2013年12月8日日曜日

待降節第2主日

今日の主日ミサは勝谷司教様による主司式で行われました。(祐川神父様 共同司式)


勝谷司教様のお説教の一部をご紹介します。


今日の福音で、洗礼者ヨハネは回心について語りかけます。
ヨハネの言葉は、厳しさに満ちており恐怖さえ感じさせる箇所もあります。
しかし、キリストの愛の教えをとおすことで
「”我々の父はアブラハムだ”などど思ってもみるな。」という箇所は、
⇒毎週教会に通い信心深い信徒であるからということだけで安心していてはいけません。
また、「神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」については、
⇒誰にでも救いの機会は与えられている。
と解釈することができます。
そして、「麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」という箇所は、
⇒ 痛みを伴うかもしれないが、私たちを覆っている悪しき「しがらみ」という殻を取り去って焼き捨てること、と解釈できます。

回心とは個人的なことではなく、多少の欠点を持ち合わせている私たちが、互いに赦しあい支えあって、微力ではあっても少しでもこの世界を良くしていこうと決心を新にすることといえます。

辛苦に苛まれている人々に、どうして神様は直接救いの手を差し伸べてはくれないのか?という疑問があります。
これは、神は人間を創造されましたが、人間社会における様々な不条理や悪は、人間の行いによる結果からきているものです。
例えば、世界的にみると人間が食する食べ物の絶対量は足りているはずなのに、飢えに苦しむ人々は一向に減らないという現実は、平等に配分がなされていないという問題によります。また、世の中から大小問わず争いごとが絶えることがないということ・・・、など。

神様が本当に望まれていることは、人々が自分達の力で、この世界をより良いものにしていこうという努力をしないさい、ということなのではないでしょうか?
聖母マリアが、イエスを宿すとき、訪れた神のみ使いに対して「はい」と答えたように、私たちも神様の望まれることに対して素直に「はい」と言えることが大切で、そのことなしには何事も良い方向に向かっていくことは難しいでしょう。


【お知らせ】
派遣の祝福の前に、祐川神父様からお知らせがありました。

  1. 待降節期間中に共同回心式は特に実施しません。赦しの秘蹟を受けたい方は、主日ミサの前に司祭に声をかけてください。
  2. 今後、毎週金曜日の午後5時から、「洗礼入門」を行います。ご希望の方はどうぞご参加ください。
  3. 12月14日(土)午後5時から、月寒教会敷地内の「働く人の家(札幌JOC)」で青年対象のクリスマス会が行われます。参加費は500円ですので青年の方でご希望の方はご参加ください。