「三位一体の主日」を迎えるにあたり、場崎神父様から、メッセージをいただきました。
聖書朗読と併せご紹介します。
【場崎神父様 メッセージ】
三位一体の主日(祭日)(2020年6月7日)
場﨑 洋 神父
新型コロナウイルス感染防止のために私たちは社会的距離をとりながら日々自粛生活を余儀なくされて過ごしています。「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる」(ヨハネ16・16)。わたしたちは新しい生活習慣を迎えながら試練の時を生きています。人類の歴史が産業革命より大きく変革し、科学と技術の発展と共に二つの大戦を引き起こしてしまいました。そして今、コロナ危機を迎えて、新しい世界の到来を垣間見ながら生きています。その到来はまさに今このときですが、私たちは人類の歴史の連動性のなかを歩んでいます。身体の変化があっても「私」という意識は絶えず私の内にあります。でも「私」は絶え間なく変化し続けています。10年前の「私」と、今の「私」には絶えず連続性があります。さかのぼれば子供の頃のあの時の「私」からつながりがあるという意味で同一性は維持されています。どんな人でも、誰からも影響を受けないで決して変わらないという人はいないでしょう。それではわたしたちは今ここに生きていることになるのです。
世界環境は知らぬまま人類に搾取されるあまり、大きなしっぺ返しを受けています。これを心のイノベーション(新しい創造)によって乗り越えていくことは容易なことではありません。今、起こっているコロナのパンデミックの中に生きて、時間の経過と共に経済の危機、日常の危機は大きくなっていっていることを身に染みて感じています。私たちの生き方を見つめ直し、生活スタイルから変えていかなくてはなりません。そうしないと次から次へと難民化したウイルスが私たちに「引っ越し」してくる可能性があります。生態系の搾取から宿主する場所を失った難民ウイルスが人間社会と共に生きたいと世界をさまよい続けているのです。私たちはそれに備えないといけないのです。
新型コロナウイルスの感染拡大で何か気がついたことがあるでしょうか?
過去の疫病もそうでしたが、社会そのものが大きく変えられていきました。中世ヨーロッパにおいてペストが蔓延したときは、権威ある皇帝も王も教会もまったく無力状態となりました。
ですから当時「死を覚えよ」「死の舞」「死の勝利」という言葉が流行しました。
ひとつの疫病で善人も悪人も、権力者も、金持ちも、貧乏人も死んでいったのです。
すると新型コロナは生き残っている人類が共に手を携えて真の平和のために立ち上がらなければならないことを教えています。聖霊の到来はこの試練のなかで生まれつつあります。ミサがなくても、人と出会えないことがあっても、生きづらさがあっても、わたしたちは自分たちだけの救いではなく、すべての人々の救いのために祈りと犠牲を捧げて行動しなくてはなりません。それは私たちにとってイエス・キリストの死と復活を証ししていくことになります。日々、自分のいのちを取って、捧げて、感謝して、裂くことです。そして与えていくことです。神は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、雨を降らせてくださるかたです(マタイ5・45)。人と人との関係性のなかで現存している聖なる霊に耳を傾けましょう。新しい見方によって訪れる真のイエスを迎え入れましょう。聖霊はすでに注がれています。ただ私たちが気づかない生活を送っているだけなのです。
「わたし(イエス)は戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入って、その者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」(黙示3・20)。元の生活に戻るのではありません。新しい扉をひらくのです。あなたのもとに訪れる主はいつも新しいいのちを運んでくださっているからです。
【聖書朗読箇所】
聖なる父よ、
あなたは、みことばと聖霊を世に遣わし、
神のいのちの神秘を示してくださいました。
唯一の神を礼拝する私たちが、
三位の栄光をたたえることができますように。
集会祈願より
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第1朗読 出エジプト記 34章4b~6、8~9節
モーセは前と同じ石の板を二枚切り、朝早く起きて、
主が命じられたとおりシナイ山に登った。
手には二枚の石の板を携えていた。
主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。
主は彼の前を通り過ぎて宣言された。
「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち(た者)。」
モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、
言った。
「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、
主よ、わたしたちの中にあって進んでください。
確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、
わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」
第2朗読 コリントの信徒への手紙2 13章11~13節
終わりに、兄弟たち、喜びなさい。
完全な者になりなさい。
励まし合いなさい。
思いを一つにしなさい。
平和を保ちなさい。
そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。
聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。
すべての聖なる者があなたがたによろしくとのことです。
主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、
あなたがた一同と共にあるように。
福音朗読 ヨハネによる福音書 3章16~18節
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、
御子によって世が救われるためである。
御子を信じる者は裁かれない。
信じない者は既に裁かれている。
神の独り子の名を信じていないからである。