2022年7月9日土曜日

7月10日 年間第15主日

 ウルバン神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。



【福音メッセージ】


年間第15主日     2022年 7月10日    

 “ 私の隣人とはだれですか”             ウルバン神父

ある人はエルサレムからエリコへ下って行った。私は小さい時からこの話を知って、これをちょっと震えながらも、喜んで聞いていた。私達も今覗きながら、 旅する人について行きましょう。

何時間も寂しい砂漠を通る遠い道だった。暫くの間まだあちこち羊の群れに出会ったが、だんだん緑が消えて怖い砂漠に入った。時間が進んでエリコに向かって下り道を進むと、暑さに覆われた。草が一本も見えなくなって、渇きを癒す水もなかった。鳥の鳴き声もなかった。石だらけの狭い道の左右に、高い岩の山ばかりがあった。旅人はもう疲れて、命のない恐ろしい自然を見回しながら、心が震えてきた。突然ひどい叫び声があって、岩の陰から追いはぎが走ってきた。追いはぎはその人を殴りつけ、裸にして、半殺しにしたまま消えてしまった。

意識が戻ったら、体から血と共に命が流れ出るのを知った。ホラ、音が聞こえた、足音だ。司祭が歩いて来た。アア、良かった。ところが、行ってしまった。「せっかく神殿で清められたから、神様に呪われたあの血だらけな者に触れたら、汚されるんだ」と。「ああ、また誰が来る。聖なるレビ人だ」。最後の力で手を上げて「助けて」と言い出したが、その人も血が付かないように白い衣をも持ち上げて、祈りながら行ってしまった。旅人は絶望と暗闇に沈んだ。もう夕方になった。太陽が次第に沈みそうになった。沈けさの中に獣の声が聞こえた。体の上にいっぱい虫がいて血を吸っていた。また音が聞こえた。『タプ、タプ』ああ、ロバだ。良かった。ちょっと覗くと「大変だ。サマリア人だ。今度は殺される」と隠れようとした。足音が近づいて、頭のそばに止まった。体と心が震えた時に優しい声か聞こえた「友よ、もう震えるな。安心して、あなたを助けるよ」と、柔らかい手に抱かれた。水を飲ませて、ひどい傷を油とぶどう酒で癒した後、ロバに乗せて、抱きながらエリコの手前の宿屋に連れて行った。そこで夜中、彼の側にいて居眠りを見守っていた。

その夜は二人にとって恵みの夜となった。二人は一生失わない友を得たのだ。隣人となるのは実に美しい事です。傷を包帯するだけではなく、相手に希望を与える人になる。不信頼は深い信用に、暗闇は光に、孤独は暖かさに変わる。隣人に手を伸ばすのは、美しい心と心の出会いです。二人の心の中の喜びはもう奪われることはない。私の隣人、あなたの隣人はどこにいるのでしょう。

何十年前の事でした。二人の若者が朝早く道端に座っていた。16才の私と私の兄でした。夏休みの時、何百㎞離れた古里へ帰ろうとしたが、お金はなかった。一日歩いた後どこかの草の中で寝ていた。夜に雨が降ったが、いま道端で、腹の餓を我慢しながら、止まってくれる車を待っていた。「おお、車が止まっている」と叫んで二人は走っていた。すごいアメリカンの車でした。中には若い黒人の軍人いた。「Oh boys, come in please」と呼ばれた時、私たちは急いで車に乗った。とっても嬉しかったが、そのうちに腹が「ググ」となった。若い軍人は袋に手を入れて、でっかいサンドを出した。ワァァ、ステーキサンドウイッチでした。彼を見つめながら美味しく食べていた。ただの一回の出会いでした。若い黒人の軍人は私達を忘れたと思うが、私の心の中に彼はまだ生きています。


【聖書朗読箇所】


いつくしみ深い父よ、、

  人とのかかわりを見失い、

  愛に飢え渇く世界に、

  主イエスは、

  ことばと行いをとおして愛をもたらしてくださいました。

  わたしたちが、きょう語られるキリストのことばを、

  誠実に受け止めることができますように。

   集会祈願より



第1朗読 申命記 30章10~14節


 (モーセは民に言った。あなたは、)あなたの神、主の御声に従って、 この律法の書に記されている戒めと掟を守り、 心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主に立ち帰(りなさい)。

 わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。 それは天にあるものではないから、「だれかが天に昇り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。 海のかなたにあるものでもないから、「だれかが海のかなたに渡り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。 御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。




第2朗読 コロサイの信徒への手紙 1章15~20節


 御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。 天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、 王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。 つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。 御子はすべてのものよりも先におられ、 すべてのものは御子によって支えられています。 また、御子はその体である教会の頭です。 御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。 こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。 神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、 その十字架の血によって平和を打ち立て、 地にあるものであれ、天にあるものであれ、 万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。




福音朗読 ルカによる福音書 10章25~37節


 (そのとき、)ある律法の専門家が立ち上がり、 イエスを試そうとして言った。 「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」 イエスが、「律法には何と書いてあるか。 あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、 彼は答えた。 「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、 あなたの神である主を愛しなさい、 また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」 イエスは言われた。 「正しい答えだ。それを実行しなさい。 そうすれば命が得られる。」 しかし、彼は自分を正当化しようとして、 「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。 イエスはお答えになった。 「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、 追いはぎに襲われた。 追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、 半殺しにしたまま立ち去った。 ある祭司がたまたまその道を下って来たが、 その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、 その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、 その人を見て憐れに思い、 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、 宿屋に連れて行って介抱した。 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、 宿屋の主人に渡して言った。 『この人を介抱してください。 費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』 さて、あなたはこの三人の中で、 だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」 律法の専門家は言った。 「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。 「行って、あなたも同じようにしなさい。」