今日の主日ミサは勝谷司教様の司式でした。
この日の福音は、イエスによって目が見えるようになった盲人の話をとおして、真理を見極めることの大切さが語られました。
今週、神学生の蓑島さんが春休みを終え福岡の神学校へ戻ります。引き続き、主の導きと恵みをお祈りしましょう。
勝谷司教様のお説教をご紹介します。
『今、世の中は「森友学園問題」で大きく揺れています。ことの真意は何であるのか、非常に不透明な部分は多いのですが、私は違う観点から見て面白いと感じることがあります。と、言うのは当初この問題が発覚したとき、いわゆる野党の人たちは追究しK理事長は信頼出来ない人間だと言っていたように思います。それに反して自民党や彼と考えを同じ立場に立っている人は立派な先生だ、信頼出来る人だと言っていた人がいたように思えます。
それがひとたび態度を翻して、あのようにべらべらしゃべり始めると、彼は信頼出来ないとしていた野党の人たちは、彼の言っていることは本当だ。彼のことを信頼出来ると言っていた人たちは、今は彼は嘘つきだと言っています。これは自分の立場をどこに置くかによって、同じ物事を見ていながら、まったく正反対の見方をするという例のような気がするわけです。
このことで私は、とおい昔のことですが学生時代のことを思いだしました。学生運動がほとんど下火になり、いわゆるその残党の人たち、一部の人たちが過激派としてセクト化していましたけれど、多くの学生たちは運動の敗北感、そういう中で虚無感を感じていた時代です。そういうなかで、もう一度学生運動ではなく、全国的な学生の集まりを復活させようと計画していました。私もその実行委員の中にいました。かたや京都からきていた青年がいました。学生運動の残党のような人でした。何でも批判的なのです。K大ですからディベートしてもかないません。あの頃、土居健郎という人の『甘えの構造』という本が出版されていましたが、土居健郎を講師として招こうなどと話しをしていましたが、そういう我々がやりたいことにも難癖をつけていましたし…。今では「分かち合い」と言いますが、当時はそのような言葉は使われていませんでしたが、グループによる話し合い。いわゆる議論やディベートというよりも、もっと内面を語り合う話し合いです。自分たちの内面を話し会うために、ひとつのプログラム、昔、室蘭でも行われていた錬成会に使われていたような手法ですが、出会いや話しを深めるプログラムがあります。それを使おうとすると、まさにそれは資本主義のやり方だ。それは企業が新人の研修に同じようなものを取り入れている。営利を求める資本主義の手先を作るためのプログラムを取り入れるのか。私はそういう議論にだんだん疲れてきました。
ある時、そういった議論をしていく中で、ある一人の青年が平行線の中からひとつの妥協としてそのK大生に、あなたの言っていることを受け入れましょう。でもあなたの言っていることは正しいと直接言うのは癪なので、別の遠回りの言い方ですが、自分はいろいろ考え熟考を重ねて論理的にこういう方向にいくのは正しいと、彼(K大生)の論法にあわせたやり方で話しをしていったのです。実は彼(K大生)の言っていることを認めるよと言っていたのです。ところが彼(K大生)はそれに対して、自分が面白くないという人間の発言ですから、初めからそれを批判でかかってきたのです。だんだんそのやりとりを見ていると、周りの人間は皆分かっていました。この人(K大生)は自分は彼に対して批判ばかりしているが、彼の言っていることはK大生の言っていることを繰り返して言っているだけなんです。それを一生懸命むきになって批判しているばかりなのです。それを周りはみんな気付いているのですが、本人だけは気付かず、熱くなってどんどん自己矛盾の「どつぼ」の中にはまっていったのをよく覚えています。
この例からも、われわれ人間は物事を判断するときに、その本質を見極めるときに、自分の立ち位置や持っている先入観や偏見によって左右される。本当に何が起こっているのかを見極めることを曇らされてしまう。以前、私が紹介した(私にとってはショッキングな)、荷物を持った母親に席を譲らなかったとんでもない女子高生の話ですが、私が席を譲るはめになって、とんでもない女子高生がいると睨み付けていたことの話しですが。あれも逆に赤ちゃんが泣きだしたときにとった女子高生の姿は本当に心やさしい、たぶん席を譲るのも私が立ってしまったから(彼女が)立てなくてばつの悪い思いをしていたのでしょう。彼女の目から見れば、 そういうふうに自分を追い込んでおきながら、非難がましい「いやな親父」と写っていたに違いないですけれど。私は正しいのは自分だとそれまでは思っていました。でも違った出来事が起こってから、ちょっと見方を変えるとなんて本当はいい子なんだ。そのことがなければ、同じ人間を見ていながら、とんでもない自己中心的なわがままだという偏見を取り去ることは出来なかった。私はそう思っています。
今日の福音書に立ち返るとまさに、登場してきているファリサイ派の人たちはそのような人たちですね。実際に起こった出来事を見て、それを彼らの持っていた常識や理論では理解することが出来ない。安息日に治療を行うことは律法に反することであり、律法に反することを行うのは罪人である。でも罪人がそのようなことが出来るのだろうかという論理的な矛盾の中で結論を出せないでいるわけです。この文章をみるならば、前提となっているところ、弟子たちが「この人が生まれつき目が見えないのは、だれか罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」という問いにも表れているように、当時の常識としてはこのようま疾患や病気に罹るということは、何らかの罪の結果と考えられていました。しかし、生まれつき盲人であるということは、この人が罪を犯したからではない。では目の見えない罪の結果はどこからくるのか。その人ではなくてその両親ですか、いったい何故ですか。当時の彼らの同じような論理からすると出口のない矛盾に突き当たっているのです。イエス様はそれに対して回答を与えるわけですが、このファリサイ派の人たちも同じような論理の矛盾に直面したときに何をしたかというと、現実を否定するということ。なかったことにしよう。現実を変えてしまう。 一方、この生まれつき目の見えなかった人はだんだんと目が開かれてくるのです。物理的に目が開かれていくというよりも、心の目が開かれていきます。最初、誰であったか分からなかった。「あの人」という表現をしながらやがて、最後になって信仰宣言に至るです。何の知識も持っていない。しかし、彼のイエス様との出会いの体験は確かなものです。どんな当時のファリサイ派の人たちの追究にもけっして負けることのない確信です。それを彼がつき動かしファリサイ派の人たちが到達することの出来なかったひとつの視点、真理を見いだすことが出来るようになったのです。
