2021年12月18日土曜日

12月19日 待降節第4主日

 湯澤神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。




【福音メッセージ 湯澤神父】

2021年12月19日 待降節第四主日(ルカ、1.30-45)

✚ Pax et Bonum

兄弟姉妹の皆様

  今日の福音は、誕生物語の中の「聖母のご訪問」として知られる個所です。聖書を見ると、とても具体的で人間味が溢れ、身近で微笑ましい感じがします。エリザベトは、身ごもってから半年以上も経って、そろそろお腹の中の赤ちゃんが動き出し、お母さんとしてはますますお腹の中の子の存在が実感できる状態です。他方、身ごもったばかりのマリア様の方は、理由が分かりませんがガリラヤから、ユダまで長い旅をしながらそのエリザベトに会いに来ます。一人でトボトボというのは、危険極まりありませんから、もしかしたら巡礼団に交じって旅をしてきたのかもしれません。

  一方は、子供のできない老夫婦で、アブラハムとサラがモデルになっています。子供を産めない女性は一人前の女性と見なされない。そのために負い目を感じ、悩む女性の例は、サムエルの母親のアンナなど他にも旧約聖書には、幾組か出てきます。他方、まったく新しい誕生の形がマリア様の例です。結婚状態であっても、まだ同居、同棲していない夫婦。予想もできない身ごもりの出来事でした。このマリア様に起こった出来事が、どんな出来事なのか、今日の福音は、その一端を教えてくれています。

  私たちは、旧約聖書の最初から新約聖書の最後まで、全体を一つのものとして見渡してみることはあまりありませんし、歴史を見通して出来事を位置づけることもあまりしません。ルカは、ルカなりに全体の流れを見渡しています。かつて、天地創造の時、地を覆っていたあの神の霊は、その後離れることなく、世の終わりまでそばにいてくれています。この聖霊をヨハネはそばにいて導く者(弁護者)と呼んでいます。時には、大きく時の流れが変わるそうした時に働くことがあります。マリア様のみごもりは、キリストのこの世への到来であり、歴史の中で聖霊が働いた大きな出来事の一つです。この時の流れの大きな転換点にあって、洗礼者ヨハネは旧約を代表し、キリストの到来を喜びをもって受け入れています。それをエリザベトは、おなかの中の子が動いたことでこれを表しています。

  さて、私たちにとって、キリストの到来、クリスマスの出来事はどうでしょうか。クリスマスのデコレーション、馬小屋作り、クリスマスパーティ。お正月と同じ年中行事の一つに過ぎないとしたら寂しいですね。逆に、クリスマスをヨハネのような喜びをもって受け止められたら、素晴らしいですね。また更に、私たちへのキリストの到来もヨハネのように受け止められたら、それもまた素晴らしいことです。このように歴史の中で聖霊は、キリストの受肉の神秘の時も、世の終わりの再臨の時も大きな働きをしますが、私たち一人一人へのキリストの到来の時にも働いています。クリスマスの前の八日間も既に三日目です。あと五日、キリストの大きな到来と合わせて私たちへの小さな到来も、見直してみることはよいことではないでしょうか。                 湯澤民夫



【聖書朗読箇所】


いつくしみ深く、小さなものに目をとめてくださる神よ、

あなたはひとり子を遣わし、

救いに飢え乾く世界を祝福で満たしてくださいました。

主の降誕を迎えるわたしたちが、その生涯にも結ばれますように。

   集会祈願より



第1朗読 ミカ書 5章1~4a節


エフラタのベツレヘムよ

お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、

わたしのために

イスラエルを治める者が出る。

彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。


まことに、主は彼らを捨ておかれる

産婦が子を産むときまで。

そのとき、彼の兄弟の残りの者は

イスラエルの子らのもとに帰って来る。


彼は立って、群れを養う

主の力、神である主の御名の威厳をもって。

彼らは安らかに住まう。

今や、彼は大いなる者となり

その力が地の果てに及ぶからだ。


彼こそ、まさしく平和である。



第2朗読 ヘブライ人への手紙 10章5~10節


それで、キリストは世に来られたときに、

次のように言われたのです。

「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、

むしろ、わたしのために

体を備えてくださいました。


あなたは、焼き尽くす献げ物や

罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。


そこで、わたしは言いました。

『御覧ください。わたしは来ました。

聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、

神よ、御心を行うために。』」


ここで、まず、「あなたはいけにえ、献げ物、

焼き尽くす献げ物、罪を贖うためのいけにえ、

つまり律法に従って献げられるものを望みもせず、

好まれもしなかった」と言われ、


次いで、「御覧ください。

わたしは来ました。御心を行うために」と言われています。

第二のものを立てるために、

最初のものを廃止されるのです。


この御心に基づいて、

ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、

わたしたちは聖なる者とされたのです。



福音朗読 ルカによる福音書 1章39~45節


そのころ、マリアは出かけて、

急いで山里に向かい、ユダの町に行った。

そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。


マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、

その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、

声高らかに言った。

「あなたは女の中で祝福された方です。

胎内のお子さまも祝福されています。


わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、

どういうわけでしょう。


あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、

胎内の子は喜んでおどりました。


主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、

なんと幸いでしょう。」