2021年8月28日土曜日

8月29日 年間第22主日

  ウルバン神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。




【福音メッセージ ウルバン神父】


第22 日曜日      “その心は私から遠く離れている”    ウルバン神父  

私も遠く離れているでしょうか。この言葉を言いながら、イエスは周りにいる人、今の私たちをも見ていた。どんな顔で見ていたでしょう。主の言葉は福音で、喜びの便りで、戒めの言葉ではありません。イエスの姿を見て、イエスの顔を見つめると、この言葉の中で悲しみ、心の温かさ、心の深い憧れを感じるでしょう。今静かになって神の霊に導かれて心を開きながら、想像の中で今日の福音の出来事を見ましょう。

子供の時、本家の叔父さんといとこ達とともに、よく畑へ行って芋を掘っていた。腹が減った時、皆は仕事を休んで土の上に座りながら食べた。一つの手に一切れのパン、もう一つの手でソーセージを持って、左また右の手にあるものをかじりながら、手を洗わないで食べた。本当に良い雰囲気でした。畑の土で手は汚れていたが、心は素直できれいでした。食べた後、土で汚れた手で神様に感謝した。

イエス様は弟子達に囲まれて木の陰に座って休んでいた。すぐに好奇心の人がのぞきに来て、「ナザレの預言者だ」と叫んで人を連れて来た。弟子達は長い旅と暑さで疲れて座っていた。ところが、じっと見ている人々の中にファリサイ派の人もいた。人をぐるぐる囲んで刺そうとするスズメ蜂のように、彼らの目は動いていた。弟子は袋からパンを出し食べ始めた。確かに手は汚れていたが、素直な清い心で食べていた。「なぜ、あなたの弟子たちは汚れた手で食べるのか」とスズメ蜂のようにイエスを刺した。哀れなファリサイ派の人。あなたの手は清いが、心は最も汚い。すべてを汚れた心で見ている。

イエスは立ち上がって、人々を見つめながら言った。「この民は口先で私を敬うが、その心は私から遠く離れている」。この言葉は自分の心の中に響いています。口先だけで敬うことがよくあるでしょう。祈りながら体は神の前にいるが、心はどこかで散歩している。私たちはみな物足りない僕です。祈りとミサが終わって、“努め”を果たした後、イエスは私とともにいるでしょう。主の霊、聖霊が私の生活の中に住まいはなければ、心の住まいは空であれば、暗闇の霊が来て汚れの種をまくのです。それで私は次第に暗闇に沈む。ペトロの目がイエスから離れて周りの大波を見た時に沈んだが、またイエスに手を伸ばして叫んだ。「助けて、私は沈む」。彼は波から助けられた。

子供の時、ごミサがラテン語であった時、多くの人はロザリオを祈りながらミサに参加しました。言葉も典礼も知らず静かに心の中で祈った時、手の中で常にロザリオを握っていた。今考えれば、その子供らしい人はいろんなことが通じなかったが、心はきっと神様から遠く離れてはいなかった。イエスは望む人の頭ではなく心の中に住んで、生活のすべての暗闇を希望と光に変えて生きる力となった。

主は今、私達にも手を開いて言います、「自分の弱さ、自分の小ささを見ないで、目を上げて私を見なさい。弱さがあっても、私の所へ来なさい。私は生きる水の泉で、来て、この泉から飲みなさい。飲めば、あなたは本当に生きる。私はいつもあなたと共にいて、あなたの中に住む」。私の答えは「主よ、私を待って、今来ています」と。



【聖書朗読箇所】


全能永遠の神よ、

あなたはひとり子イエスをとおして

み旨を明らかに示してくださいました。

わたしたちがきょうもあなたに立ち帰り、

みことばをいのちの糧とすることができますように。

   集会祈願より


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第1朗読 申命記 4章1~2、6~8節


 イスラエルよ。

 今、わたしが教える掟と法を忠実に行いなさい。

 

 そうすればあなたたちは命を得、

 あなたたちの先祖の神、主が与えられる土地に入って、

 それを得ることができるであろう。

 

 あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、

 減らすこともしてはならない。

 

 わたしが命じるとおりにあなたたちの神、

 主の戒めを守りなさい。


 あなたたちはそれを忠実に守りなさい。

 

 そうすれば、諸国の民にあなたたちの知恵と良識が示され、

 彼らがこれらすべての掟を聞くとき、

 「この大いなる国民は確かに知恵があり、賢明な民である」

 と言うであろう。

 

 いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神、

 主のような神を持つ大いなる国民がどこにあるだろうか。

 

 またわたしが今日あなたたちに授けるこのすべての律法のように、

 正しい掟と法を持つ大いなる国民がどこにいるだろうか。



第2朗読 ヤコブの手紙 1章17~18、21b~22、27節


 良い贈り物、完全な賜物はみな、

 上から、光の源である御父から来るのです。

 

 御父には、移り変わりも、

 天体の動きにつれて生ずる陰もありません。

 

 御父は、御心のままに、

 真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。

 

 それは、わたしたちを、

 いわば造られたものの初穂となさるためです。


 心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。

 この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。

 

 御言葉を行う人になりなさい。

 自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。


 みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、

 世の汚れに染まらないように自分を守ること、

 これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。



福音朗読 マルコによる福音書 7章1~8、14~15、21~23節


 ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、

 エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。


 そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、

 つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。


 ――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、

 昔の人の言い伝えを固く守って、

 念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、

 また、市場から帰ったときには、

 身を清めてからでないと食事をしない。


 そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、

 昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。――


 そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。


 「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、

 汚れた手で食事をするのですか。」


 イエスは言われた。


 「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを

 見事に預言したものだ。

 彼はこう書いている。

 『この民は口先ではわたしを敬うが、

 その心はわたしから遠く離れている。

 人間の戒めを教えとしておしえ、

 むなしくわたしをあがめている。』

 あなたたちは神の掟を捨てて、

 人間の言い伝えを固く守っている。」


 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。


 「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。

 外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、

 人の中から出て来るものが、人を汚すのである。


 中から、つまり人間の心から、

 悪い思いが出て来るからである。

 みだらな行い、盗み、殺意、

 姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、

 悪口、傲慢、無分別など、

 これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」