松村神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。
【福音メッセージ】
(5月22日)復活節第6主日 福音のメッセージ 「一致」
松村繁彦 神父
今日の第一朗読では、ペトロを中心とした弟子たちの最初の会議、使徒会議(第一エルサレム公会議とでもいうのだろうか)が開かれたが、そこで議論となったのは、律法を厳格に守るべきかそうではないかという議論が中心であった。人間が集まるとどうしてもルールというものや基準になるものが必要となるし、人が増えれば統治するためには厳密にしていかなければ、後々面倒になるから決め事は、ある程度致し方ないことでしょう。
ただその場合、人間同士の議論だとどうしても「守る」か「守らないか」の間の二択で論争が起きてしまうが、今日の福音は第3の道を私たちに教えてくれているのではないだろうか。
「わたしを愛する人は、私の言葉を守る・・・父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」「・・・聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え。」「わたしは・・・わたしの平和を与える」
教会で「聖霊による識別」という言葉を聞いたことがあるかもしれない。イエスは自らの平和を「世が与えるように与えるのではない。」ということから、違う導き方があることを教え、それが聖霊によることであることを知らせる。聖霊は一致へ導くものであって、分裂していたら「神不在」を示す。「神不在」ならば「愛不在」、誰かと一緒に居るのも嫌になる。
昔、高校生の時に練成会があり、同じ世代が大勢集まった。3泊かけていろいろと分かち合い、作業をしながら神様のことを話した。多感な時期ではあったが、「こんなに充実した時」「密度の濃い時間」を過ごしたのも初めてだった。わずかな時間なのに同じグループのメンバーの気持ちが手に取るようにわかり、互いの心が通じ、この時間「凝縮された時」と感じた。もっと長く続いたらと思った経験があった。まるで兄弟姉妹を通り越して一体となる経験。きっとその時聖霊の風が吹き、我々を一致に向かわせたのだろうと今も信じている。その時のグループのメンバーの心の向きようを考えながら今、現代社会ではどれだけ人々の心がバラバラだろうか。その人たちが一致の体験もしないで議論するのだから当然分裂するし、一般的な判断しかできないのだろう。
大事なことは、我々の心が共同体のために「神とともに住み」「言葉を超えて理解し」、そして「キリストの平和」にあずかり「聖霊に聞き従い判断する」こと。つまり「一致の体験」。神の愛に包まれたとき、その答えは「律法を守るか守らないか」ではなく、知らないうちに答えが導かれる。これは一人ではできない。
今回のペトロの回答は、「必要なこと以外に重荷を負わせない」こと「派遣されたものの言葉を聞くこと」。それは一人一人弟子となった私たちに、より愛を聞き・語り・派遣される力が与えられていることを、もっと信じるようにと言う私たちへのエールなのだろうと感じた。
【聖書朗読箇所】
主イエスの父である神よ、
あなたはみことばと聖霊によってわたしたちの内に来られ、
いつもともにいてくださいます。
ここに集うわたしたちの心をキリストの平和と喜びで満たしてください
集会祈願より
第1朗読 使徒言行録 15章1~2、22~29節
ある人々がユダヤから下って来て、
「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、
あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。
それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、
激しい意見の対立と論争が生じた。
この件について使徒や長老たちと協議するために、
パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。
そこで、使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、
パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。
選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、
兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。
使徒たちは、次の手紙を彼らに託した。
「使徒と長老たちが兄弟として、
アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、
異邦人の兄弟たちに挨拶いたします。
聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、
わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、
あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。
それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、
そちらに派遣することを、
わたしたちは満場一致で決定しました。
このバルナバとパウロは、わたしたちの主イエス・キリストの名のために
身を献げている人たちです。
それで、ユダとシラスを選んで派遣しますが、
彼らは同じことを口頭でも説明するでしょう。
聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、
一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。
すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、
みだらな行いとを避けることです。
以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」
第2朗読 ヨハネの黙示録 21章10~14、22~23節
この天使が、“霊”に満たされたわたしを大きな高い山に連れて行き、
聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、
天から下って来るのを見せた。
都は神の栄光に輝いていた。
その輝きは、最高の宝石のようであり、
透き通った碧玉のようであった。
都には、高い大きな城壁と十二の門があり、
それらの門には十二人の天使がいて、名が刻みつけてあった。
イスラエルの子らの十二部族の名であった。
東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。
都の城壁には十二の土台があって、
それには小羊の十二使徒の十二の名が刻みつけてあった。
わたしは、都の中に神殿を見なかった。
全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。
この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。
神の栄光が都を照らしており、 小羊が都の明かりだからである。
福音朗読 ヨハネによる福音書 14章23~29節
イエスはこう答えて言われた。
「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。
わたしの父はその人を愛され、
父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。
わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。
あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、
わたしをお遣わしになった父のものである。
わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。
しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、
あなたがたにすべてのことを教え、
わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。
わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。
心を騒がせるな。おびえるな。
『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』
と言ったのをあなたがたは聞いた。
わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。
父はわたしよりも偉大な方だからである。
事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、
今、その事の起こる前に話しておく。