今日は聖家族のお祝いの日です。
今日のこの日を、自分のかけがえのない大切な家族のことを想う日としませんか?
今日の主日ミサを司式された祐川神父様のお説教の一部をご紹介します。
私が施設長を任されているフィリピン イースタービレッジでは、
様々な事情によって家族と離れ離れになった子供たちを預かっています。
しかし、私たちが彼らに対してどんなに愛情を持って接しても、本当の家族とは違い、そこにはどうしても限界があります。
彼らにとって、設備の整った施設で、栄養のあるものを食べ快適に過ごせる環境も確かに必要なことだけれど、それにも増して何よりも大切なことは、家族の中で必要とされ愛情を受けて育てられることだと思っています。
イザヤ書49章14~15節にもこうあります。
シオンは言う。主はわたしを見捨てられた
わたしの主はわたしを忘れられた、と。
女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも
わたしがあなたを忘れることは決してない。
たとえ貧しくても、家族に囲まれて生活していくことは、心の在り様のうえでも最も大切なことです。
このことを確信してるため、施設ではなるべく早く家族の元に戻れるよう、また里親を見つけるような努力をしています。
日本人は、言葉での愛情表現を得意としていませんが、
言葉以外での方法でもかまわないので、自分の家族に対して愛情を伝えることはとても重要なことです。
今日お集まりの皆さんも、今日のこの「聖家族」の祝日を、かけがえのない大切な家族のことを想う日とし、愛情を伝えるよう努めてみてはいかがでしょう。
【編集後記】
今年も残すところ、あとわずかとなりました。
当教会のホームページ、ブログ、フェイスブックの本年中の更新につきましては、
これで終わりになります。1年間有難うございました。
新年からは、また新たな気持ちで教会の近況や出来事についてお伝えさせていただこうと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。
新年にまた、お会いしましょう!
2013年12月29日日曜日
「夕べの会」
12月28日午後4時から、カテドラルホールで「夕べの会」を行いました。
当教会の信徒をはじめ、森田神父様、神学生の佐久間さんと箕島さん、そして英語ミサの方々も集い、おいしい食卓を囲んで楽しく語らいました。
終盤には、恒例のビンゴ大会が行われ、景品を手に童心に帰って無邪気にはしゃぐ姿も見られました。
当教会の信徒をはじめ、森田神父様、神学生の佐久間さんと箕島さん、そして英語ミサの方々も集い、おいしい食卓を囲んで楽しく語らいました。
終盤には、恒例のビンゴ大会が行われ、景品を手に童心に帰って無邪気にはしゃぐ姿も見られました。
櫻谷実行委員長の音頭で「かんぱーい!」
神学生の箕島さんとメリンダさん
森田神父様も参加
どれにしようかな?
箕島さんは、何が当たったのでしょう?
カルロスはケン玉をゲット、ご満悦です。
(親子ではありません)、運営委員長と菅野さんお揃いの景品を装着して、ハイポーズ
とてもお似合いです。
2013年12月24日火曜日
主の降誕(夜半のミサ)
クリスマスおめでとうございます!
