湯澤神父様から、9月6日年間第23主日メッセージ「福音への一言」をいただきましたので、ご紹介します。
2020年9月6日 年間第23主日(マタイ、18章15~20節)
✚ Pax et Bonum
兄弟姉妹の皆様
今日の福音は、マタイ福音書の第四の説教集、教会共同体で皆と共に生きることについてのお話の中の一つです。ここでは、イエス様と弟子たちの共同体でも、マタイが福音書を書き宛てている共同体でも起こっていた問題を取り上げています。この説教集全体を眺めてみましょう。
最初は、教会では誰が偉いのか、だれが中心的存在なのかという問題です(18.1-4)。次は、今でも教会には誰かを仲間外れにしたり、虐めたりすることがありますが、そのように人をつまずかせる問題です(18.5-9)。それから、何かの理由で共同体から迷い出してしまった人たちの問題(18.10-14)、そして、自ら共同体を出ようとしている、或いは、出てしまった兄弟の問題(18.15-20)を取り上げています。これが今日の福音です。最後は、戻ってくる兄弟を受け入れる寛大さの問題です(18.21-35)。
今日の福音の個所で、イエス様の最初の言葉は、「兄弟があなたに対して罪を犯したなら」となっていますが、古いフランシスコ会訳の聖書では、「もしあなたの兄弟が罪を犯したならば」となっています。『聖書と典礼』の訳を見ると、信徒の仲間が何か自分に悪いことをした場合、行って注意しなさいという意味になり、道徳的勧告をする意味に取れてしまいます。それでは、最初に出てくる天の国に入る幼い者(幼子)の姿とはまるで違って、教師であるかのような振る舞いになってしまいます。むしろ、何かによって共同体から出ていこうとしていたり、出てしまった兄弟の場合と考えた方がいいでしょう。
今の私たちの周りを見回してみると、教会に来なくなってしまった子供たち、洗礼を受けたのに教会から離れてしまった人たちなど、身近にそうした兄弟姉妹がたくさんいることに気づきます。「新しい福音宣教」を唱えた教皇ヨハネ・パウロ二世や「福音の喜び」を出した教皇フランシスコは、こうした兄弟姉妹を思い出させようとしていました。
教会から離れてしまった兄弟姉妹や離れようとしている兄弟姉妹の問題は、現代の私たちの教会共同体の問題でもあるのではないでしょうか。そういう兄弟姉妹たちに対して、個人的に接して説得したことがあるでしょうか。知り合っている仲間で、或いは、共同体として教会は何か働きかけたことがあるでしょうか。教会全体としてこの問題を取り上げ、何かの行動に出たことがあるでしょうか。しかも、教師が注意するような形ではなく、幼子のような姿で。
私たちは何もしてこなかったわけではありませんが、今一度、イエス様が私たち一人ひとりに呼び掛けている言葉として聞く必要があるでしょう。私たちには、教会を作っていく使命、福音宣教の使命が与えられています。その具体的な一つの側面が、離れていった兄弟姉妹、或いは、離れようとしている兄弟姉妹に語り掛けることではないでしょうか。個人として、仲間として、教会共同体として。
湯澤民夫