2020年6月14日日曜日

キリストの聖体(祭)

今日から人数制限(50名)を設けての公開ミサが始まりました。
主日ミサの公開は約3ヶ月ぶりになります。



とは言っても、感染が終息していない状況ですので、参加に当たりましては引き続き予防対策の遵守をお願い致します。

【ミサ参加に当たってのお願い】

  • 聖堂内は、50名の入堂制限を設けています。誠に恐れ入りますが当面の間、他教会の方、対象地区以外の方の参加はご遠慮いただいております。
  • 体調のすぐれない方は、参加をお控えください。
  • 司祭も信徒も全員マスクを着用していただきます。
  • ホールでは手指の殺菌を行ってください。
  • 参加者には、名前と電話番号を記入した用紙を提出いただきます。
  • ミサ中は、司祭、先唱者、答唱者、朗読者以外の方は、声を出さない(心の中で唱える)ようにお願いしています。
  • 奉納は行いません。
  • 聖体拝領時は2m以上の間隔を空けて並んでもらいます。
  • 聖体は「アーメン」と心の中で唱えて拝領して下さい。

この日のミサは、森田神父様の司式により行われました。



森田神父様のお説教

『ヨハネ6章ではイエスがご自分の体を食物として私たちに与える箇所が読まれています。イエスが救い主として神のみ言葉を語ってくださるだけでもありがたいのに、また私たちと同じように人となり、辛苦を共にしてくださるだけでもありがたいのに、その上、ご自分の体までも与えようとしてくださいます。

「私は天から降ったパンである」とはいろいろな解釈があり、ユダヤ人たちは「みことばを食べる」という考え方を知っていました。だからイエスが「パン」と言ったり、これを「食べる」というとき、ユダヤ人たちはイエスのみ言葉を聞いて行うことのことだろうか、と考えたでしょう。
しかしイエス様が言いたいことをはっきりさせるために「からだ」ではなく「肉」という言葉を使ったとき、イエスがご自分の肉を食べさせることを言っているのだと解釈せざるをえませんでした。「どうしてこの人は自分の肉を食べさせることができよう」。「実にひどい話だ」(60節)。

たしかに、実にひどい話という感情も理解できます。私たちもご聖体のことを知らなければ、イエスの言葉を聞いてびっくりしたことでしょう。

しかしミサで聖体をいただいているカトリック信者は、最後の晩餐でイエスがパンを取り、これを聖変化させてご自分の肉として食するようにお与えになったと知ります。生々しい肉片をいただくのではなく、パンの形態でいただきます。それは単なる肉ではなく、ご霊魂も神性も、つまりイエスの全体が実存しているもので、私たちの想像も知性も超える恵みです。

「ひどい話」は実は驚くほどの神の恵みでした。信じがたい信仰は、信じがたいほどの様々な恵みを私たちにくださった神の愛の大きさの信じがたさを表わしています。

神が人となられることも、その神が人々の罪を背負って人々に呪われながら死んでいくことも、神の子の肉を人々が食べることも、どれも信じがたく、私たちが想像もできなかったし、これを言葉にすれば神への冒涜になるようなことです。

そのような事柄を神が自ら計画し、私たちに与えてくださいました。あまりにも大きなことをなさったので、私たちは理解できずにきょとんとします。ある人々は信じがたいと言い、ある人々は「実にひどい話だ」と言います。
それほどの恵みを神からいただいたことを、改めて思い巡らしたいと思います。

冷え切った世の中に暮らしながら私たちの心も冷えてしまい、愛することも赦すことも信じることも難しくなっていきます。しかしそんな社会にもイエスは見える形でご自身を私たちに与え、食べさせ、私たちと共にいてくださいます。私たちは愛する力をえます。赦したり信じたりする力をえます。このようにして世の中にぬくもりが残り続けます。
「私が与えるパンとは、世を生かすための私の肉のことである」』