2015年2月21日土曜日

灰の水曜日

午後6時半から「灰の式」が行われました。
平日に夜にもかかわらず、多くの方が悔い改めの心を胸に聖堂に集まりました。
ミサを司式された後藤神父様と新海神父様から「あなたはちりであり、ちりに帰って行くのです」と額に灰を受けました。



後藤神父様のお説教の概要をご紹介します。

『今日の天気は穏やかで、灰の儀式にも来られやすかったのではと思います。
灰の儀式は、四旬節の精神が特に表されています。集会祈願でもお祈りしたように悔い改めの精神を大切に、謙遜な心を取り戻し四旬節を迎えたいと思います。
40数年前の頃を思い出すと、信徒の会話などをみても、灰の水曜日の迎え方が今とは違っていたことを感じます。
今の時代、私たちは「灰の水曜日」にどんな犠牲を払おうとしているのでしょうか?
私も一信徒であったころ、「灰の水曜日」に犠牲と善行の誓いを立てるのですが、大体は三日もたてば、志が崩れてしまったものです。当時の神父様からは、「誓いは、むやみにたてるものではない、と聖書にも書いてある」と言われた記憶があります。
そんな弱い私たちですが、神様はその決心を大事にしてくださっています。
古来から、灰はちりと関係付けられ、人間の罪と儚さを表すものでした。
私たちの罪は、どこから来るのでしょう?
人は誰もが無垢な裸の状態でこの世に生を受けます。しかし、やがて成長するにつれ、自尊心が芽生え、富を追求し、傲慢さや虚栄心を身につけていきます。
ちりから生まれ、ちりに帰ることを忘れると、過ちに陥ることになります。
救いのためにイエスを遣わした慈しみの父である神が新たな恵みで私たちを満たし、神に立ち帰り悔い改めの道を歩み続けることができるよう祈りましょう。』