現実の社会の中で生きるとき、私たちはどういう立ち位置にいるかによって物事の見方が変わるということ。特に政治的な問題は、テレビを見ているとそういう人間模様、人間のもどかしさというものが良く浮き彫りにされてくるので分かるのですが、でもそれは、テレビの中で行われる議論として傍観者を決め込むわけにいかない。私たち自身の姿も映しだしているともいえるのです。私たちは先ほどの私の例のように、同じ現実を見ていながら、私たちの心でそこにある偏見や先入観によってきちんと見ることが出来ないでいる。ひょっとしたら、場合によってはそんな出来事あるはずがない。見ても見ぬふりをしてしまう。そういうところに陥って私たちは本質をつかむことを出来ずに生活しているかもしれません。 祈りの中でそれを見極めるように、できるだけ心の偏見を取り除いて、今私たちの周りで起こっている出来事の中に主の御心を、あるいは福音的な視点を持って識別していく。そういう性質を追い求めることは大切ですが、ひとたび私たちの心理状態の輪の中に取り込まれると、蜘蛛の糸に引っかかった虫のようにその中からなかなか脱出することはできません。
そういうところから私たちを救い出してあげる力なるものが、私が常々言っている「分かち合い」というものです。 まったく自分と違った視点、考え方を持っている人たち、信頼出来る人たちとあることについて分かち合う時に 自分とはまったく違う人の考え方によって私たちの心の目が開かれたり 、修正されたりしていきます。 自分一人ではけっして辿り着くことの出来ない、そういうところに仲間の信仰を通して、分かち合いによって辿り着くことが出来ます。私たちが本当に今、この世界の中で起こっている出来事の中に、福音の真理、主が見極めるように私たちに求めておられるのが何であるか。それをしっかり見極めるための視点、そして偏見を取り除く、それを見いだすことの出来る仲間がつくることが出来る、そういう共同体を作り上げていただきたい(と思います)。』
2017年3月26日日曜日
2017年3月20日月曜日
3月20日(春分の日)助祭叙階式及び祭壇奉仕者選任式
3月20日(春分の日)午前11時から、カトリック北一条教会において、勝谷司教様の主司式により、パウロ三木 佐久間力神学生の助祭叙階式と、ボナヴェントゥラ蓑島克哉神学生の祭壇奉仕者選任式ミサが行われました。
初春のうららかな日差しに恵まれたこの日のミサには、20名の司祭団と300名近い信徒と関係者が集い、ともに祈りを捧げ、ご両名の門出を祝福しました。
また、この日のミサには、3月22日に札幌コンサートホールKitaraで行わる東日本大震災復興支援チャリティコンサート「第5回 バチカンより日本へ 祈りのレクイエム日本公演2017」にバチカン政府の代弁者として同行されているフランチェスコ・モンテリーズィ枢機卿も司祭団に加わり、共にお祈りを捧げてくださいました。
枢機卿とご一緒に来堂されたロッシーニ歌劇場管弦楽団の方が、小品を演奏して下さり聖堂は華やいだ雰囲気に包まれました。
初春のうららかな日差しに恵まれたこの日のミサには、20名の司祭団と300名近い信徒と関係者が集い、ともに祈りを捧げ、ご両名の門出を祝福しました。
祭壇奉仕者選任式
ボナヴェントゥラ蓑島克哉神学生
叙階の儀
パウロ三木 佐久間力神学生
花束贈呈
ご両名からのご挨拶
佐久間さんからのご挨拶
https://youtu.be/lVGF8fud2zs
https://youtu.be/lVGF8fud2zs
蓑島さんからのご挨拶
https://youtu.be/LGIyQtDpDjc
https://youtu.be/LGIyQtDpDjc
モンテリーズィ枢機卿(右)
佐久間助祭(左)
枢機卿とご一緒に来堂されたロッシーニ歌劇場管弦楽団の方が、小品を演奏して下さり聖堂は華やいだ雰囲気に包まれました。
御ミサの後、隣接するカテドラルホールで、手作りのお料理を囲みささやかな祝賀会が行われました。
祝賀会は、佐久間新助祭による初めての「派遣の祝福」で締められました。
2017年3月19日日曜日
四旬節第3主日
四旬節A年の第3主日から第5主日の福音朗読は洗礼志願者のための朗読箇所が読まれます。
お説教の後に洗礼志願者のための典礼が行われました。
後藤神父様のお説教をご紹介します。
『昨日テレビで、春の選抜高校野球が明日開幕するというニュースを見て、もうそんな季節が来たのだと感じていました。
ある時の開会式の宣誓では高校生がこう話していました。「人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることが出来ると信じています」と。
この宣誓の言葉が球場に響き渡り観衆が大きくどよめいたのは、大震災があった直後の大会でのことでした。恐らく同じ感動と共鳴の気持ちで声が上がったのだと思います。高校生が、信じること、そして行動し、生きることの素晴らしさを宣言して、野球ファンならずとも心を打たれ感動する場面がそこにありました。そのような青春の汗と涙の姿を、テレビ画面を通して見ることを楽しみにしています。そして改めて、その宣誓の言葉を噛みしめています。信じること、そして行動すること、今日の聖書のテーマの中にも隠されているような気がします。
今日の聖書のお話は非常に長い内容でした。
まず、今日の聖書にも出てくる「サマリア」のことに触れてみたいと思います。2000年前の当時、ユダヤ人はサマリア人のことを異教徒と考えていました。
その経緯について少しお話します。サマリアは北イスラエル王のオムリが築いた都でした。ところが紀元前721年にアッシリアの攻撃を受けて陥落してしまいます。そこに住んでいた人々は捕囚の民となりました。それでアッシリアからの移民が移り住んだ街というように受け止められるようになりました。
この時、イスラエルの王国に残ったイスラエル人と移民の間に生まれた人々は「サマリア人」と呼ばれるようになりました。そのような中で、代々守られてきたイスラエルの信仰が崩れ始めたとユダヤ人は考えます。ですから自分たちとは宗教が異なる異教徒というように見ていました。熱心なユダヤ教徒にとっては汚れた地になってしまったということになります。ですからその地を通ることも避けていました。あえて遠回りをして避けていたのが当時の社会状況でした。
イエスがそのような時代に、このサマリアの人と話をするということは驚きです。罪に汚れている異教徒の民、その人たちと話をしているイエスに皆、戸惑ったというのが背景にあります。現代ではユダヤ人と和睦して、ユダヤ教の一派として、サマリア人の信仰も認められることになっています。
聖書の話に戻りますが、ガリラヤに行く途中、サマリアを通ったイエスは、旅の疲れを癒すために「ヤコブの井戸」の側に座っています。井戸は深く、汲むものを持っていないイエスは飲むことが出来ず井戸の側に座っていました。
「ヤコブの井戸」というのは旧約聖書で記されているヤコブがその子ヨセフに与えた井戸でした。イスラエルの民にとって、そしてユダヤ人にとってもこの井戸は、先祖から大事にされてきた井戸でありました。
イエスは水を汲みに来たサマリアの女性に声をかけました。「水を飲ませてください」そこから話が展開していきます。声をかけられたサマリアの女は、当然イエスをユダヤ人だと思ったことでしょう。