救い主イエス・キリストの誕生をお祝いしましょう。
午後7時から、勝谷司教様の司式により主の降誕のミサが行われました。
第1朗読イザヤ書(9・1)「闇の中を歩む民は、大いなる光を見」にあるように、聖堂の明かりが消された中を司教様と侍者が入堂し、馬小屋のローソクから火を取り、会衆が手に持ったローソクに移されました。
勝谷司教様のお説教の一部をご紹介します。
イエス様がお生まれになった頃の時代は、貧しく病気に苦しむ人々は罪のために神様から罰を受けているのだと信じられていました。しかし、イエス様はこのような人々こそが神様に選ばれたものと教えられました。
いつの時代も貧しさや病気で苦しんでいる人々の多くは、罰のせいではなく人間が生み出している社会悪が原因で苦しみを受けています。
身重のマリアとヨセフを拒んだ宿屋も、決して悪人という分けではありません。彼らにしても自らの仕事を忠実にこなしているだけで、罪を犯しているという意識はなかったはずです。人間のエゴや欲望というものは、無意識のうちにも広がっていくものです。
今日のミサの入堂の際、暗闇の中でローソクに火を灯し、お集まりの人々の手から手へと光が渡されていきました。闇は決して光を消すことはできません。
このように神様もイエス様がお示しになった愛の教えを、人々が自らの手で述べ伝えていくことを望んでおられます。
私たちに出来ることは何なのかということを考えるクリスマスとしましょう。
救い主イエス・キリストの誕生をお祝いしましょう。
午後7時から、勝谷司教様の司式により主の降誕のミサが行われました。
第1朗読イザヤ書(9・1)「闇の中を歩む民は、大いなる光を見」にあるように、聖堂の明かりが消された中を司教様と侍者が入堂し、馬小屋のローソクから火を取り、会衆が手に持ったローソクに移されました。
勝谷司教様のお説教の一部をご紹介します。
イエス様がお生まれになった頃の時代は、貧しく病気に苦しむ人々は罪のために神様から罰を受けているのだと信じられていました。しかし、イエス様はこのような人々こそが神様に選ばれたものと教えられました。
いつの時代も貧しさや病気で苦しんでいる人々の多くは、罰のせいではなく人間が生み出している社会悪が原因で苦しみを受けています。
身重のマリアとヨセフを拒んだ宿屋も、決して悪人という分けではありません。彼らにしても自らの仕事を忠実にこなしているだけで、罪を犯しているという意識はなかったはずです。人間のエゴや欲望というものは、無意識のうちにも広がっていくものです。
今日のミサの入堂の際、暗闇の中でローソクに火を灯し、お集まりの人々の手から手へと光が渡されていきました。闇は決して光を消すことはできません。
このように神様もイエス様がお示しになった愛の教えを、人々が自らの手で述べ伝えていくことを望んでおられます。
私たちに出来ることは何なのかということを考えるクリスマスとしましょう。
ミサの後は、カテドラルホールで降誕祭の祝賀会が行われました。
馬小屋に幼子のイエス様が飾られました
2013年12月22日日曜日
待降節第4主日
もうすぐ待ちに待ったクリスマスです。
アドベント・クランツのローソクにも4本全てに火が灯りました。
今日の福音(マタイ1・18-24)では、聖霊によって身ごもったマリアと縁を切ろうと決心したヨセフの夢の中に主の天使が現れます。そしてヨセフにこう言います。
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。
マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
マリアは男の子を産む。
その子をイエスと名付けなさい。
この子は自分の民を罪から救うからである。」
今日の主日ミサの司式は祐川神父様でした。
開祭のあいさつで、
「アドベントクランツのローソクにも4本全てに火が灯りました。待ちに待ったクリスマスまでいよいよ後3日になりました」というご挨拶がありました。
神父様のお説教の一部をご紹介します。
今日の福音朗読の箇所にも出てきたように、マタイ福音書の特徴として、「神は私たちと共におられる(インマニエル)」という言葉があります。
ひとつには、神様は創造した業の中におられる。二つ目には、み言葉や聖体の中におられる。そして三つ目には、イエス・キリストの人格の中におられます。
もうすぐクリスマスが訪れます。そして子供たちはサンタクロースを楽しみに待っているはずです。しかし、ある意味ではサンタクロースは必要ない方がよいのかもしれません。それは、私たち一人ひとりが困難の中にいる人たちのためにサンタクロースになることです。どうかそのような心でクリスマスを迎えましょう。
佐藤神学生が帰省しており、今日のミサで侍者をお手伝いいただきました。閉祭前のお知らせの中で祐川神父様から紹介がありご挨拶されました。来年3月には祭壇奉仕者の任命を受ける予定だそうです。
【降誕祭ミサ時間のお知らせ】
アドベント・クランツのローソクにも4本全てに火が灯りました。
