今日の主日ミサを司式された祐川神父様のお説教の一部をご紹介します。
『先週の木曜日に、かでる2・7で行われた北海道知的障がい福祉協会の研修会に講師として呼ばれて行ってきました。何故私が?と思ったのですが、環境が整っていないフィリッピンで福祉活動を行っていることから、という理由だったのでお引き受けしました。その講演では、福祉活動は「しなければならないこと」、「できること」、「やりたいこと」、この3点をバランス良く行っていくことが大切です、というお話をしました。福祉活動は当初は理想を掲げてやっていても、ややもすると、「しなければならないこと」のウェイトが高くなってしまい、「何のためにやっているのか」という最も大切なことを見失ってしまうからです。また、障害者はいわゆる「handicapped persons by society」であり、社会によってハンディキャップを負わされていると理解することが大切です。
さて、今日のマタイ福音書では、イエス様の宣教活動の開始が書かれており、その中で、漁師だったペトロとアンデレ、そしてヤコブとヨハネをイエス様が弟子になるよう誘う場面が出てきます。そして彼らに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われます。彼らは漁師であり、魚を取るプロですが、人間の扱いではプロではありません。
何故、イエス様はそのような彼らを弟子に誘ったのでしょうか?
もしこれが企業であれば、決して優秀とはいえない人材を採用したイエス様は、社長としては失敗としかいいようがないはずです。
また、彼ら以外にも、当時は軽蔑の対象であった職業である徴税人のマタイ、過激派にも例えられる熱心党のシモン、後にイエス様を裏切ることになるユダ、そして本来では最も近づけてはならないはずの迫害の中心人物であったパウロさえも招き入れました。
しかし、イエス様のこの行いこそが、あるがままを受け入れるというイエス様の愛の教えを如実に現していると言えます。そして初代教会から現在の教会に至るまでの根底にもこの姿勢が貫かれていますが、第2朗読「使途パウロのコリントの教会への手紙」では、理想を持ってスタートしたはずの初代教会も大きな問題を抱えていたことが書かれています。
そして、2000年後の今日の教会においても様々な問題があります。札幌教区でも司祭不足は一向に解消されず、特に人口が多い札幌市からの司祭はここ何十年も誕生していないという現実があります。
明日、明後日と新司教が誕生してから初めての全道司祭会議が行われ、いよいよ新体制の具体的なスタートがきられます。勝谷司教様のモットー「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」、そして年頭書簡で示された「司祭中心の教会から信徒中心の教会へ」というテーマを念頭に入れ、神様が欠点だらけの私たちを教会に招いてくれたことの意味と、これから私たちが出来ることは何か?ということを考えていきましょう。』
御ミサの後、運営委員会が行われました。
下記のことが話し合われました。
【お知らせ】
- H26年度教会総会日程:第一候補(5月18日)、第二候補(5月11日)
- 2月9日(日)ミサの後、今年2回目の雪割りを予定しています。
- 3月の上旬から3週間ほど、祐川神父様がフィリピン イースタービレッジに行かれる予定です。
- 信徒による電話当番の簡単な対応マニュアルを用意することになりました。
- 教会内でのコミュニケーションを深めることの助けとして「名札」を付ける取り組みをすることになりました。最初は運営委員会メンバーが率先して始めることにしました。
- 4月12日(土)第15回カテドラルコンサートを行うことになりました。開演予定 15:00、内容 フランソワ・クープラン ルソン・ド・テネーブル全曲演奏会、出演:ソプラノ 小林木綿・陣内麻友美、オルガン 廣野嗣雄、ヴィオラ・ダ・ガンバ 宇田川貞夫