2014年4月20日日曜日

復活の主日

主のご復活おめでとうございます。

復活徹夜祭から一夜明けた今日、勝谷司教様の司式により復活の主日ミサが行われました。


今日の福音は、ヨハネによる福音書の「空(から)の墓」についてです(ヨハネ 20・1-9)。
勝谷司教様のお説教の一部をご紹介します。

『私たち人間は、永遠の時の流れの中にあって、与えられた限りある時間を生きる存在です。今の幸せが永遠にあって欲しい、このまま時が止まってくれたらといくら願っても、残酷にそして冷淡に時は過ぎていきます。永遠の神の存在を知らないものにとっては、過去は過ぎ去り、やがて忘れ去られていくものにすぎません。たとえそれが大切な人との関わりであったにしても、やがては忘却の中に埋没してしまいます。
信仰を持たない人にとって、すなわち人の命がこの世において完結し、死の後には何もないと考える人たちにとって、故人の存在は過去のみとなります。全ての関わりが途切れ、そこに描いていた望みや希望、それら全てが忘れ去られる過去の思い出に過ぎなくなるのです。
それぞれの期待のうちにキリストに付き従っていた使徒たちの多くも、キリストの惨めな死に直面し、そのような思いに捉われて絶望のうちに途方に暮れていたのです。彼らの多くは恵まれない状況の中で、キリストの愛に触れ新しい希望に向かって救い上げられた人たちでした。今日の福音の中に出てくるマグダラのマリア、そして12使徒呼ばれる人たちも例外ではありませんでした。
キリストの死によって彼らの抱いていた明るい未来への希望は、脆くも崩れ去ってしまったのでした。彼らが見た力ある業、彼らが聞いた美しい説教、キリストが示してくれた希望と愛、それらが幻影のごとく崩れ去り、全てが思い出の彼方に消え去ろうとしていたのです。恐れと絶望のうちに彼らは逃げ惑い、混乱の極地に陥っていました。
しかし、そこで彼らは、これまでの人生を全く変えてしまうような出来事を経験するのです。ユダヤ人を恐れ家の中に閉じこもっていた彼らの前にイエスは現れ、「あなたがたに平和があるように」と声をかけられました。絶望と混乱の中にあった彼らの心の中に、この言葉が沁み込んでいきました。
主が復活した!それは全く想像も付かなかったことでした。死と悪に対して全く無力であるとしか思われなかった方が、今、完全な勝利をおさめられて生きておられる。そして、脆くも崩れ去ろうとしていた無力とも思えたような「愛」に、永遠の価値が与えられたのです。
このことは、何よりも今生きることの意味、今私たちが経験している愛する人たちに尽くしていることの全てが、過去の思い出の中に消えていくものではなく、永遠の交わりの中で、確かな価値と永遠の意味があるのだということを私たちに教えてくれます。』

派遣の祝福の前に、司教様からあらためて、昨夜受洗されたお二人(石川さん、川口さん)のご紹介がありました。

おめでとうございます!今後とも共同体の兄弟姉妹としてよろしくお願いします。


奉納されたイースターエッグが、司教様により祝別されました。


閉祭の後、侍者から一つ一つイースターエッグが手渡されました。


場所をカテドラルホールに移して、御復活の祝賀会が行われました。

勝谷司教様、森田神父様と
受洗された川口さん、石川さんを囲んで


勝谷司教様からのご挨拶
司教様は今月いっぱいで住居を司教館に移されるそうです
短い間でしたがお世話になりました


聖歌隊のうた


復活のよろこびのうちに、神に感謝!