2022年2月19日土曜日

2月20日 年間第7主日

 ウルバン神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。



【福音メッセージ ウルバン神父】

年間第7主日  2022年 2月20日   “あなたの敵を愛しなさい”     ウルバン神父

ある若者がイエスのところへ走り寄って来て平伏した。「ラビ、先生、命を得るためにどうすれば良いのでしょうか」と、心の底からイエスに呼び掛けた。その時、イエスはこの青年の深い望みを見て、どんなに喜んで、感動したでしょうか。イエスはしばらくの間彼を見つめて美しい眼差しで言った。「もし、命を得たいと望めば、自分のすべての財産を手放し、貧しい人に与えなさい。その後、私に付いて来なさい」。若者が頭を下げて悲しんで、足を引きずりながら帰えってしまった。イエスも悲しみのある顔で、見えなくなるまで若者を見送った。

私たちも皆弟子で、主に付いて行きたいでしょう。イエスは今も同じ顔の眼差しであなたを見つめています。「あなたは私の本当の弟子になりたいと望んだら、あなたの敵を愛しなさい。その後、私に付いて来なさい」と。この言葉を聞いたら、私の心も重たくなって、「できない、無理だ、」と思って、帰りたくなる。「敵を愛するか、それができる力はない」とあなたも思うでしょうか。もし私達も離れたら、イエスはどんなに悲しむだろうか。

私はそう思うが、幸いにイエスは「敵を好きになりなさい」と言われなかった。誰も自分の気持ちに命令できない。「明日から嫌いな人を好きになります」と本気に決めても、心はそれで変わるでしょうか。これは私たちの悩みです。上からの助けがなければ、心はなかなか変わらないのです。嫌いな人、敵を愛するとは何でしょうか。

イエスはゲッセマネの庭でユダが近づいて来るのを見た時、喜んだでしょうか。そうではない。「私を裏切る者が近づいた」と。ユダに抱かれながら接吻された時、首の周りに蛇が動いているように感じた。体が嫌がって震えたイエスは「友よ、接吻しながら、私を裏切るのか」といった。嫌がる敵に「友」と言われた。敵となっても、ユダを心から追い出しませんでした。鶏が泣いた後振り向いて、ペトロを見たと同じ目で今ユダを見ました。ペトロは泣いたが、ユダはイエスの心を退いた。「憎む者に親切にしなさい」と書いてある。嫌いであっても、親切に出会って、心をかける事、それは愛する事です。私の力は足りませんが、イエスの服に触れば、力が流れてきます。

もう50年前の事です。ある時一人の高校生が来ました。「神父様、洗礼を受けられない。もう教会へ来られない。“父母を敬うべし”との掟を守れない。夜の時、母の部屋への階段をいつも男達が上り下るのを聞いたら、私は泣いています。母を尊敬できない、」と。「尊敬できないが、それでも母はあなたを生んだ母です。あなたも失ったら、母は孤独に沈んでしまう。母はあなたより苦しんでいる。尊敬できなくても、大切にして、ね」、と答えた。もう教会へ来なかった。行く道は神様しか分かりません。あの子も、その母も、イエスに愛されたでしょう。手放すことはありません。

ある時、寒い冬の1月に私は大阪の釜ヶ崎に住んでいた。2万か3万人の無名の男の人の隠れ場で、多くの人は道端で寝ていて、冬には夜の道端で100か200人位が死ぬと言われた。真夜中に私達はリヤカーを引っ張りながら、外で横になっている人に熱いスープと毛布を配った。毛布一枚だけ残った時、二人の男が雪の中に寝ているのを見つけた。何をしたら良いか分からなかった。一人を起こして私が悲しそうに一枚の毛布を見せた時、何と言われたでしょうか。「あの人にやって、彼が寒がって震えている」。あの方はその夜凍れて死んだか分からないが、イエスだけ知っています。これは愛する事です。この言葉は一生心に響いています。「あの人にやって。彼が寒がっている」と。



【聖書朗読箇所】


限りない愛に満ちておられる神よ、

  主イエスは敵対する人、

  自分を裏切る人をも愛し、

  まことの愛に生きる者の姿を示してくださいました。

  ここに集うわたしたちが、

  キリストの心に少しでも近づくことができますように。

   集会祈願より



第1朗読 サムエル記上 26章2、7~9、12~13、22~23節


サウルは立ってイスラエルの精鋭三千を率い、

ジフの荒れ野に下って行き、ダビデをジフの荒れ野で捜した。


ダビデとアビシャイは夜になって兵士に近寄った。

サウルは幕営の中に横になって眠り込んでおり、

彼の槍はその枕もとの地面に突き刺してあった。

アブネルも兵士もその周りで眠っていた。


アビシャイはダビデに言った。

「神は、今日、敵をあなたの手に渡されました。

さあ、わたしに槍の一突きで彼を刺し殺させてください。一度でしとめます。」


ダビデはアビシャイに言った。

「殺してはならない。

主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない。」


ダビデはサウルの枕もとから槍と水差しを取り、

彼らは立ち去った。

見ていた者も、気づいた者も、目を覚ました者もなかった。

主から送られた深い眠りが彼らを襲い、全員眠り込んでいた。

ダビデは向こう側に渡り、遠く離れた山の頂に立った。

サウルの陣営との隔たりは大きかった。


ダビデは答えた。

「王の槍はここにあります。

従者を一人よこし、これを運ばせてください。

主は、おのおのに、その正しい行いと忠実さに従って報いてくださいます。

今日、主はわたしの手にあなたを渡されましたが、

主が油を注がれた方に手をかけることをわたしは望みませんでした。



第2朗読 コリントの信徒への手紙一 15章45~49節


「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、

最後のアダムは命を与える霊となったのです。


最初に霊の体があったのではありません。

自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。


最初の人は土ででき、地に属する者であり、

第二の人は天に属する者です。


土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、

天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。


わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、

天に属するその人の似姿にもなるのです。



福音朗読 ルカによる福音書 6章27~38節


「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。

敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。


悪口を言う者に祝福を祈り、

あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。


あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。

上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。

求める者には、だれにでも与えなさい。

あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。


人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。

自分を愛してくれる人を愛したところで、

あなたがたにどんな恵みがあろうか。

罪人でも、愛してくれる人を愛している。


また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、

どんな恵みがあろうか。

罪人でも同じことをしている。


返してもらうことを当てにして貸したところで、

どんな恵みがあろうか。

罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、

罪人に貸すのである。


しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。

人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。

そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。

いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。

あなたがたの父が憐れみ深いように、

あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」


「人を裁くな。

そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。

人を罪人だと決めるな。

そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。

赦しなさい。

そうすれば、あなたがたも赦される。

与えなさい。

そうすれば、あなたがたにも与えられる。

押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、

ふところに入れてもらえる。

あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」