2015年2月8日日曜日

年間第5主日

札幌では先週の木曜日から「雪まつり」が行われていますが、午前中のうちから季節はずれの雨が降ってきて、せっかくの雪像も溶けてしまうのでないかと心配になります。

今週の11日(水)は、「第23回 世界病者の日」です。教皇フランシスコはヨブ記「わたしは見えない人の目となり、歩けない人の足となった」(ヨブ記29・15)をテーマにメッセージを送られています。↓
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/sick/15sick.htm

今日の主日ミサは、後藤神父様と新海神父様の共同司式により行われました。



後藤神父様のお説教の概要をご紹介します。

『今日の福音朗読では、イエスがペトロとアンデレの兄弟の家に行き、弟子たちの前で病気の母をいやし、さらにイエスの行った奇跡を知り集まってきた病気の人々をいやした出来事が描かれています。恐らく、弟子たちはそれまで、イエスのことをまだ「神の子」、「救い主」とは十分には理解できていなかったことでしょう。この奇跡を間近で目にした彼らの心は一体どのようなものだったのか?神の業として彼らの心に深く刻まれたことでしょう。当時の人々の考えは、「病気」は罪の結果であり罰であるというものでした。イエスから病気をいやされた人々は、神様から罪を赦されたと感じたのではないでしょうか?
イエスの行ったこの業は、イエス自身が神の子であり、救い主であるということを証することにつながっていきます。同時に、人々が集まったペトロの家は、ある意味では教会という姿を表すものであるかもしれません。
イエスは疲労困憊し、ペトロの家で一晩過ごしますが、まだ夜が明けきらないうちに、人気のない寂しいところで一人祈っていたと聖書は伝えています。そのイエスの姿は、祈りによって父なる神と交わり、祈りによって活動の力を得ていたということが私たちに示されます。その姿は、病気の人、貧しい人に寄り添ったマザーテレサを思い起こさせます。
祈りによって全てを考え、祈りによって全てを始める、これは私たちの信仰生活の中においても大切にされなければならないことです。
イエスの姿に習いながら、私たちの信仰も強め成長させていかなければならないと思います。
今週の2月11日は「世界病者の日」です。教皇フランシスコはヨブ記「わたしは見えない人の目となり、歩けない人の足となった」(ヨブ記29・15)をテーマにメッセージを送られています。その中の祈りをご紹介します。
「知恵の座であるマリアよ、病気で苦しむすべての人々と彼らを介護する人々のために、わたしたちの母として執り成してください。苦しんでいる隣人に奉仕することを通して、また苦しみの体験そのものを通して、わたしたちが真の心の知恵を受け入れ、育むことができますように。」
私たち自身も病者に寄り添うことができるように、手を差しのべる心を豊にしていくことができるように祈りましょう。』

御ミサの後、教会敷地の「雪割り」を行いました。
季節はずれの雨の中、皆さん大変お疲れ様でした。
作業の後、B地区の皆さんが用意していただいた豚汁をおいしくいただきました。
有難うございました!おいしかったです。