共同祈願では、ラテラン教会の献堂の日にちなんで、2年後に控えた当教会の献堂100周年に向けた祈りが捧げられました。
勝谷司教様のお説教の概要をご紹介します。
『今日は、神殿とはいったい何であるのかということを考えてみたいと思います。福音朗読(ヨハネ2・13-22)で、イエス様はエルサレムの神殿から、いけにえとして捧げられる動物を売る商人たち、両替商を追い出しました。祈りの場とはどういうものなのかをはっきり示すための行為だと思いますが、旧約時代の神殿そのものを大切なものと考えたうえでのことではなかったようです。そもそも神殿とは、ヨハネ福音書の最初の方にあるように「人となったみ言葉は私たちの内に住まわれる」という意味を持ち「神がともにいてくださる」という象徴だったわけです。
「神がここにおられる」というのが神殿であるならば、神ご自身が人となって人間の中に住まわれる、つまりイエス様ご自身が神殿そのものであるという意味なのです。
このことは旧約時代の神殿の終わりを告げるものでもあったわけです。
第2朗読でもパウロが「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」と語っています。
では、この建物としての教会は何を意味するものなのでしょうか?
神を信じる人々の集いを意味するものなのです。』
勝谷司教様は月1回程度、この司教座聖堂で主日ミサを司式される予定となっています。
次回の予定は、12月14日(日)です。
御ミサの後、恒例行事の「秋の大掃除」を行いました。
大掃除の後、D地区の皆さんがご用意いただいたあったかーい豚汁をいただきました。
皆さま大変お疲れ様でした。