湯澤神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。
【福音メッセージ 湯澤神父】
2022年2月13日 年間第六主日(ルカ、6章17節、20~26節)
✚ Pax et Bonum
兄弟姉妹の皆様
今日の福音は、マタイの山上の垂訓に似ていますが、幾つか違うところがあります。マタイでは、イエス様は山に登って弟子たちに話しかけていますが、ルカでは、山から下りて平らなところで語っています。そして、幸いな人についてだけ語るマタイに対して、ルカは、幸いな人と不幸な人について対比して語っています。更に今日の第一朗読、『エレミヤ書』でも、神に信頼せず、人間に信頼し、はかない人間を頼みとする人と神に信頼する人が対比させられています。しかも報いを具体的に対比してくれると、わかりやすく感じます。そして、福音書のイエス様の言葉も分かりやすくしてくれています。
更に、ルカは、「今」飢えている、「今」泣いている、というように現実的です。だから、貧しい人も、物がない貧しさを印象付けてくれます。これに対して、マタイを見ると「心の貧しい人」と言われています。それは、「霊において貧しい人」「神様しか頼るものが残されていない人」そんな意味合いがあります。おそらくルカも、そうしたことを踏まえているのではないかと思います。まさに今ここで、何もない、どうしようもない貧しさに直面している人。今ここで、飢えを満たすすべを全く持たない人。今ここで、もはやさめざめと泣く他ない人。イエス様は、そういう人に向かって幸いと言っているのではないかと思います。マタイのイエス様が言うように、神様に頼るしか何も残されていない貧しさに瀕している人。頼ることさえもはやあきらめざるを得ない貧しさ。神の国はそうした人のものだ、とイエス様はマタイでもルカでも語っています。
伝聞ですが、ある人が、最近、病気の方を励まして、「祈るように」勧めたそうです。帰ってきた答えは、「もう祈れない」と言う言葉だったそうです。私たちは、最後は神様に助けを求めて祈れそうな気がします。がしかし、実際はそうではないようです。もはや祈ることもできなくなる時が来る。ただ押し寄せてくる現実を受け止める力もなくなり、ただただ受け入れる他ない。そんな時、もはや祈ることもできなくなる。
これは、一種の極限状態かもしれません。私たちは、ここまで追い込まれることは、めったにないことでしょう。しかし、似たようなことがなくはありません。どこにも逃げ道がなく、迫ってくる現実に直面するような場合、もはやなし得ることがなし得ず、神様に頼るしか何も残されていない。自業自得の場合もあるでしょうし、理不尽にもそうした状況に追い込まれる場合もあるでしょう。そんな場合、イエス様は、言います。神の国はあなた方のものである。あなた方は、神様の愛、慈しみに包まれている。私は、あなた方と共にいる。寄り添っている。
この回心を呼びかけるイエス様のこれらの言葉に、自分の信仰を振り返っていけたら、と思います。 湯澤民夫
【聖書朗読箇所】
すべての人をいつくしんでくださる神よ、
ひとり子イエスはみもとに集う人々に、
いのちのことばを語ってくださいました。
救いを求めて集まるわたしたちを顧み、
まことの幸いを教えてください。
集会祈願より
第1朗読 エレミヤ書 17章5~8節
主はこう言われる。
呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし
その心が主を離れ去っている人は。
彼は荒れ地の裸の木。
恵みの雨を見ることなく
人の住めない不毛の地
炎暑の荒れ野を住まいとする。
祝福されよ、主に信頼する人は。
主がその人のよりどころとなられる。
彼は水のほとりに植えられた木。
水路のほとりに根を張り
暑さが襲うのを見ることなく
その葉は青々としている。
干ばつの年にも憂いがなく
実を結ぶことをやめない。
第2朗読 コリントの信徒への手紙一 15章12、16~20節
キリストは死者の中から復活した、
と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、
死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。
死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。
そして、キリストが復活しなかったのなら、
あなたがたの信仰はむなしく、
あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。
そうだとすると、
キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。
この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、
わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。
しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、
眠りについた人たちの初穂となられました。
福音朗読 ルカによる福音書 6章17、20~26節
イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。
大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、
また、ティルスやシドンの海岸地方から〔来ていた。〕
さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
「貧しい人々は、幸いである、
神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである、
あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、
あなたがたは笑うようになる。
人々に憎まれるとき、
また、人の子のために追い出され、
ののしられ、汚名を着せられるとき、
あなたがたは幸いである。
その日には、喜び踊りなさい。
天には大きな報いがある。
この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、
あなたがたはもう慰めを受けている。
今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、
あなたがたは飢えるようになる。
今笑っている人々は、不幸である、
あなたがたは悲しみ泣くようになる。
すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。
この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」