「ユダヤ人であるあなたがどうして私に頼むのですか?」声など掛けられるとは思いもしませんでした。普通は避けられていたことでしょう。かつては同胞でもあったサマリア人、でもいつの日か民族が混じり合い異教化していたため、ユダヤ人から軽蔑され交際がなく、敵対視されるほどの関係となって、神殿にも入ることができない状態でした。一方、ユダヤ人は純血を守っているという自負があり、混血民族であるサマリア人を蔑んでいました。
そのような関係でしたから、サマリア人はゲルジムの山に自分たちの神殿を建て、自分たちの信仰を守っていました。先祖が同じで昔は同じ信仰を生き、救い主を待ち望んでいたサマリアの人たち。
イエスはそのサマリア人の一人に声をかけます「神を知るなら」。そして「渇くことのない水」について話始めます。渇くことのない水、それは誰もが求めるものです。ましてや砂漠に生きる人々にとっては、どれほど渇望するのものなのかということは容易に想像できます。水の権利を守るために争い、血を流す戦いも度々起こっている当時のことです。
イエスは水について話始め、「渇くことのない水。永遠のいのちに至る水」があるということについて話されます。日々の生活の水を得るために、どんなに遠くからその水を求めてやってきたことでしょうか。過酷なものであったに違いありません。それを考えると「渇くことのない水をください」と願うサマリアの女の気持ちも理解できます。
サマリアの女の人からイエスの話を聞き、霊と真理を礼拝することに目覚めたサマリア人がイエスの元にやってきます。そして彼らは自分の耳で聞いて心に受け止めて「この方こそ本当の救い主である」と宣言するようになります。聖書はこう記しています。
渇くことのない水は、神の子イエス・キリストから与えられるもの。パウロは今日の第2朗読で、キリストによって平和を得ていること、希望を与えられることを誇りとすると宣言しています。それは聖霊によって私たちの心に注がれているものでもあり、神がキリストを通して示した愛そのものでもあると言えると思います。
イスラエルの民は、この平和、希望、愛を求める民でした。しかし、長い信仰の旅を続けることによって、争い、怒り、不満が生じ、神に対しても心を閉じ、頑なになってしまったのです。
心が渇いた岩のようになるとき、焦りを感じたとき、平和や希望はどんどん自分の心から薄れていきます。そして私たちの焦りの気持ちは、時には言いたくもない言葉になって口から出ていくときがあります。
愛もまた変わっていきます。いつもなら落ち着いてやさしい愛を示すことができたはずなのに、心が渇いて頑なになったときには、その愛も冷たいものに変わるときが度々あると思います。
私たちの神はそしてイエスは、いつでも平和と希望そして愛で私たちを満たそうとしてくださいます。私たちはそのようなイエスにもう一度、心を向けてこの四旬節を歩みたいと思います。
神の恵みをそして神の働きを思う時、私たちはいつも感謝の心を持つことができるはずです。その感謝の心は、神への賛美であり、神への礼拝であり、そして人々に対する奉献という行動につながっていきます。私たちの四旬節、もう一度その精神、四旬節の心を思い起こして歩みたいと思います。
先週、洗礼志願者を紹介しました。入信へと招かれた志願者は、いくつかの段階を経て、一歩一歩キリストに近付いていきます。祈りと礼拝の共同体である私たちの教会の中で、教会全体の祈りに支えられて、神の恵みの中に洗礼志願者が成長していくように皆さんと共に祈りたいと思います。』
お説教の後に洗礼志願者のための典礼が行われました。
後藤神父様のお説教をご紹介します。
『昨日テレビで、春の選抜高校野球が明日開幕するというニュースを見て、もうそんな季節が来たのだと感じていました。
ある時の開会式の宣誓では高校生がこう話していました。「人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることが出来ると信じています」と。
この宣誓の言葉が球場に響き渡り観衆が大きくどよめいたのは、大震災があった直後の大会でのことでした。恐らく同じ感動と共鳴の気持ちで声が上がったのだと思います。高校生が、信じること、そして行動し、生きることの素晴らしさを宣言して、野球ファンならずとも心を打たれ感動する場面がそこにありました。そのような青春の汗と涙の姿を、テレビ画面を通して見ることを楽しみにしています。そして改めて、その宣誓の言葉を噛みしめています。信じること、そして行動すること、今日の聖書のテーマの中にも隠されているような気がします。
今日の聖書のお話は非常に長い内容でした。
まず、今日の聖書にも出てくる「サマリア」のことに触れてみたいと思います。2000年前の当時、ユダヤ人はサマリア人のことを異教徒と考えていました。
その経緯について少しお話します。サマリアは北イスラエル王のオムリが築いた都でした。ところが紀元前721年にアッシリアの攻撃を受けて陥落してしまいます。そこに住んでいた人々は捕囚の民となりました。それでアッシリアからの移民が移り住んだ街というように受け止められるようになりました。
この時、イスラエルの王国に残ったイスラエル人と移民の間に生まれた人々は「サマリア人」と呼ばれるようになりました。そのような中で、代々守られてきたイスラエルの信仰が崩れ始めたとユダヤ人は考えます。ですから自分たちとは宗教が異なる異教徒というように見ていました。熱心なユダヤ教徒にとっては汚れた地になってしまったということになります。ですからその地を通ることも避けていました。あえて遠回りをして避けていたのが当時の社会状況でした。
イエスがそのような時代に、このサマリアの人と話をするということは驚きです。罪に汚れている異教徒の民、その人たちと話をしているイエスに皆、戸惑ったというのが背景にあります。現代ではユダヤ人と和睦して、ユダヤ教の一派として、サマリア人の信仰も認められることになっています。
聖書の話に戻りますが、ガリラヤに行く途中、サマリアを通ったイエスは、旅の疲れを癒すために「ヤコブの井戸」の側に座っています。井戸は深く、汲むものを持っていないイエスは飲むことが出来ず井戸の側に座っていました。
「ヤコブの井戸」というのは旧約聖書で記されているヤコブがその子ヨセフに与えた井戸でした。イスラエルの民にとって、そしてユダヤ人にとってもこの井戸は、先祖から大事にされてきた井戸でありました。
イエスは水を汲みに来たサマリアの女性に声をかけました。「水を飲ませてください」そこから話が展開していきます。声をかけられたサマリアの女は、当然イエスをユダヤ人だと思ったことでしょう。
「ユダヤ人であるあなたがどうして私に頼むのですか?」声など掛けられるとは思いもしませんでした。普通は避けられていたことでしょう。かつては同胞でもあったサマリア人、でもいつの日か民族が混じり合い異教化していたため、ユダヤ人から軽蔑され交際がなく、敵対視されるほどの関係となって、神殿にも入ることができない状態でした。一方、ユダヤ人は純血を守っているという自負があり、混血民族であるサマリア人を蔑んでいました。
