この日のミサを司式された勝谷司教様のお説教と、松村神父様の福音メッセージを、聖書朗読箇所と併せてご紹介します。
【勝谷司教 お説教】
何度か説教や文書でふれたことですが、コロナが流行し始めた頃、テレビ等の情報に影響され、常に怒りの感情に支配され、心が健康でなくなっていることを感じたことがありました。今も政府や行政の無策ぶりに怒りの感情が起こってはいます。しかしその怒りは、自分にとって正しいもの、正義の怒りであると全く疑いを持っていないところに問題があることもお話ししました。この怒りについて少し考えてみたいと思います。
【福音メッセージ 松村神父】
昔、TVの中の正義の使者であるヒーローやヒロインになりたいと、憧れを抱き真似をした人も少なくないのではないか。または、伝記小説などに登場する優秀な能力を持った人に憧れて、将来の夢にした人もいるかもしれない。私たちはこのように具体的な人物像を心に置き、日々の学びや生き方にスパイスを与えて、自分を奮い立たせてきたのではないか。私自身も小学生の頃には江戸川乱歩にはまって、明智小五郎のような推理探偵を目指し、とにかく頭の回転を速くしようとクイズやなぞなぞにはまった時もあり、または一方で祖父の死を目の前にして、人を助けてきた祖父に報いるために、人助けの仕事がしたいと誓った時もあった。しばらくすると祖父母の働きを眺めながら高齢者が快適に、幸せに暮らせるためにと当時の有名な建築家を真似ようと学んだ時期もあった。それぞれ時代時代に具体的な人を思い浮かべては、その人になろうとしていた。しかし、ある時それらの人に限界があったことを気づかされた。常にその先には、より有能な人、新しい仕組み、新しいユニバーサルデザインが現れ、夢を描いた人たちは廃れていったのであった。
今日、聖母被昇天の祝いの日に、何を思うか。聖母マリアの天への昇天は聖書の中に書かれていない。初代教会後の信仰によって祝われるようになり、8世紀末に聖母被昇天として定められ、8月15日に祝われるようになった。しかし教義になったのはわずか70年ほど前である。そもそも東方教会ではマリアの亡くなった日として祝われたが、その後7世紀になってから西方教会にも受け継がれ被昇天の日となった。ただし、正直何が真実かは私たちにはわからない。それよりも日本にとってザビエルが上陸した日が8月15日。そのため日本の守護聖人が聖母マリアとされたことや、終戦記念日が8月15日で戦争の終わりにマリア様の祝日だったこと。これは偶然というよりも、日本に神様が働かれた(啓示)と考える方が私はしっくりくる。聖母マリアへの崇敬は、その先を見る神様の存在を表す象徴と捉えなければならないのだろう。だから決してマリア様を崇拝の対象としてはならないし、神様もそのために昇天したわけではないのだろう。
教義では「聖母はキリストの救いを完全な仕方で受け、キリストによって成就した救いの範型(TYPE)となった。キリストのもたらした救いは人間の全身心の救済であるから、聖母マリアがキリストの救いの力を完全に受けて、神の栄光に輝いたと信ずるのは当然である。」とされる。だからと言って聖母マリアが特別な存在として信仰するのではなく、今日の祈願文や朗読箇所にもあるように、聖母の被昇天は、キリストによる救いにあずかる人たちの象徴として、信じるすべての私たちの救いへの希望を表現している唯一の人類と捉える必要があるのだろう。先の夢見るヒーローヒロインに憧れ崇拝するのではなく、その先にある正義や平和という願い、神のみ旨をしっかり見なければ、目の前の聖母マリアの存在がぐらついてしまう。被昇天という教えを通して、聖母マリアが昇天され完全に救われたこと、その聖母マリアが願ったことにしっかりと心を向けて、私たちも歩みたいと思う。
8月15日は日本にとって特別な日。神の啓示は、この日において命を優先とし、キリストのいのちにあずかるということを大切にして、具体的な平和を求める日として祈り働いていければと思う。
聖母マリア、そして聖フランシスコザビエルの願った私たちのこの国での幸せを祈りあっていきましょう。
【聖書朗読箇所】
全能永遠の神よ、
あなたは、御ひとり子の母、汚れのないおとめマリアを、
からだも魂も、ともに天の栄光に上げられました。
信じる民がいつも天の国を求め、
聖母とともに永遠の喜びに入ることができますように。
集会祈願より
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
第1朗読 ヨハネの黙示録 11章19a、12章1~6、10ab節
天にある神の神殿が開かれて、 その神殿の中にある契約の箱が見え〔た〕。
また、天に大きなしるしが現れた。 一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、 頭には十二の星の冠をかぶっていた。 女は身ごもっていたが、 子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。 また、もう一つのしるしが天に現れた。 見よ、火のように赤い大きな竜である。 これには七つの頭と十本の角があって、 その頭に七つの冠をかぶっていた。 竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。 そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、 産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。 女は男の子を産んだ。 この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。 子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。 女は荒れ野へ逃げ込んだ。 そこには、神の用意された場所があった。
わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。 「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。 神のメシアの権威が現れた。」
第2朗読 コリントの信徒への手紙一 15章20~27a節
(皆さん、)キリストは死者の中から復活し、 眠りについた人たちの初穂となられました。 死が一人の人によって来たのだから、 死者の復活も一人の人によって来るのです。 つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、 キリストによってすべての人が生かされることになるのです。 ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。 最初にキリスト、 次いで、キリストが来られるときに、 キリストに属している人たち、 次いで、世の終わりが来ます。 そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、 父である神に国を引き渡されます。 キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、 国を支配されることになっているからです。 最後の敵として、死が滅ぼされます。 「神は、すべてをその足の下に服従させた」からです。
福音朗読 ルカによる福音書 1章39~56節
そのころ、マリアは出かけて、 急いで山里に向かい、ユダの町に行った。 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、 その胎内の子がおどった。 エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。 「あなたは女の中で祝福された方です。 胎内のお子さまも祝福されています。 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、 どういうわけでしょう。 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、 胎内の子は喜んでおどりました。 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、 なんと幸いでしょう。」
そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、 わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、 力ある方が、
わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
その憐れみは代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、
憐れみをお忘れになりません、
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。
マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、 自分の家に帰った。