2022年2月5日土曜日

2月6日 年間第5主日

 レイ神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。



【福音メッセージ レイ神父】

年間第五主日 2月6日

今日の主日の朗読は、神の愛の存在は人々の生活を変えるということを別の見方から話します。

何かをとらえようとするのにどれくらいの方法がありますか?ボールを捕る、バスに間に合う、何か怪しいことをしている人を捕える。読んでいるものの意味を掴む。また、配偶者や仕事で良い人を得るとも言います。

今日の福音では、ペテロは魚を大量に捕えます。夜通し苦労してもなにも捕れなかった後にです。イエスがもう一度試してみるよう言ったとき、ペテロは疑う気持ちがありましたがイエスの言葉を信じやってみることにしました。仲間のヤコブやヨハネも一緒に働かざるを得ませんでしたが、その結果は大漁でした。ペテロは驚きおののき、わが身の小ささに気づき、イエスが彼から離れてくれるよう頼むのです。それからイエスはさらにもっと大きなものをとるのです。ペテロはイエスがお答えになるのを聞きます。今から後、あなたは人間をとる漁師となる。ペテロ、ヤコブ、ヨハネはすべてを捨ててイエスに従います。

最近、ロマンティックなミュージカル「スター誕生」の再映画化の中でレディ・ガガとブラッドリー・クーパーは「シャロウ」という受賞曲を歌いました。「教えてくれないか この都会の暮らしに満足かい? それとも、もっと何か求めているのか 他に探しているものがあるんじゃないのか?・・・もう浅い関係には、浅い、浅い、浅い関係へとは・・私は思い切ってやるつもり、ここから飛び込む私を見てて欲しい どこまでも落ちていく 地表をすり抜けて私たちが傷つかない場所へ・・・ 私たちは浅いところから遠いところにいる、もう『浅い関係』へとは戻れない」。

カトリック信者として、浅瀬にいる自分を見て、深いところに飛び込むのをどれほど拒んだことでしょう。何度も言い訳して「するだけのことをした。もう限界だ、私はこの仕事にも挑戦にもふさわしくない」。 しかし神は招かれる前に人が完璧であり、道徳的であり、忠実であることを求めてはいないのです。そのままの私たちを呼ばれます。神は日常の生活の普通の時に来られ私たちの人生の旅を力づけます。福音に反する大きな挑戦や習わしの世に度々私たちを通して働きかけます。イエスからの「進みなさい、私について来なさい」というきっぱりした呼びかけを聞くのです。

イエズス会のジョン・R・ドナヒューが明らかに言っております。「イエスへの信仰を明言するには前もって神の素晴らしい、寛大な、そして圧倒的な愛の体験が必要です。」その時初めてこう言えます。「私はここにおります。送ってください」と。イエスに従う中で私は新らたに驚くものを見つけます。私自身についての新しい知識を得ます。イエスのために他の人々を得て彼に夢中になります。イエスのみ前では私は弱く師の弟子には相応しくないと認めます。イエスの働きを私の中を通して完成させるためイエスの捕らわれ人となります。そしてイエスは私に力を満たし派遣します。ペテロがこの捕らわれにより全く自分を変え新しい道へと現れたように、私たちもイエスに捕まえられて価値ある信者となるのを認めましょう。



【聖書朗読箇所】


あわれみ深い神よ、

  あなたは罪深いわたしたちにいつくしみの目を注ぎ、

  ひとり子イエスのもとに導いてくださいました。

  わたしたちがその恵みを思い起こし、

  喜びと感謝のうちにあなたをたたえることができますように。

   集会祈願より



第1朗読 イザヤ書 6章1~2a、3~8節


ウジヤ王が死んだ年のことである。わたしは、

高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。

衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。

上の方にはセラフィムがいた。


彼らは互いに呼び交わし、唱えた。

「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。

主の栄光は、地をすべて覆う。」


この呼び交わす声によって、

神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。


わたしは言った。

「災いだ。わたしは滅ぼされる。

わたしは汚れた唇の者。

汚れた唇の民の中に住む者。

しかも、わたしの目は

王なる万軍の主を仰ぎ見た。」


するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。

その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。


彼はわたしの口に火を触れさせて言った。

「見よ、これがあなたの唇に触れたので

あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」


そのとき、わたしは主の御声を聞いた。

「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」

わたしは言った。

「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」



第2朗読 コリントの信徒への手紙一 15章1~11節


兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、

ここでもう一度知らせます。

これは、あなたがたが受け入れ、

生活のよりどころとしている福音にほかなりません。


どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、

しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。

さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。


最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、

わたしも受けたものです。

すなわち、キリストが、

聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、

葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、

ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。

次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。

そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、

大部分は今なお生き残っています。

次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、

そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。


わたしは、神の教会を迫害したのですから、

使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、

使徒と呼ばれる値打ちのない者です。


神の恵みによって今日のわたしがあるのです。

そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、

わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。

しかし、働いたのは、実はわたしではなく、

わたしと共にある神の恵みなのです。


とにかく、わたしにしても彼らにしても、

このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした。



福音朗読 ルカによる福音書 5章1~11節


イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、

神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。


イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。

漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。


そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、

岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。

そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。


話し終わったとき、シモンに、

「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。


シモンは、「先生、わたしたちは、

夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。

しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。


そして、漁師たちがそのとおりにすると、

おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。


そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、

来て手を貸してくれるように頼んだ。

彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、

舟は沈みそうになった。


これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、

「主よ、わたしから離れてください。

わたしは罪深い者なのです」と言った。


とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。

シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。

すると、イエスはシモンに言われた。

「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」

そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。