今日の福音(マタイ1・18-24)では、聖霊によって身ごもったマリアと縁を切ろうと決心したヨセフの夢の中に主の天使が現れます。そしてヨセフにこう言います。
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。
マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
マリアは男の子を産む。
その子をイエスと名付けなさい。
この子は自分の民を罪から救うからである。」
今日の主日ミサの司式は祐川神父様でした。
開祭のあいさつで、
「アドベントクランツのローソクにも4本全てに火が灯りました。待ちに待ったクリスマスまでいよいよ後3日になりました」というご挨拶がありました。
神父様のお説教の一部をご紹介します。
今日の福音朗読の箇所にも出てきたように、マタイ福音書の特徴として、「神は私たちと共におられる(インマニエル)」という言葉があります。
ひとつには、神様は創造した業の中におられる。二つ目には、み言葉や聖体の中におられる。そして三つ目には、イエス・キリストの人格の中におられます。
もうすぐクリスマスが訪れます。そして子供たちはサンタクロースを楽しみに待っているはずです。しかし、ある意味ではサンタクロースは必要ない方がよいのかもしれません。それは、私たち一人ひとりが困難の中にいる人たちのためにサンタクロースになることです。どうかそのような心でクリスマスを迎えましょう。
佐藤神学生が帰省しており、今日のミサで侍者をお手伝いいただきました。閉祭前のお知らせの中で祐川神父様から紹介がありご挨拶されました。来年3月には祭壇奉仕者の任命を受ける予定だそうです。
【降誕祭ミサ時間のお知らせ】
- 12月24日(火)主の降誕(夜半のミサ)19:00~
- 12月25日(水)主の降誕(日中のミサ)10:00~
2013年12月15日日曜日
待降節第3主日
待降節も半ばを過ぎました。
今日の福音(マタイ11・2-11)では、牢獄に捕らえられた洗礼者ヨハネがイエスの元に遣わした弟子に対し、イエスは自分がメシアだと伝えました。そして群集に対し、ヨハネこそ神の使者エリアであることを告げました。
今日の主日ミサの司式は、祐川神父様でした。
お説教の中で、この待降節の間に回心や「ゆるしの秘跡」に臨む際には、どうか共同体や社会の関わりの中での「自分」ということも意識されることを勧めます。というお話がありました。
今日の福音(マタイ11・2-11)では、牢獄に捕らえられた洗礼者ヨハネがイエスの元に遣わした弟子に対し、イエスは自分がメシアだと伝えました。そして群集に対し、ヨハネこそ神の使者エリアであることを告げました。
今日の主日ミサの司式は、祐川神父様でした。
お説教の中で、この待降節の間に回心や「ゆるしの秘跡」に臨む際には、どうか共同体や社会の関わりの中での「自分」ということも意識されることを勧めます。というお話がありました。
アドベントクランツの3本のローソクに火が灯りました
2013年12月8日日曜日
待降節第2主日
今日の主日ミサは勝谷司教様による主司式で行われました。(祐川神父様 共同司式)
勝谷司教様のお説教の一部をご紹介します。
今日の福音で、洗礼者ヨハネは回心について語りかけます。
ヨハネの言葉は、厳しさに満ちており恐怖さえ感じさせる箇所もあります。
しかし、キリストの愛の教えをとおすことで
「”我々の父はアブラハムだ”などど思ってもみるな。」という箇所は、
⇒毎週教会に通い信心深い信徒であるからということだけで安心していてはいけません。
また、「神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」については、
⇒誰にでも救いの機会は与えられている。
と解釈することができます。
そして、「麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」という箇所は、
⇒ 痛みを伴うかもしれないが、私たちを覆っている悪しき「しがらみ」という殻を取り去って焼き捨てること、と解釈できます。
回心とは個人的なことではなく、多少の欠点を持ち合わせている私たちが、互いに赦しあい支えあって、微力ではあっても少しでもこの世界を良くしていこうと決心を新にすることといえます。
辛苦に苛まれている人々に、どうして神様は直接救いの手を差し伸べてはくれないのか?という疑問があります。
これは、神は人間を創造されましたが、人間社会における様々な不条理や悪は、人間の行いによる結果からきているものです。
例えば、世界的にみると人間が食する食べ物の絶対量は足りているはずなのに、飢えに苦しむ人々は一向に減らないという現実は、平等に配分がなされていないという問題によります。また、世の中から大小問わず争いごとが絶えることがないということ・・・、など。
神様が本当に望まれていることは、人々が自分達の力で、この世界をより良いものにしていこうという努力をしないさい、ということなのではないでしょうか?