そのような関係でしたから、サマリア人はゲルジムの山に自分たちの神殿を建て、自分たちの信仰を守っていました。先祖が同じで昔は同じ信仰を生き、救い主を待ち望んでいたサマリアの人たち。
イエスはそのサマリア人の一人に声をかけます「神を知るなら」。そして「渇くことのない水」について話始めます。渇くことのない水、それは誰もが求めるものです。ましてや砂漠に生きる人々にとっては、どれほど渇望するのものなのかということは容易に想像できます。水の権利を守るために争い、血を流す戦いも度々起こっている当時のことです。
イエスは水について話始め、「渇くことのない水。永遠のいのちに至る水」があるということについて話されます。日々の生活の水を得るために、どんなに遠くからその水を求めてやってきたことでしょうか。過酷なものであったに違いありません。それを考えると「渇くことのない水をください」と願うサマリアの女の気持ちも理解できます。
サマリアの女の人からイエスの話を聞き、霊と真理を礼拝することに目覚めたサマリア人がイエスの元にやってきます。そして彼らは自分の耳で聞いて心に受け止めて「この方こそ本当の救い主である」と宣言するようになります。聖書はこう記しています。
渇くことのない水は、神の子イエス・キリストから与えられるもの。パウロは今日の第2朗読で、キリストによって平和を得ていること、希望を与えられることを誇りとすると宣言しています。それは聖霊によって私たちの心に注がれているものでもあり、神がキリストを通して示した愛そのものでもあると言えると思います。
イスラエルの民は、この平和、希望、愛を求める民でした。しかし、長い信仰の旅を続けることによって、争い、怒り、不満が生じ、神に対しても心を閉じ、頑なになってしまったのです。
心が渇いた岩のようになるとき、焦りを感じたとき、平和や希望はどんどん自分の心から薄れていきます。そして私たちの焦りの気持ちは、時には言いたくもない言葉になって口から出ていくときがあります。
愛もまた変わっていきます。いつもなら落ち着いてやさしい愛を示すことができたはずなのに、心が渇いて頑なになったときには、その愛も冷たいものに変わるときが度々あると思います。
私たちの神はそしてイエスは、いつでも平和と希望そして愛で私たちを満たそうとしてくださいます。私たちはそのようなイエスにもう一度、心を向けてこの四旬節を歩みたいと思います。
神の恵みをそして神の働きを思う時、私たちはいつも感謝の心を持つことができるはずです。その感謝の心は、神への賛美であり、神への礼拝であり、そして人々に対する奉献という行動につながっていきます。私たちの四旬節、もう一度その精神、四旬節の心を思い起こして歩みたいと思います。
先週、洗礼志願者を紹介しました。入信へと招かれた志願者は、いくつかの段階を経て、一歩一歩キリストに近付いていきます。祈りと礼拝の共同体である私たちの教会の中で、教会全体の祈りに支えられて、神の恵みの中に洗礼志願者が成長していくように皆さんと共に祈りたいと思います。』
2017年3月12日日曜日
四旬節第2主日 ー 四旬節黙想会 ー
復活祭に向けて、私たちの信仰生活を見つめ深めるため、マリア会 冨来正博神父様を講師にお招きし、ミサ後に四旬節黙想会が行われました。
2017年3月7日付のカトリック新聞第一面で、取り上げられていました福岡県大刀洗町の今村教会で行われた「今村信徒発見150周年」記念行事。この2年前に行われた大浦天主堂での「日本の信徒発見150周年」記念ミサは私たちの記憶にも新しいところですが、その奇跡的な出来事の陰に隠れ、今村の信徒発見についてはあまり知られていませんでした。
今日の冨来神父様の黙想会では、日本におけるキリスト教伝来の歴史を中心に、修道会による中国と韓国の宣教活動を交えながら、大浦天主堂での「信徒発見の奇跡」の2年後に、筑後地方の今村で再び信徒が発見されるまでの出来事と歴史的背景についてお話いただきました。
この日の主日ミサは、冨来神父様と後藤神父様の共同司式で行われ、冨来神父様がお説教をされました。
冨来神父様のお説教をご紹介します。
『今日の福音は、イエス様の変容の箇所です。第一朗読、第二朗読を通じて「召し出し」あるいは神から呼ばれてある使命を託された人々のお話が載せられています。アブラハムは父の家から離れて、何処に行くか分からないけれども、神がお示しになる場所に行きなさい。そして、永い旅をいたします。使徒の弟子たちもキリストからある使命を託されて、それぞれの仕事に派遣されます。
私は永いこと学校(光星中学、高校)で働いていましたので、この時期になると卒業それから入学という行事が行われて、喜んだりあるいは悲しんだり、いろいろな感情に襲われることがありますが、永年手塩にかけた生徒たちが希望する大学に合格すると非常に嬉しくなって、あたかも自分が大学に入ったような気持ちになっていっしょに喜びます。ところが希望する大学に入ることが出来ない、浪人する。そうなると慰める言葉も力が入らない。自分自身、落ち込むことが良くあります。ですけれど、大学に入るということは、これで人生がすべてであるということは誰も考えていないのですが、あたかも人生の終着点というような感じに捉えられて、そして喜ぶ人、悲しむ人、それぞれです。
ところが大学の4年間、あるいは6年間、勉学してそれぞれの仕事につく。そのとき、学校ではひじょうに優秀な成績を治めたはずなのに、希望する職業につけないというような人もたくさん出てきます。それで、大学入学時に味わった喜びとか悲しみをまた繰り返すことが多々あります。そのように、私たちの節目、節目で喜びや悲しみやがっかりした気持ちに襲われることは良くあることです。神様が私たちに与えてくださった一つの使命があると考える時、私たちはそれぞれの節目、節目で感じることがらは二次的なもの、三次的なものと思えるのではないかと思います。
本当に私たちが何をするように召されていたか。そのことを考えるということは、優れた仕事だとは思いますが、この四旬節の間、人生についてどのような生き方をすれば良いか、私たちが関わっていることがら、仕事とか、あるいは人間関係とかそういうものを本当に神様が望まれているような心構えで果たしているかということを考えることが、四旬節の大きな仕事のひとつだと考えています。
四旬節が始まってまもなく2週間になろうとしています。この間、私たちは神様が召された役割、私たち一人ひとりに果たすことをお望みになている、その神様の思し召しをゆっくり考えてみたいと思います。そして、ただ通過点である事柄に一喜一憂することなく、本当に私たちが心をこめて尽くさなくてはならない。その事柄を良く理解したいと思います。イエス様が姿を変えて本来持っている姿に光輝いている。そのイエス様の姿を見た弟子たちは喜びのあまり、何と言ったら良いか分からなくて、三つの小屋を建てましょう。そして、その喜びがずっと続くように、そう叫びました。イエス様はモーセとエリアと話し会われた後、書かれていますが、ルカの福音書によればイエス様が交わされた会話の中に、モーセ、エリア、そしてイエス様のお三方が話された内容は、数日あるいは数十日のうちにエルサレムで果たされなければばならない事柄を話し合われたと、ルカは書かれています。すなわちイエス様の御受難を話し合われていたことですが、イエス様が果たされなければならない御父のみ旨。それを召し出しということも出来ると思いますが、その御父のみ旨を果たすためには、ただ単に光り輝く喜びの姿ばかりではなく、その本当に喜び輝く復活の姿を現すためには、御受難の時期を通らなくてはならないとルカ福音書は暗示しているのではないかと思います。
