2021年9月1日水曜日

9月5日 年間第23主日

 レイ神父様の福音メッセージを、聖書朗読箇所と併せてご紹介します。




【福音メッセージ レイ神父】

年間第23主日 2021年9月5日

「エッファタ 開け」イエスのこの言葉を何度耳にしますか?又、イエスが権威をもって語られるのをあなた方はどれくらい聞かれますか?イエスはこの耳の聞こえない男をただ癒したいのでこのように言われたのでしょうか?それとも、もっと大切なことがあるのでしょうか。音が聞こえないこの男を癒すことによって、イエスは私たちのために何かしたいと望まれたことについて示されたのです。イエスはこの癒しによって明らかに深いメッセージを私たちに与えて下さいます。この一節から得ることはたくさんありますがその一つを見てみましょう。

その教えはイエスの命令「開け」にあります。これは行動を命ずる力強い言葉です。選択できる言葉ではありません。それは明快であり決定的なのです。「開け」は質問でも誘いでもなく、それは命令です。これは重大なことです。

この短い言葉でイエスは実行すると決めたことがわかります。これには少しの躊躇もなかったのがわかります。心を決め、ご自分の意思を話されます。イエスご自身からのこの行動が重要なのです。神が語るときにあいまいさはありません。ためらいも疑いもありません。彼は完全で明らかなのです。

これがわかると私たちにとっては大きな安らぎです。それはイエスが力強い権威を実行する用意と意思があるという意味だからです。全ての力を持たれ、そうされたいときには権威を恐れず使われます。一番大切なことは、私たちの生活に最善をもたらすそのときにお使いになるのです。

この全能の神は万能であり、支配者であるということを信じることができるなら、私たちはおおきな安らぎを得られるらでしょう。もしイエスが現実の世界(体の聴覚)をも支配しておられるのならば、精神世界もそうであることは確かです。すべての良きことがお出来になるのです。

全能であるだけでなく、全てを愛し全てを慈しむ方の存在の内に私たちがいるとわかったとき、私たちは大きく安堵の息をし、その方に絶対的な信頼を寄せるでしょう。そして人はよろこんで委ねるることができるでしょう。

この短い言葉を黙想しましょう。イエスのこの聖なる神々しい権威にあなた方の命をゆだねましょう。イエスに任せましょう。イエスの言葉は完璧な愛であり憐れみです。それはあなた方を最善に導く言葉です。そしてこの全能の神はあなた方の全ての信頼にふさわしい方です。


23rd Sunday in Ordianry Time B September 5, 2021

How often do you hear Jesus say this to you? “Ephphatha! Be opened!” Or how often do you hear Him speak to you with such authority?

Did Jesus say this only because this man was physically deaf and He wanted to physically cure him? Or is there a deeper significance? By healing this man unable to hear physical sounds, Jesus was revealing something to us about what He wants to do for us. Jesus is giving us a clear and deeper message in this healing. Certainly there are many messages we can take from this passage. Let’s look at one.

The message is in Jesus’ command: “Be opened!” These are powerful words commanding action. They are not optional words. They are clear and definitive. “Be opened” is not a question, not an invitation, it is a command. This is significant!

These two little words reveal the fact that Jesus has made up His mind to act. They reveal that He is not hesitant in the least in this choice. He has made up His mind and has spoken His will. And this action, on His part, is what makes a difference. These two little words reveal that God is not indecisive when He speaks. He is not shy or uncertain. He is absolute and clear.

This understanding should give us great comfort. Comfort in the sense that Jesus is ready and willing to exercise His all-powerful authority. He does have all-power and He is not afraid to exercise this authority when He wants to. Most importantly, He wants to exercise His authority when it will bring about the greatest good in our lives.

It should give us great comfort in the sense that we can trust that this all-powerful God is all-powerful and is in control. If He is even in control of the natural world (physical hearing), then He is most certainly in control of the spiritual world, too. He is able to do all things good.

When we find that we are in the presence of one who is not only all-powerful, but also all-loving and all-merciful, we should be able to breathe a huge sigh of relief and turn our absolute trust over to Him. He is able and fully willing to be in control.

Reflect, today, upon these two little words. Let this holy and divine authority of Jesus take control over your life. Let Him command you. His commands are perfect love and mercy. They are words that will direct you to your ultimate good. And this all-powerful God is worthy of all your trust.


【聖書朗読箇所】


すべての人の希望である神よ、

あなたはひとり子イエスを遣わし、

人々を悩みや苦しみから解放してくださいました。

きょう、わたしたちの耳を開き、

救いのことばを聞かせてください。

また、わたしたちの口を開き、

あなたへの賛美を歌わせてください。

   集会祈願より


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第1朗読 イザヤ書 35章4~7a節


 心おののく人々に言え。

 

 「雄々しくあれ、恐れるな。

 見よ、あなたたちの神を。

 敵を打ち、悪に報いる神が来られる。

 神は来て、あなたたちを救われる。」

 

 そのとき、見えない人の目が開き

 聞こえない人の耳が開く。

 

 そのとき

 歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。

 

 口の利けなかった人が喜び歌う。

 荒れ野に水が湧きいで

 荒れ地に川が流れる。

 

 熱した砂地は湖となり

 乾いた地は水の湧くところとなる



第2朗読 ヤコブの手紙 2章1~5節


 わたしの兄弟たち、

 栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、

 人を分け隔てしてはなりません。

 

 あなたがたの集まりに、

 金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、

 また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。

 

 その立派な身なりの人に特別に目を留めて、

 「あなたは、こちらの席にお掛けください」と言い、

 

 貧しい人には、「あなたは、そこに立っているか、

 わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うなら、

 あなたがたは、自分たちの中で差別をし、

 誤った考えに基づいて

 判断を下したことになるのではありませんか。

 

 わたしの愛する兄弟たち、

 よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、

 信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、

 受け継ぐ者となさったではありませんか。



福音朗読 マルコによる福音書 7章31~37節


 それからまた、イエスはティルスの地方を去り、

 シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、

 ガリラヤ湖へやって来られた。

 

 人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、

 その上に手を置いてくださるようにと願った。

 

 そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、

 指をその両耳に差し入れ、

 それから唾をつけてその舌に触れられた。

 

 そして、天を仰いで深く息をつき、

 その人に向かって、「エッファタ」と言われた。

 これは、「開け」という意味である。

 

 すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、

 はっきり話すことができるようになった。

 

 イエスは人々に、

 だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。

 しかし、イエスが口止めをされればされるほど、

 人々はかえってますます言い広めた。

 

 そして、すっかり驚いて言った。

 「この方のなさったことはすべて、すばらしい。

 耳の聞こえない人を聞こえるようにし、

 口の利けない人を話せるようにしてくださる。」