2022年7月23日土曜日

7月24日 年間第17主日

 松村神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。




【福音メッセージ】 年間第17主日 C年 2022年7月24日  松村神父

今回は「祖父母と高齢者のための世界祈願日」である本日の教皇のメッセージから考えてみたいと思います。

 教皇は詩編を用いて「白髪になってもなお実を結び」(詩編92:15)と、語りだし、これこそ福音、これこそ喜びの知らせであると私たちにメッセージを与えてくださいました。そこで個人的に思い出したことを分かち合いたいと思います。

 2016年4月に熊本県を襲った熊本地震。多くの被害を出して東日本大震災に引き続いて日本に不安を与えました。当時東日本大震災の復興支援担当をしていた私は、急遽熊本に対しても復興支援を始め、教区内で集めた募金をどこに振り分けるかを吟味し、決定したところに視察を兼ねて直接手渡しに行くことにしました。11月に現地視察に仲間の司祭を派遣し、その土産話を聞いたところ、阿蘇の麓の過疎地域“西原村”というところで面白い活動を行っていると、情報をいただきました。そこでは高齢者が率先して復興に立ち上がっていました。というよりも、もともと若い人がいないので、若い人がいなくてもできることをしなければと、みずから”爺(じじぃ)“”婆(ばばぁ)“の農業復興、頭文字を取って”じ・ば“産業(地場産業)を始めました。西原村の町長が、町長を辞職し復興に全精力をかけ呼びかけたところ、多くのじじ・ばばが立ち上がったのです。その勢いと努力、ネーミングのセンスから、復興支援担当として飛びついたわけです。翌年に早速募金をもって訪れ、現地の復興状況などを拝見したところ、さすが年の功。米と栗を中心に、素晴らしいものを作り上げ、また多くのネットワークまでつながりを持たれていました。九州全域から収穫時には若い人たちが手伝いに訪れ、じじ・ばばさん達はよりパワーアップし、若返り、逆に訪れた私たちのほうが元気をいただいたのでした。

 門をたたくものには、神様は開いてくださることを示されたことを実感した出来事でした。彼らは信者ではない人たちのほうが多いのですが、カトリックのネットワークも上手に生かし、西原村の人が一人も零れ落ちないよう元町長が配慮し、また自分たちの家の立て直しを最後に回し、村の復興に皆を巻き込んで再構築に臨んだ姿は、言葉にならない願いと祈りと力を感じました。その行動からまさに「白髪になっても実を結び」続けようとする高齢者の底力を目の当たりにしたときに、まだまだ高齢者であっても前線で生きる人々であることを意識づけられたのでした。私はこの一連の中にすべてが凝縮されていると感じます。

 力は衰えるものと決め、その身を引いていく人たちは多くいます。確かにできることは限られてきているのは事実ですが、逆により研ぎ澄まされ神の知恵が輝き出る姿があります。それは人の力ではなく、神様がこの身を通して示しています。隠し持つのではなく、証していくことが求められます。教皇は「高齢者は孫をひざの上で抱きしめるとき」でもあると訴えています。「ひざの上に座らせること」「だきしめること」「語ること」を成り立たせるのは高齢者でなければできません。そこに多くの実が結ばれ、その実を食する多くの子供たちがいることを忘れないようにしましょう。皆さんは神様に選ばれていること、若い人にはできないことを担っています。年齢を超えて尊敬しあい、神の弟子として選ばれた喜びの知らせを味わい、もうひと踏ん張りいたしましょう。


【聖書朗読箇所】

いのちの源である神よ、

 主イエスはわたしたちに、

 あなたを父と呼ぶことを教えてくださいました。


 主のことばに従い、

 ともに祈るために集まったわたしたちを祝福し、

 聖霊の光りで満たしてください。

集会祈願より


第1朗読 創世記 18章20-32節

 (その日、)主は言われた。

 「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、 と訴える叫びが実に大きい。 わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」

 その人たちは、更にソドムの方へ向かったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。 アブラハムは進み出て言った。

 「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。 あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。 正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、 あなたがなさるはずはございません。 全くありえないことです。 全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」

 主は言われた。

 「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」

 アブラハムは答えた。

 「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。 もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。 それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」

 主は言われた。

 「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」

 アブラハムは重ねて言った。

 「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」

 主は言われた。

 「その四十人のためにわたしはそれをしない。」

 アブラハムは言った。

 「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。 もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」

 主は言われた。

 「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」

 アブラハムは言った。

 「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」

 主は言われた。

 「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」

 アブラハムは言った。

 「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。 もしかすると、十人しかいないかもしれません。」

主は言われた。

「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」


第2朗読 使徒パウロのコロサイの教会への手紙 2章12-14節

 (皆さん、あなた方は、)洗礼によって、キリストと共に葬られ、 また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、 キリストと共に復活させられたのです。 肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、 神はキリストと共に生かしてくださったのです。 神は、わたしたちの一切の罪を赦し、 規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、 これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。


福音朗読 ルカによる福音 11章1-13節

 イエスはある所で祈っておられた。 祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、 わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。 そこで、イエスは言われた。 「祈るときには、こう言いなさい。

 『父よ、

 御名が崇められますように。

 御国が来ますように。

 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。

 わたしたちの罪を赦してください、

 わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。

 わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」

 また、弟子たちに言われた。 「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、 真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。 『友よ、パンを三つ貸してください。 旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、 何も出すものがないのです。』 すると、その人は家の中から答えるにちがいない。 『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、 子供たちはわたしのそばで寝ています。 起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』 しかし、言っておく。 その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、 しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。 そこで、わたしは言っておく。 求めなさい。そうすれば、与えられる。 探しなさい。そうすれば、見つかる 。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、 門をたたく者には開かれる。 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、 魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、 自分の子供には良い物を与えることを知っている。 まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」