ウルバン神父様の福音メッセージを、聖書朗読箇所と併せてご紹介します。
【福音メッセージ ウルバン神父】
第19日曜日 “私は天から来たまことのパンである”。 ウルバン神父
ある日の朝のことでした。イエス様は、前の晩に五つのパンを食べて満腹した大群衆が近づいて来るのを見た。長い道で体は疲れたが、顔が暑さのため真っ赤になって心はすごい期待に燃えた。これから何が行われるでしょうか、今度は何をもらえるでしょうか。その時イエス様は囲まれて何とおっしゃったでしょう。「あなたたちはパンを食べて満腹したから来たのですか。私は新しいパンをあなたたちに与える。それを食べれば、いつまでも飢えることはない」。「そのパンを与えてください、そのパンを欲しい」と皆は叫んで、大きな目で次の出来事を待っていた。
イエス様は不思議そうな、寂しそうな顔で群衆を見まわしていた。人の人気と誉れを、人の飢えるお腹を望んでいたのではなく、素直な心、子供らしい信仰と信頼を心から待っていました。その時のイエス様の答えは、皆にショックとなった。冬の雪と霜が落ちて、すべての命を押さえるような答え。「私は天から降って来たパンである」。皆はびっくりして信じられないような顔をした。「このナザレの人は天から来たのか。とんでもないことだ。親でさえも知っているでしょう」。それで群衆から不平の声が出て、大きな騒ぎが始まりました。イエスはもう一度大声で叫んだ。「私は天から来たまことのパンである。私が与えるパンは私の肉です。これを食べれば、永遠に生きる」。その時、群衆と多くの親しい弟子もイエスを捨て、消えてしまった。イエスの周りには静かになった。
「天からのパンを食べれば、あなた達は生きる」とは本当です。私の一つの体験を聞いてください。留萌という町での出来事でした。そこには元気な、とってもめんこい女の子がいました。瀬ちゃんは、皆が可愛がってくれました。10才ぐらいになった時の出来事でした。子供は雪道で転んだ。ちょうどその時、馬そりを引っ張る馬がその道を通って、転んだ子供の背中を蹴っ飛ばした。その時から明るい生活がとっても暗くなりました。体はもう伸びなくて、背中は丸くなってしまった。大人に変に見られて、子供達に常に虐められて、身を隠すようになった。ところが、何年か後のある日に、おばさんが彼女を教会へ連れた時、初めてイエス様に出会った。イエスにそのままに愛されたことを知って恥ずかしさが消え、喜びが沸いてきた。私は留萌教会の神父になって、古い写真を見た時、すでに大人になって相変わらず小さい瀬ちゃんが、皆に可愛がれて心の故郷を見つけたことを感じた。
その時は大分前から札幌で入院していると言われた。病院で初めて会った時、私はとっても感動した。小さい痩せた体で彼女は床に座っていた。弱い風に飛ばされる羽のような姿が、顔が光に輝いていた。「神父様、お医者さん達は何回も私は死ぬと言いましたが、まだ生きているよ。イエス様は私が何かのために生きてほしいのかなぁ。私は幸せです、毎日イエス様をいただけるから」。私の肉を食べ、私の血を飲む人は生きる、永遠に生きることは彼女の心に刻まれていた。人々がイエスを触れようとしたように、病院の多くの患者さんが毎日彼女の病室に近づいて彼女を見ようとした。あの方の輝く姿に慰められ、強められて自分の病室に帰った。今天におられる聖なる姉妹、瀬ちゃん、私達のために祈ってください、私たちも天から降って来たパンに生きるように。
【聖書朗読箇所】
すべての人を養ってくださる神よ、
わたしたちはきょうもキリストのもとに一つに集められました。
いのちの恵みにともにあずかるわたしたちが、
神の国をめざして歩む力で満たされますように。
B年用・試用 集会祈願より
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第1朗読 列王記上 19章4~8節
彼自身は荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。
彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、
自分の命が絶えるのを願って言った。
「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。
わたしは先祖にまさる者ではありません。」
彼はえにしだの木の下で横になって眠ってしまった。
御使いが彼に触れて言った。「起きて食べよ。」
見ると、枕もとに焼き石で焼いたパン菓子と
水の入った瓶があったので、
エリヤはそのパン菓子を食べ、水を飲んで、
また横になった。
主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、
「起きて食べよ。
この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と言った。
エリヤは起きて食べ、飲んだ。
その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、
ついに神の山ホレブに着いた。
第2朗読 エフェソの信徒への手紙 4章30~5章2節
神の聖霊を悲しませてはいけません。
あなたがたは、聖霊により、
贖いの日に対して保 証されているのです。
無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、
一切の悪意と一緒に捨てなさい。
互いに親切にし、憐れみの心で接し、
神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、
赦し合いなさい。
あなたがたは神に愛されている子供ですから、
神に倣う者となりなさい。
キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、
つまり、いけにえとして
わたしたちのために神に献げてくださったように、
あなたがたも愛によって歩みなさい。
福音朗読 ヨハネによる福音書 6章41~51節
ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」
と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こう言った。
「これはヨセフの息子のイエスではないか。
我々はその父も母も知っている。
どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」
イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。
わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、
だれもわたしのもとへ来ることはできない。
わたしはその人を終わりの日に復活させる。
預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。
父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。
父を見た者は一人もいない。
神のもとから来た者だけが父を見たのである。
はっきり言っておく。
信じる者は永遠の命を得ている。
わたしは命のパンである。
あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。
しかし、これは、天から降って来たパンであり、
これを食べる者は死なない。
わたしは、天から降って来た生きたパンである。
このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。
わたしが与えるパンとは、
世を生かすためのわたしの肉のことである。」