今日の主日ミサは、フランシスコ会のルカ神父様による司式でした。
北一条教会では2回目の司式となり、自己紹介を交えたお説教でした。
ルカ神父様は、28歳の頃イタリアから来日され、主に道東方面の教会で司牧されていました。山登りが大好きで、最近では体力維持のため藻岩山に通っているそうです。
この日のルカ神父様のお説教の大要をご紹介します。
『札幌は2回目の勤務になります。1回目は1999年から2002年の3年間、片田舎の道東地区から都会である札幌です。札幌に行きなさいと言われたときは、崖から飛び降りるような気持ちだったのです。無事に3年間終わって、また釧路に戻りました。それから9年、また2011年に札幌に来たのです。自分が決めるとか、そこへ行きたいとか、そういう気持ちであれば悩むのはわたしだけですが、そうならないようにと、それは神様のみ旨だと言えば安心できるのです。どんなことが起きても神様のせいです。自分が決めていれば自分のせいです。心の平和を得たいなら、自分の意思ではなくて、神様のみ旨であればと、何回も経験したのです。
札幌は好きです。山が近いから好きです。山が好きなのです。毎週月曜日に藻岩山に登ります。それが唯一の運動です。慈恵会病院の登山口が一番登りやすい。山頂まで1時間15分程です。森の中に入ると街の音が聞こえなくなり、本当に静かです。この夏は。1回だけでしたが、ウグイスの鳴き声を聞きました。初めて聞きました。降りるのは5分。ロープウェイです。膝に負担がかかるから。
どうして登るのか。今日の第一朗読で、モーセも丘の頂に登りました。祈るためです。私も登りながらロザリオを唱えます。それと、たくさんの人に会えるのです。朝、早くに登っている人たちは、私が登る頃に降りてきて出会います。ですから立ち話を良くするのです。友達がたくさん出来ました。「お国はどちらですか?」と必ず聞かれます。私は「神の国」から来ていますと言うのです。とにかく福音宣教になるのです。教会の中にいれば誰も来ないです。そこは1時間ちょっとですが、たくさんの人と出会うのです。時々、登るのに2時間になる場合もあるのです。素晴らしい福音宣教の場になるのです。たいてい自然が好きな人は心がきれいです。暗い顔をしていないです。明るい顔です。自然に近づけば近づくほど、神様に近づくのです。神様の業です。
札幌と石狩の境に大きな病院があります。そこの病院に2ヶ月前に亡くなった小樽教会のSさんがいました。45年ほど前に釧路にもご夫婦で2、3年いました。古い信者さんでご主人は先に天に召されました。熱心な信者で、良く病院にご聖体をもっていきました。前もって連絡するのではないのですが、病室に行くといつもロザリオを手にしていました。そして笑顔でした。4人部屋ですが、入口に立つと「おー神父様」と待ってましたと喜ぶのです。彼女は94歳でした。96歳で亡くなりました。最後まで笑顔を絶やさなかった。祈り、ロザリオで時間をいっぱい生きるために。時間を過ごすためでなく、時間を満たすため。いつも相手は神様です。(4人部屋で)ぼけてる人が多いのですが、相手がいないのです。祈らないのです。挨拶もしない。感情だけ。彼女はめがねをかけないで字の小さい本を読んでいました。今は天国です。
いろいろ話しましたが、何か糧になれば良いと思います。』