私たちもそれぞれ役割を負わされている。その役割がどのようなものであるか、それを捜すために私たちは祈り、考えそして努力するわけですが、それはイエス様が通られたように御受難の季節、御受難の機会をとおして初めて達成されるものと考えることが出来ると思います。
私たちの1年の永い期間の中で40日という修行の期間がすなわち、私たちが果たされなければならない使命、役割を十分に考え反省し、そして祈り。その時期だと思います。四旬節の修行をそのように捉えることも出来るのではないかと思います。イエス様と同じように、捧げなければならないもの、そして、そのあとに父なる神様が私たちに与えてくださる喜び、それを考えながら、この四旬節を過ごしていきたいと思います。』
2017年3月7日付のカトリック新聞第一面で、取り上げられていました福岡県大刀洗町の今村教会で行われた「今村信徒発見150周年」記念行事。この2年前に行われた大浦天主堂での「日本の信徒発見150周年」記念ミサは私たちの記憶にも新しいところですが、その奇跡的な出来事の陰に隠れ、今村の信徒発見についてはあまり知られていませんでした。
今日の冨来神父様の黙想会では、日本におけるキリスト教伝来の歴史を中心に、修道会による中国と韓国の宣教活動を交えながら、大浦天主堂での「信徒発見の奇跡」の2年後に、筑後地方の今村で再び信徒が発見されるまでの出来事と歴史的背景についてお話いただきました。
カトリック今村教会
この日の主日ミサは、冨来神父様と後藤神父様の共同司式で行われ、冨来神父様がお説教をされました。
『今日の福音は、イエス様の変容の箇所です。第一朗読、第二朗読を通じて「召し出し」あるいは神から呼ばれてある使命を託された人々のお話が載せられています。アブラハムは父の家から離れて、何処に行くか分からないけれども、神がお示しになる場所に行きなさい。そして、永い旅をいたします。使徒の弟子たちもキリストからある使命を託されて、それぞれの仕事に派遣されます。
私は永いこと学校(光星中学、高校)で働いていましたので、この時期になると卒業それから入学という行事が行われて、喜んだりあるいは悲しんだり、いろいろな感情に襲われることがありますが、永年手塩にかけた生徒たちが希望する大学に合格すると非常に嬉しくなって、あたかも自分が大学に入ったような気持ちになっていっしょに喜びます。ところが希望する大学に入ることが出来ない、浪人する。そうなると慰める言葉も力が入らない。自分自身、落ち込むことが良くあります。ですけれど、大学に入るということは、これで人生がすべてであるということは誰も考えていないのですが、あたかも人生の終着点というような感じに捉えられて、そして喜ぶ人、悲しむ人、それぞれです。
ところが大学の4年間、あるいは6年間、勉学してそれぞれの仕事につく。そのとき、学校ではひじょうに優秀な成績を治めたはずなのに、希望する職業につけないというような人もたくさん出てきます。それで、大学入学時に味わった喜びとか悲しみをまた繰り返すことが多々あります。そのように、私たちの節目、節目で喜びや悲しみやがっかりした気持ちに襲われることは良くあることです。神様が私たちに与えてくださった一つの使命があると考える時、私たちはそれぞれの節目、節目で感じることがらは二次的なもの、三次的なものと思えるのではないかと思います。
本当に私たちが何をするように召されていたか。そのことを考えるということは、優れた仕事だとは思いますが、この四旬節の間、人生についてどのような生き方をすれば良いか、私たちが関わっていることがら、仕事とか、あるいは人間関係とかそういうものを本当に神様が望まれているような心構えで果たしているかということを考えることが、四旬節の大きな仕事のひとつだと考えています。
四旬節が始まってまもなく2週間になろうとしています。この間、私たちは神様が召された役割、私たち一人ひとりに果たすことをお望みになている、その神様の思し召しをゆっくり考えてみたいと思います。そして、ただ通過点である事柄に一喜一憂することなく、本当に私たちが心をこめて尽くさなくてはならない。その事柄を良く理解したいと思います。イエス様が姿を変えて本来持っている姿に光輝いている。そのイエス様の姿を見た弟子たちは喜びのあまり、何と言ったら良いか分からなくて、三つの小屋を建てましょう。そして、その喜びがずっと続くように、そう叫びました。イエス様はモーセとエリアと話し会われた後、書かれていますが、ルカの福音書によればイエス様が交わされた会話の中に、モーセ、エリア、そしてイエス様のお三方が話された内容は、数日あるいは数十日のうちにエルサレムで果たされなければばならない事柄を話し合われたと、ルカは書かれています。すなわちイエス様の御受難を話し合われていたことですが、イエス様が果たされなければならない御父のみ旨。それを召し出しということも出来ると思いますが、その御父のみ旨を果たすためには、ただ単に光り輝く喜びの姿ばかりではなく、その本当に喜び輝く復活の姿を現すためには、御受難の時期を通らなくてはならないとルカ福音書は暗示しているのではないかと思います。
私たちもそれぞれ役割を負わされている。その役割がどのようなものであるか、それを捜すために私たちは祈り、考えそして努力するわけですが、それはイエス様が通られたように御受難の季節、御受難の機会をとおして初めて達成されるものと考えることが出来ると思います。
私たちの1年の永い期間の中で40日という修行の期間がすなわち、私たちが果たされなければならない使命、役割を十分に考え反省し、そして祈り。その時期だと思います。四旬節の修行をそのように捉えることも出来るのではないかと思います。イエス様と同じように、捧げなければならないもの、そして、そのあとに父なる神様が私たちに与えてくださる喜び、それを考えながら、この四旬節を過ごしていきたいと思います。』
2017年3月5日日曜日
四旬節第1主日
ミサ中に16名の方々の「洗礼志願式」が行われました。復活祭の日に、皆さんが揃って洗礼の恵みに与れることができるよう祈り支えましょう。
この日の後藤神父様のお説教をご紹介します。
『3月1日、私たちは「灰の水曜日」を迎え、四旬節の季節に入りました。キリストの受難と死を思い起こす季節を迎えて、主の復活を待ち望み、私たちはその準備に入ります。
信仰を願い、神の子となるための勉強を続けてきた求道者がいます。そして、待ちに待った洗礼でしたけれども、洗礼志願者として今日このミサの中で神の子となる決心を表明しようとしています。喜びと希望を胸にしていることだと思いますが、不安と緊張もきっとあることでしょう。この求道者の人々は私たちにとって教会にとって、神からの贈り物ではないでしょうか。感謝のうちに私たちの教会に喜んで迎え入れ、神の民の家族として共に支え合い、祈りに結ばれて歩むことが出来るよう、今日は特別に心より祈りたいと思います。
