2021年12月5日日曜日

12月5日 待降節第2主日

レイ神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。




 【福音メッセージ レイ神父】

この待降節第2主日に、私たちは洗礼者ヨハネを黙想に与えられています。なんと素晴らしい贈り物でしょう!イエスご自身が言われました。「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大なものは現れなかった。」(マタイ11章11節)すばらしい誉め言葉です。

何がヨハネをこのように偉大にしているのでしょうか?二つのことが特にあげられます。ひとつは、神からの呼びかけであり、二つめはヨハネの美徳です。まず、彼は旧約の予言書から新約への移行を行った偉大な方なのです。彼はやがて来る新しい命への道を用意した橋なのです。彼の特別な使命はヨハネを本当に偉大にしています。

ヨハネはその特別な呼びかけのために偉大であっただけではなく、彼が生涯持っていた美徳のために偉大だったのです。このギフトこそが何よりも私たちの霊感にとって価値あるものです。

ヨハネの持っていた特別の美徳は謙虚さでした。彼自身は「荒れ野で叫ぶ者の声」である以外の何者でもないとわかっていました。そして彼の話した言葉はイエスの言葉だったのです。ヨハネはかがんでイエスの履物のひもを解く値打ちもないと認めました(マルコ1章7節)。彼はたくさんの人々に賞賛されて、たくさんの人々が彼の後についてきました。それでも彼はいつも「あの方は栄え、私は衰えねばならない」と言いました。(ヨハネ3章30節)

賞賛や名誉のためというよりは彼の使命は皆に救世主を指し示すことだったのです。ヨハネは多くの人々からの栄誉や賞賛を求めることもできましたし、又もちろんそれを受け取ることもできたでしょう。人々はヨハネを王にすらしたかもしれません。

しかし、ヨハネはそれよりも自分の使命を喜んで果たし、そのすぐ後で残酷な死刑執行人の刃にわが身をまかせたのです。彼の謙虚さとはイエスだけに集中し、イエスを指し示すことだけを望んだことです。

あなたの暮らしの中でこのような謙虚さについて今日はよく考えてみましょう。あなたは自分自身へ向かいがちになりますか、それともイエスへでしょうか?あなたは他の人からの賞賛を求めますか、それとも謙遜して全ての賞賛や栄光を神に向けますか?謙虚さは洗礼者ヨハネがたどった道であり、私たちが日毎に進んでいくべき道であります。



【聖書朗読箇所】


いつくしみ豊かな神よ、

あなたの栄光の輝きはすべての人を照らし、

悲しみを喜びへと変えてくださいます。

救いの道に招かれたわたしたちが、

キリストと一つに結ばれる日まで、

あなたの愛のうちに歩み続けることができますように。

   集会祈願より



第1朗読 バルク書 5章1~9節


エルサレムよ、悲しみと不幸の衣を脱ぎ、

神から与えられる栄光で永遠に飾れ。

神から与えられる義の衣を身にまとい、

頭に永遠なる者の栄光の冠をつけよ。


神は天の下のすべての地に

お前の輝きを示される。


お前は神から「義の平和、敬神の栄光」と呼ばれ、

その名は永遠に残る。


エルサレムよ、立ち上がれ、

高い山に立って東の方に目を向けよ。

お前の子らは、神が覚えていてくださったことを喜び、

西からも東からも

聖なる者の言葉によって集められる。


お前の子らは敵に追い立てられ、

徒歩でお前のもとを去ったが、

神は彼らを、玉座につく王のように高く上げ、

栄光のうちにお前のもとに連れ戻される。


すべての高い山、果てしなく続く丘は低くなれ、

谷は埋まって平地になれ、と神は命じられた。

それはイスラエルが神の栄光に包まれ、

安全に歩むため。


森も、香り高いすべての木々も、

神の命令でイスラエルのために木陰をつくる。


神は自らの慈しみと義をもって栄光の輝きを表し、

喜びのうちにイスラエルを導かれる。



第2朗読 フィリピの信徒への手紙 1章4~6、8~11節


あなたがた一同のために祈る度に、

いつも喜びをもって祈っています。


それは、あなたがたが最初の日から今日まで、

福音にあずかっているからです。


あなたがたの中で善い業を始められた方が、

キリスト・イエスの日までに、

その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。


わたしが、キリスト・イエスの愛の心で、

あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、

神が証ししてくださいます。


わたしは、こう祈ります。

知る力と見抜く力とを身に着けて、

あなたがたの愛がますます豊かになり、

本当に重要なことを見分けられるように。


そして、キリストの日に備えて、清い者、

とがめられるところのない者となり、

イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、

神の栄光と誉れとをたたえることができるように。



福音朗読 ルカによる福音書 3章1~6節


皇帝ティベリウスの治世の第十五年、

ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、

ヘロデがガリラヤの領主、

その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、

リサニアがアビレネの領主、

アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、

神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。


そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、

罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。


これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。

「荒れ野で叫ぶ者の声がする。


『主の道を整え、

その道筋をまっすぐにせよ。

谷はすべて埋められ、

山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、

でこぼこの道は平らになり、

人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」