです。
愛こそ、キリストによって与えられた光であり、揺るぎない希望であり信仰そのものでもあります。現代の不安の中でわたしたちが最も必要としている大切なものでもあります。
わたしたちも主の復活を祝いながら、聖なる婦人たちや弟子たちのように希望を持って新しい信仰生活にむかって歩みましょう。 この後、洗礼式がありますが、新しい仲間を教会の共同体に迎えて、一人ひとりが隣人と共に歌うアレルヤの喜びの声がいつまでも心の中に響きますように。また、春の司祭の異動で宣教司牧体制も少なからず変化することと思います。新しい心で互いに祈りましょう。』