さて、今日のみ言葉に心を向けます。福音ではイエスの受けた誘惑が語られています。
第一朗読では、エデンの園で人祖であるアダムが蛇の誘惑を受けた、そのような場面も語れました。
福音朗読では、「荒野で四十日間、昼も夜も断食し空腹を覚えた」このイエスの姿は、教会が呼び掛ける四旬節の精神でもある犠牲や節制にも繋がる物語になります。
四十日の断食。一日でも大変な、そして一食でも自分で意識して行おうとすると大変なことだと思います。飢えと渇きの極限状態になると、誘惑は誰の心にも忍び寄ってくるはずです。
私はこの飢えと渇きを想像するときに、現代の世界に見られる飢えや貧困に置かれている人たちのことを重ねて思っています。極度に厳しい生活に置かれた人々もまた、苦難の中で誘惑と戦っているに違いありません。イエスが悪の誘惑と戦ったように、いやそれ以上に貧困状態にある人々の苦しみは、私たちの想像を超えるものだと思います。
教皇フランシスコのメッセージを掲載してカリタスジャパンの四旬節募金がすでに始められています。皆さんはこの小冊子を手に取られたでしょうか。まだお取りになっていない方は、受付においてありますので是非手に取って、教皇様のメッセージを受け取り、行動に移されたらよいと思います。
四旬節を歩む私たちは、どのように愛の業を生きようとしているでしょうか。その呼びかけにどのように応えられるでしょうか。私たちにも試練を与えるこの愛の業、私たちは愛の業を実践する試練をきっと考えなければいけないのだと思います。黙想しながら、私たちの愛の業を考え、前に進めるように力と勇気を神に願い続けたいものです。
イエスに対する三つの誘惑から黙想して、私たち自身を見つめることもできます。「誘惑」は「試み」という言葉にも置き換えることができます。
私たちが大切にしている「主の祈り」の中では、「われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。」と祈っています。今日、私たちが聞いた聖書のお話も、試み、試練というものが描かれました。アダムの受けた試み、エジプト脱出でのイスラエルの民が受けた試みが、私たちには印象的に残っています。そして、今日のみ言葉の中でイエスの受けた試み誘惑・・・・。聖書の中ではたくさんの試練・誘惑というのものが描かれています。
私たちはイエスの十字架の死に与るために、私たち一人ひとりもイエスの試練に倣い、その苦しみ・艱難、それを乗り越えて勝ち抜こうとして歩んでいます。神の力を祈りながら、神の助けを願いながら、私たちはその苦しみを乗り越えようとしています。避けることの出来ない苦しみも時には私たちの前に立ちはだかります。神は私たちが願うならば、必ずや助けを与え、その試練を超えられるように、私たちに力を貸してくれます。そのために私たちは心からの祈りを捧げなければなりません。
私たちは現実を見つめながら、自分の前に立ちはだかる誘惑・試練をどのように考え、受け入れ、それを超えていこうとしているでしょうか。
誘惑をきっぱりと断つ勇気ある姿をイエスは私たちに見せてくれています。私たちはどうでしょうか。利己的な生活、不平不満の生活に明け暮れてはいないでしょうか。つぶやくばかりの現実を反省しなければならないかと思います。そのためにも、誘惑を断つ勇気ある生活を私たちはもう一度見つめ直す必要があるでしょう。
悪魔の誘惑は巧みなもののようです。イエスが受けた誘惑それは、神殿の頂から身を投げるという試みをさせています。イエスはそれに対して敢然と答えます。十字架に架けられた時も祭司長達から「神の子ならば自分を救え」と叫ばれましたが、イエスは沈黙の中でひたすら父なる神に祈っていました。神への信頼を見失い、自分を優先させる場合の多い私たちですが、主を試みることなく信頼を深める私たちの信仰でありたいものです。
富や名誉、快楽が神よりも魅力となれば「二人の主人」に仕えることになります。こうした誘惑について、ある宣教師は「中年の誘惑」と名付けたそうですが、年と共に起こってくる誘惑も私たち人間には必ずあるようです。「あなたの神、主に仕えよ」というイエスの言葉は、神の子の選択となります。私たちは神の子として生きることを心から本当に望んでいるでしょうか。
四旬節を迎えて、主をさらに深く求めるよう招かれています。聖書からの呼びかけはそのような意味で「歩むべき道しるべ」を私たちに黙想させてくれます。個人的に祈る時間を過ごすことも大切です。また、私たちが神の民として、教会共同体として一緒に主を求め、互いの歩みを共有して、支え合う祈りも大事になってきます。
私たちが願い探し扉を叩くとき、それは必ず叶えられるとイエスが約束したことを私たちは忘れないようにしましょう。希望を見失うことなく主を信頼して、何度も何度も繰り返し願い、祈りを捧げて、私たちの歩むべき道を進むことができると思います。
「今こそ、心から私に立ち帰れ」と呼びかけられています。罪の赦しを求め、神のもとに再び帰ることができる恵みがあるということ、赦しの秘跡が教会にはあるということも思い出すようにいたしましょう。
主の復活に向う四十日という四旬節の日々を過ごす私たちですけれど、それぞれの生き方を顧みながら自分の信仰を見つめ、キリストの信仰に従うことができるように、今日もまた主の祭壇を囲んで祈りたいと思います。』
この日の後藤神父様のお説教をご紹介します。
『3月1日、私たちは「灰の水曜日」を迎え、四旬節の季節に入りました。キリストの受難と死を思い起こす季節を迎えて、主の復活を待ち望み、私たちはその準備に入ります。
信仰を願い、神の子となるための勉強を続けてきた求道者がいます。そして、待ちに待った洗礼でしたけれども、洗礼志願者として今日このミサの中で神の子となる決心を表明しようとしています。喜びと希望を胸にしていることだと思いますが、不安と緊張もきっとあることでしょう。この求道者の人々は私たちにとって教会にとって、神からの贈り物ではないでしょうか。感謝のうちに私たちの教会に喜んで迎え入れ、神の民の家族として共に支え合い、祈りに結ばれて歩むことが出来るよう、今日は特別に心より祈りたいと思います。
さて、今日のみ言葉に心を向けます。福音ではイエスの受けた誘惑が語られています。
第一朗読では、エデンの園で人祖であるアダムが蛇の誘惑を受けた、そのような場面も語れました。
福音朗読では、「荒野で四十日間、昼も夜も断食し空腹を覚えた」このイエスの姿は、教会が呼び掛ける四旬節の精神でもある犠牲や節制にも繋がる物語になります。
四十日の断食。一日でも大変な、そして一食でも自分で意識して行おうとすると大変なことだと思います。飢えと渇きの極限状態になると、誘惑は誰の心にも忍び寄ってくるはずです。
私はこの飢えと渇きを想像するときに、現代の世界に見られる飢えや貧困に置かれている人たちのことを重ねて思っています。極度に厳しい生活に置かれた人々もまた、苦難の中で誘惑と戦っているに違いありません。イエスが悪の誘惑と戦ったように、いやそれ以上に貧困状態にある人々の苦しみは、私たちの想像を超えるものだと思います。
