2022年6月11日土曜日

6月12日 三位一体の主日

 湯澤神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。



【福音メッセージ 湯澤神父】


2021年6月12日 三位一体の主日

兄弟姉妹の皆様

  「三つにて一つくしき神、教えのままに我は信ず」。覚えているでしょうか。『カトリック聖歌集』の232番の出だしです。まさに私たちは、三位一体の神は神秘ですからとにかく教えられたままに信じなさい、と教わりました。

  神秘、その通りでしょう。どう考えても三つは一つになりませんし、一つは三つになりません。しかし、この教えの背景となっているものを考えてみましょう。背景には、神父たちが学ぶスコラ哲学、スコラ神学にあります。そして、この基本は存在論という難しい議論です。古代のギリシア人たちが探究したのは、「あるとは何だろうか」ということでした。そして、あるということはどうしても「あるもの」の「ある」の研究になります。とすると、存在の根源である神様も、あるものということになります。つまり、父と子と聖というと、三つのあるものということになるのです。しかし、三つはどうしても一つになりません。とはいえ、三位一体の神様ですから、三つが一つ、一つが三つという話になり、それは神秘で、教えられたままに信じなさいということになります。

  では教会はこのようにだけ神様について考えているのでしょうか。実は、そうでもないのです。例えば、聖家族の原型は三位一体の交わりにあります。つまり、神様を交わりとして見る見方です。福音書を書いたヨハネは交わりとして神様を見ています。ヨハネが意識していた否かは明白ではありませんが、互いに愛し合う愛の原型が三位一体の神様にあるなら、その愛は一つになる愛です。イエス様は、「父が私を愛したように、私もあなた方を愛してきた。私の愛に留まりなさい」、また「互いにありし合うこと、これが私のおきてである」。「友のために命を捨てる、これに勝る大きな愛はない」とおっしゃっていいます。御子の御父への愛は、御父の御子への愛ですが、イエス様は、同時に弟子たちとの間に成り立つように願っています。この「愛・愛する」という言葉は、愛する者のために愛する者にとっての最も善いものを選び、与えようとする愛を意味しています。つまり、御父は御子に対して最高のものを願い、最高のものを与えようとします。同じようにそれに私たちをそれに加えようともしています。それは、御父と御子が一つになるような愛です。ですから、私たちも御子と御父と一つの成る愛の内に入れてもらえるのです。

  ヨハネは、その第一の手紙の中でこう述べています。御子を伝えるのは、あなた方も「私たちと交わりを持つようになるためです」。「私たちの交わりとは、私たちが父とその子イエス・キリストとに交わることです」。まさに私たちが生きている神様の交わり、御父と御子の交わりに私たちも加えていくことなのです。だから私たちは、神様を伝えるのです。神様まで含めた大きな愛の交わりこそ、三位一体の交わりの広がりです。神様を交わりとして見直すとき、三位の交わりに留まらない大きな交わりを想像することができます。こうして、神様のことを交わりとして見ることは大切なことではないでしょうか、そして、その神様を伝え、その交わりを広げることも。 湯澤民夫



【聖書朗読箇所】


聖なる父よ、

  あなたは、みことばと聖霊を世に遣わし、

  神のいのちの神秘を示してくださいました。

  唯一の神を礼拝する私たちが、

  三位の栄光をたたえることができますように。

   集会祈願より




第1朗読 箴言 8章22~31節


 (神の知恵は語る。)

「主は、その道の初めにわたしを造られた。

いにしえの御業になお、先立って。

永遠の昔、わたしは祝別されていた。

太初、大地に先立って。

わたしは生み出されていた

深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。

山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが

わたしは生み出されていた。

大地も野も、地上の最初の塵も

まだ造られていなかった。

わたしはそこにいた

主が天をその位置に備え

深淵の面に輪を描いて境界とされたとき

主が上から雲に力をもたせ

深淵の源に勢いを与えられたとき

この原始の海に境界を定め水が岸を越えないようにし

大地の基を定められたとき。

御もとにあって、わたしは巧みな者となり

日々、主を楽しませる者となって

絶えず主の御前で楽を奏し

主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し

人の子らと共に楽しむ。




第2朗読 ローマの信徒への手紙 5章1~5節


 (皆さん、)わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、 神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。 わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 希望はわたしたちを欺くことがありません。 わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。




福音朗読 ヨハネによる福音書 16章12~15節


 (そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)言っておきたいことは、まだたくさんあるが、 今、あなたがたには理解できない。 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。 その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。 その方はわたしに栄光を与える。 わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。 だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」