2022年7月15日金曜日

7月17日 年間第16主日

 湯澤神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。



【福音メッセージ】 


年間第16主日 C年 2022年7月17日 湯澤神父

兄弟姉妹の皆様

  今日の福音は、イエス様の一行がマリアとマルタの家を訪問した時の話です。おそらく二人は、イエス様に好意を持っており、喜んで迎えたのでしょう。しかし、実際に受け入れた時に問題が起こります。マルタは、行動的な女性だったのでしょう。一行をもてなそうと考えたようです。部屋を準備したり、お茶などを準備したり、歓迎するには、色々と大変なことがあります。他方、姉妹のマリアは、イエス様の言葉にひかれて、離れられなくなっていたのかもしれません。

  そこで、猫の手も借りたいマルタは、イエス様に言います。「マリアは、わたしだけに働かせて、一向に手伝おうとしていません。手伝うように注意してください」と。どこまで本気だったのか、軽く不満を述べたのか、その辺はわかりませんが、親しさを考えると、軽い感じだったのではないでしょうか。

  ところで、イエス様の時代、律法(神のことば)に関して何が大切かが問題になっていました。つまり、律法を聞き、学ぶことが重要で先か、それとも実践することが重要で先か、という問題です。イエス様の時代は、まず神のことばを聞き、それから実践するというように、聞くことが優先するという考えが主流だったようです。おそらくイエス様もそれに従ったのではないでしょう。ですから、まず大切なことは、マリアのように神のことばに耳を傾けることだということでしょう。これを実践するとなると、様々な条件が係って来て、それこそ心が乱れてしまいます。そんなときも、やはり神のことばに立ち返り、神のことばに戻る他ないのです。

  11月末に、ミサの中のことばが新しく変えられるところがあります。その中に、今現在は、神のことばの朗読の後に、侍者や朗読者が言っている曖昧なことばがありますが、11月以降は、はっきり宣言しなければならなくなるところがあります。第一と第二朗読の後、朗読者は「神のことば」と宣言し、一同は「神に感謝」と応え、福音朗読の後には朗読者が「主のみ言葉」と宣言し、一同が「キリストに賛美」と応えます。

  マリアとマルタの出来事を、こうした具体的な事例に当てはめてみましょう。ミサにおいて私たちは、朗読を聞くのではありません。そこで語られる神様の言葉、キリストの言葉を聞くのです。神御自身が、そしてキリスト御自身が語り掛けられるのです。朗読なら聞き流すことはできるでしょうが、じかに語り掛けられたら黙っているわけにはいません。何らかの反応をします。説教も同じです。それこそ朗読における神とキリストの現存です。まず聞かなければ、相応しい応えは出てきません。そうでないと、応えにはならず、勝手な行動をする人の勝手な思い込みが入り込む余地が生まれるからです。ミサの中で神とキリストの言葉に耳を傾ける大切さを、思い起こしてみましょう。


【聖書朗読箇所】

救いの源である神よ、

  あなたはいつもわたしたちのもとを訪れ、

  語りかけてくださいます。

  神の子として集められたわたしたちが、

  きょう語られるいのちのことばに

  耳を澄ますことができますように。

集会祈願より



第1朗読 創世記 18章1-10a節

 (その日、)主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。 暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。 目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。 アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、言った。

 「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。 水を少々持って来させますから、 足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。 何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。 せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。」 その人たちは言った。

「では、お言葉どおりにしましょう。」

 アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った。

「早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。」

 アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、 召し使いに渡し、急いで料理させた。  アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。 そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした。

 彼らはアブラハムに尋ねた。

 「あなたの妻のサラはどこにいますか。」

「はい、天幕の中におります」とアブラハムが答えると、彼らの一人が言った。

 「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、 そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」


第2朗読 使徒パウロのコロサイの教会への手紙 1章24-28節

 (皆さん、)今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの 苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。 神は御言葉をあなたがたに余すところなく伝えるという務めをわたしにお与えになり、この務めのために、わたしは教会に仕える者となりました。 世の初めから代々にわたって隠されていた、秘められた計画が、今や、神の聖なる者たちに明らかにされたのです。 この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。 その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。 このキリストを、わたしたちは宣べ伝えており、すべての人がキリストに結ばれて完全な者となるように、知恵を尽くしてすべての人を諭し、教えています。


福音朗読 ルカによる福音 10章38-42節

 (そのとき、)イエスはある村にお入りになった。 すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。 彼女にはマリアという姉妹がいた。 マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。 「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。 手伝ってくれるようにおっしゃってください。」 主はお答えになった。 「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 しかし、必要なことはただ一つだけである。 マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」