教皇フランシスコのメッセージを掲載してカリタスジャパンの四旬節募金がすでに始められています。皆さんはこの小冊子を手に取られたでしょうか。まだお取りになっていない方は、受付においてありますので是非手に取って、教皇様のメッセージを受け取り、行動に移されたらよいと思います。
四旬節を歩む私たちは、どのように愛の業を生きようとしているでしょうか。その呼びかけにどのように応えられるでしょうか。私たちにも試練を与えるこの愛の業、私たちは愛の業を実践する試練をきっと考えなければいけないのだと思います。黙想しながら、私たちの愛の業を考え、前に進めるように力と勇気を神に願い続けたいものです。
イエスに対する三つの誘惑から黙想して、私たち自身を見つめることもできます。「誘惑」は「試み」という言葉にも置き換えることができます。
私たちが大切にしている「主の祈り」の中では、「われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。」と祈っています。今日、私たちが聞いた聖書のお話も、試み、試練というものが描かれました。アダムの受けた試み、エジプト脱出でのイスラエルの民が受けた試みが、私たちには印象的に残っています。そして、今日のみ言葉の中でイエスの受けた試み誘惑・・・・。聖書の中ではたくさんの試練・誘惑というのものが描かれています。
私たちはイエスの十字架の死に与るために、私たち一人ひとりもイエスの試練に倣い、その苦しみ・艱難、それを乗り越えて勝ち抜こうとして歩んでいます。神の力を祈りながら、神の助けを願いながら、私たちはその苦しみを乗り越えようとしています。避けることの出来ない苦しみも時には私たちの前に立ちはだかります。神は私たちが願うならば、必ずや助けを与え、その試練を超えられるように、私たちに力を貸してくれます。そのために私たちは心からの祈りを捧げなければなりません。
私たちは現実を見つめながら、自分の前に立ちはだかる誘惑・試練をどのように考え、受け入れ、それを超えていこうとしているでしょうか。
誘惑をきっぱりと断つ勇気ある姿をイエスは私たちに見せてくれています。私たちはどうでしょうか。利己的な生活、不平不満の生活に明け暮れてはいないでしょうか。つぶやくばかりの現実を反省しなければならないかと思います。そのためにも、誘惑を断つ勇気ある生活を私たちはもう一度見つめ直す必要があるでしょう。
悪魔の誘惑は巧みなもののようです。イエスが受けた誘惑それは、神殿の頂から身を投げるという試みをさせています。イエスはそれに対して敢然と答えます。十字架に架けられた時も祭司長達から「神の子ならば自分を救え」と叫ばれましたが、イエスは沈黙の中でひたすら父なる神に祈っていました。神への信頼を見失い、自分を優先させる場合の多い私たちですが、主を試みることなく信頼を深める私たちの信仰でありたいものです。
富や名誉、快楽が神よりも魅力となれば「二人の主人」に仕えることになります。こうした誘惑について、ある宣教師は「中年の誘惑」と名付けたそうですが、年と共に起こってくる誘惑も私たち人間には必ずあるようです。「あなたの神、主に仕えよ」というイエスの言葉は、神の子の選択となります。私たちは神の子として生きることを心から本当に望んでいるでしょうか。
四旬節を迎えて、主をさらに深く求めるよう招かれています。聖書からの呼びかけはそのような意味で「歩むべき道しるべ」を私たちに黙想させてくれます。個人的に祈る時間を過ごすことも大切です。また、私たちが神の民として、教会共同体として一緒に主を求め、互いの歩みを共有して、支え合う祈りも大事になってきます。
私たちが願い探し扉を叩くとき、それは必ず叶えられるとイエスが約束したことを私たちは忘れないようにしましょう。希望を見失うことなく主を信頼して、何度も何度も繰り返し願い、祈りを捧げて、私たちの歩むべき道を進むことができると思います。
「今こそ、心から私に立ち帰れ」と呼びかけられています。罪の赦しを求め、神のもとに再び帰ることができる恵みがあるということ、赦しの秘跡が教会にはあるということも思い出すようにいたしましょう。
主の復活に向う四十日という四旬節の日々を過ごす私たちですけれど、それぞれの生き方を顧みながら自分の信仰を見つめ、キリストの信仰に従うことができるように、今日もまた主の祭壇を囲んで祈りたいと思います。』
2017年3月1日水曜日
灰の水曜日
今日から四旬節が始まりました。神父様が聖水をかけて祝福した灰を額に受けました。
この日の後藤神父様のお説教をご紹介します。
『今日の「灰の水曜日」から、四旬節が始まります。四旬節というのはラテン語でQuadragesima(クアドラゲシマ)と言い、40番目を意味します。カトリック教会においては、復活祭の46日前、日曜日を除くと40日前の水曜日から復活祭の前日、聖土曜日までの期間となります。四旬節は節制の精神で自らを振り返る期間であり、その間の日曜日はイエスの復活を記念する喜びの日なので、四旬節の40日にはカウントされません。
40という数字は、旧約聖書の中で特別な準備期間を表しています。例えば、モーセは民を率いて40年間、荒野を彷徨いました。ヨナは、ニネヴェの人々に40日以内に回心しなければ町が滅びると予言しました。イエスは公生活を前に、40日間荒野で過ごし断食しました。
四旬節の40日間はそのような伝統に従い、キリスト教徒にとってはイエスに倣うという意義のある準備期間となっているのです。元々は、初代教会で復活祭を前に行っていた40時間の断食のことで、受洗者たちも初聖体に備えて40時間の断食を行っていたようです。
四旬節は本来、復活祭に洗礼を受ける求道者のために設けられた期間でした。4世紀に入ってキリスト教が公認されると受洗者の数が激増して、一人一人に対しての十分な準備が行き届かなくなりました。このような状況に対処するため、従来、求道者のみに課していた復活祭の節制の期間を全信徒に求めるようになり、これが四旬節の起源といわれています。
四旬節では、伝統的に食事の節制と祝宴の自粛が行われ、償いの業が奨励されてきました。それは、祈り、断食、慈善の三つを通じた悔い改めの表明と解されます。つまり、神に対しての祈り、自分自身に対しての節制、さらに他人に対する慈善の三つが四旬節の精神であると教えられているのです。
しかし、四旬節中に食事の節制を行う慣習には実践的な意味もあるとされ、というのも、古代世界では、秋の収穫が初春になると少なくなってしまうことが多かったため、春に入る時期には食事を質素なものにして、乗り切らなくてはならなかったとも言われています。
四旬節中は、喜びを抑える時期という伝統から、カトリック教会のミサでは「栄光の賛歌」、「アレルヤ唱」が歌われず、第2バチカン公会議以降には、福音朗読の前のアレルヤ唱は「詠唱」に代わりました。また、四旬節中の金曜日には、イエス・キリストの受難を思い起こす儀式である「十字架の道行き」を子なう習慣も生まれました。