聖母マリアが、イエスを宿すとき、訪れた神のみ使いに対して「はい」と答えたように、私たちも神様の望まれることに対して素直に「はい」と言えることが大切で、そのことなしには何事も良い方向に向かっていくことは難しいでしょう。
【お知らせ】
派遣の祝福の前に、祐川神父様からお知らせがありました。
勝谷司教様のお説教の一部をご紹介します。
今日の福音で、洗礼者ヨハネは回心について語りかけます。
ヨハネの言葉は、厳しさに満ちており恐怖さえ感じさせる箇所もあります。
しかし、キリストの愛の教えをとおすことで
「”我々の父はアブラハムだ”などど思ってもみるな。」という箇所は、
⇒毎週教会に通い信心深い信徒であるからということだけで安心していてはいけません。
また、「神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」については、
⇒誰にでも救いの機会は与えられている。
と解釈することができます。
そして、「麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」という箇所は、
⇒ 痛みを伴うかもしれないが、私たちを覆っている悪しき「しがらみ」という殻を取り去って焼き捨てること、と解釈できます。
回心とは個人的なことではなく、多少の欠点を持ち合わせている私たちが、互いに赦しあい支えあって、微力ではあっても少しでもこの世界を良くしていこうと決心を新にすることといえます。
辛苦に苛まれている人々に、どうして神様は直接救いの手を差し伸べてはくれないのか?という疑問があります。
これは、神は人間を創造されましたが、人間社会における様々な不条理や悪は、人間の行いによる結果からきているものです。
例えば、世界的にみると人間が食する食べ物の絶対量は足りているはずなのに、飢えに苦しむ人々は一向に減らないという現実は、平等に配分がなされていないという問題によります。また、世の中から大小問わず争いごとが絶えることがないということ・・・、など。
神様が本当に望まれていることは、人々が自分達の力で、この世界をより良いものにしていこうという努力をしないさい、ということなのではないでしょうか?
聖母マリアが、イエスを宿すとき、訪れた神のみ使いに対して「はい」と答えたように、私たちも神様の望まれることに対して素直に「はい」と言えることが大切で、そのことなしには何事も良い方向に向かっていくことは難しいでしょう。
【お知らせ】
派遣の祝福の前に、祐川神父様からお知らせがありました。
- 待降節期間中に共同回心式は特に実施しません。赦しの秘蹟を受けたい方は、主日ミサの前に司祭に声をかけてください。
- 今後、毎週金曜日の午後5時から、「洗礼入門」を行います。ご希望の方はどうぞご参加ください。
- 12月14日(土)午後5時から、月寒教会敷地内の「働く人の家(札幌JOC)」で青年対象のクリスマス会が行われます。参加費は500円ですので青年の方でご希望の方はご参加ください。
2013年12月1日日曜日
待降節第1主日
教会暦では今日から新しい年が始まり、そして待降節に入ります。
待降節では救い主イエスの誕生を待ち望むと同時に、終末におけるキリストの再臨にも目を向けさせます。
今日の主日ミサは、祐川神父様の主司式で行われました(勝谷司教様:共同司式)。
お説教では祐川神父様から「待降節の期間、共同体の中で3つのことを心がけて過ごしましょう。一つは、今何をしているか?、2つ目は、何をするべきか?、3つ目は、これから何をしていくか?」というお話がありました。
お説教の後、お二人の方の洗礼入門式が行われました。
これから同じ共同体の中で、洗礼志願式、洗礼準備期を過ごします。温かく迎え入れ、そして無事に洗礼式を迎えることが出来るよう、私たちも支えとなっていくことができますように。
昨日、典礼部では待降節を迎えるにあたりアドベントクランツを準備、そして今日はミサの後、馬小屋とクリスマスツリー、玄関にリースを設置しました。
夜には、クリスマスツリーに灯が点っていることでしょう。
待降節では救い主イエスの誕生を待ち望むと同時に、終末におけるキリストの再臨にも目を向けさせます。
今日の主日ミサは、祐川神父様の主司式で行われました(勝谷司教様:共同司式)。
お説教では祐川神父様から「待降節の期間、共同体の中で3つのことを心がけて過ごしましょう。一つは、今何をしているか?、2つ目は、何をするべきか?、3つ目は、これから何をしていくか?」というお話がありました。
お説教の後、お二人の方の洗礼入門式が行われました。
これから同じ共同体の中で、洗礼志願式、洗礼準備期を過ごします。温かく迎え入れ、そして無事に洗礼式を迎えることが出来るよう、私たちも支えとなっていくことができますように。
昨日、典礼部では待降節を迎えるにあたりアドベントクランツを準備、そして今日はミサの後、馬小屋とクリスマスツリー、玄関にリースを設置しました。
夜には、クリスマスツリーに灯が点っていることでしょう。
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