節制の意義について言いますと、四旬節中の厳格な断食の習慣は、古代末期から中世にかけて確立されました。肉はもちろん、卵、乳製品の摂取が禁じられ、一日一度しか十分な食事を摂ることができないとされました。
今日では、社会の変化により、四旬節中の節制の対象となるのは18歳から60歳までの健康な信徒となっています。今、ほっとされている方もおられたようですね(笑い)。
教会法1253条では、大斎について述べられていますが、基本的に大斎の日には一日一度十分な食事を摂り、あとの2回の食事は僅かに抑え、肉を摂らないという小斎も同時に行われる、とあります。
現行のカトリック教会法では、灰の水曜日と聖金曜日に大斎・小斎を守り、毎週金曜日には小斎を行うというのが基本的な在り方のようです。
元々、キリスト教徒にとって四旬節中の節制には、キリストの苦しみを分かち合うという意味がありました。イエス・キリストの受難と死は、人間の罪を贖うためであると考え、信者はその苦しみに少しでも与ろうとしてきたのです。しかし、そのような意義が忘れられ、義務的な節制という意識が強まってきたため、肉などの特定の食べ物ではなく、自分が好きな食べ物を節制する、あるいは自分の好きな娯楽を自粛する、節制の代わりに慈善活動を行う、といったことが行われるようになりました。
典礼の面では、四旬節は復活の祭儀を準備するために設けられているのであり、四旬節の典礼によって洗礼志願者は、キリスト教入信の諸段階を通して、また信者はすでに受けた洗礼の記念と償いの業を通して、過越しの神秘の祭儀に備えます。
四旬節の初めにあたる今日の水曜日は、断食の日とされ、その日に灰の式が行われます。今日私たちが使う灰は、旧約の時代に犠牲として捧げられた動物が灰になるまで焼き尽くされたことに由来しており、価値のないものを意味しています。
その灰を頭にかぶることは、無念さ、謙虚、悔い改めの情を表し、今日では額に灰のしるしを受ける形になっています。
四旬節は、キリストの受難を思い起こしそれに生きる期間であり、復活祭の準備の期間でもありますが、キリストの愛の教えが毎日の生活の中で実践されることこそ大切なことだと思います。皆さん、一人ひとりの上に祝福を願い、祈りを捧げてまいりましょう。』
この日の後藤神父様のお説教をご紹介します。
『今日の「灰の水曜日」から、四旬節が始まります。四旬節というのはラテン語でQuadragesima(クアドラゲシマ)と言い、40番目を意味します。カトリック教会においては、復活祭の46日前、日曜日を除くと40日前の水曜日から復活祭の前日、聖土曜日までの期間となります。四旬節は節制の精神で自らを振り返る期間であり、その間の日曜日はイエスの復活を記念する喜びの日なので、四旬節の40日にはカウントされません。
40という数字は、旧約聖書の中で特別な準備期間を表しています。例えば、モーセは民を率いて40年間、荒野を彷徨いました。ヨナは、ニネヴェの人々に40日以内に回心しなければ町が滅びると予言しました。イエスは公生活を前に、40日間荒野で過ごし断食しました。
四旬節の40日間はそのような伝統に従い、キリスト教徒にとってはイエスに倣うという意義のある準備期間となっているのです。元々は、初代教会で復活祭を前に行っていた40時間の断食のことで、受洗者たちも初聖体に備えて40時間の断食を行っていたようです。
四旬節は本来、復活祭に洗礼を受ける求道者のために設けられた期間でした。4世紀に入ってキリスト教が公認されると受洗者の数が激増して、一人一人に対しての十分な準備が行き届かなくなりました。このような状況に対処するため、従来、求道者のみに課していた復活祭の節制の期間を全信徒に求めるようになり、これが四旬節の起源といわれています。
四旬節では、伝統的に食事の節制と祝宴の自粛が行われ、償いの業が奨励されてきました。それは、祈り、断食、慈善の三つを通じた悔い改めの表明と解されます。つまり、神に対しての祈り、自分自身に対しての節制、さらに他人に対する慈善の三つが四旬節の精神であると教えられているのです。
しかし、四旬節中に食事の節制を行う慣習には実践的な意味もあるとされ、というのも、古代世界では、秋の収穫が初春になると少なくなってしまうことが多かったため、春に入る時期には食事を質素なものにして、乗り切らなくてはならなかったとも言われています。
四旬節中は、喜びを抑える時期という伝統から、カトリック教会のミサでは「栄光の賛歌」、「アレルヤ唱」が歌われず、第2バチカン公会議以降には、福音朗読の前のアレルヤ唱は「詠唱」に代わりました。また、四旬節中の金曜日には、イエス・キリストの受難を思い起こす儀式である「十字架の道行き」を子なう習慣も生まれました。
節制の意義について言いますと、四旬節中の厳格な断食の習慣は、古代末期から中世にかけて確立されました。肉はもちろん、卵、乳製品の摂取が禁じられ、一日一度しか十分な食事を摂ることができないとされました。
今日では、社会の変化により、四旬節中の節制の対象となるのは18歳から60歳までの健康な信徒となっています。今、ほっとされている方もおられたようですね(笑い)。
教会法1253条では、大斎について述べられていますが、基本的に大斎の日には一日一度十分な食事を摂り、あとの2回の食事は僅かに抑え、肉を摂らないという小斎も同時に行われる、とあります。
現行のカトリック教会法では、灰の水曜日と聖金曜日に大斎・小斎を守り、毎週金曜日には小斎を行うというのが基本的な在り方のようです。
元々、キリスト教徒にとって四旬節中の節制には、キリストの苦しみを分かち合うという意味がありました。イエス・キリストの受難と死は、人間の罪を贖うためであると考え、信者はその苦しみに少しでも与ろうとしてきたのです。しかし、そのような意義が忘れられ、義務的な節制という意識が強まってきたため、肉などの特定の食べ物ではなく、自分が好きな食べ物を節制する、あるいは自分の好きな娯楽を自粛する、節制の代わりに慈善活動を行う、といったことが行われるようになりました。
典礼の面では、四旬節は復活の祭儀を準備するために設けられているのであり、四旬節の典礼によって洗礼志願者は、キリスト教入信の諸段階を通して、また信者はすでに受けた洗礼の記念と償いの業を通して、過越しの神秘の祭儀に備えます。
四旬節の初めにあたる今日の水曜日は、断食の日とされ、その日に灰の式が行われます。今日私たちが使う灰は、旧約の時代に犠牲として捧げられた動物が灰になるまで焼き尽くされたことに由来しており、価値のないものを意味しています。
その灰を頭にかぶることは、無念さ、謙虚、悔い改めの情を表し、今日では額に灰のしるしを受ける形になっています。
四旬節は、キリストの受難を思い起こしそれに生きる期間であり、復活祭の準備の期間でもありますが、キリストの愛の教えが毎日の生活の中で実践されることこそ大切なことだと思います。皆さん、一人ひとりの上に祝福を願い、祈りを捧げてまいりましょう。』
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