2018年9月9日日曜日

年間第23主日

9月6日(木)未明に北海道の胆振東部を震源として発生した地震は、胆振、日高地方、札幌の一部地域に大きな被害をもたらしました。
また、地震のつい2日前には、猛烈に発達した台風21号により近畿地方を中心に強風や高潮による大きな被害がありました。
今回の災害で亡くなれた方々のご冥福をお祈りしますとともに、被災された方々が一日も早く安心して暮らせる日に戻れますようお祈り申し上げます。

幸いなことに、教会の位置する札幌市中心部は、大きな揺れによる直接の被害はありませんでしたが、北海道全域に及んだ停電は、物流の停止や交通網のマヒなど日常生活に大きな支障を及ぼしました。
このため、今日は年に一度のチャリティバザー「かてどらる祭」が行われる予定でしたが中止を余儀なくされました。

それでも、今日までに停電はほぼ回復し、この日のミサは予定されていたとおり、英語ミサグループの外国人信徒との合同ミサとして司式され、地震の発生から日が浅いにもかかわらず多くの信徒が教会に集いました。
ミサの後は、バザーのためにあらかじめ準備していた食材などを利用して、ささやかなミニバザーが行われ、お互いの無事を確認し合ったりと、束の間の談笑の輪が広がっていました。



この日のミサは、森田神父の主司式で、後藤神父、佐藤神父、簑島助祭の共同司式により行われました。


森田神父様のお説教をご紹介します。

『今日の福音は私たちにとって、風変わりに思います。何故なら、イエス様は触れるだけで癒やすことができる。あるいは、遠くから一言声をかけるだけで癒やすことができる。そのような箇所がいくつかあります。そのような中で、その人を連れ出して、その両耳に手を入れたり、唾をその舌につけたり。少し時間をかけ過ぎのような気がします。
 少し観点を変えて見ると、その人は一瞬で癒やされるよりも、こんなに長い時間、イエス様と一緒にいれていいな。彼の受ける印象が少し違うかもしれません。イエス様は私たちの抱える病気とか問題を、様々な手法でされることが考えられます。百人隊長は僕を癒やしていただくときに、イエス様に、わざわざ来てもらう必要はありません。遠くから一言おっしゃってくださいと言われたのです。イエス様はそのようにされました。イエス様は百人隊長を皆の前で褒めました。(ルカ福音書7章2~10節)別な時には、会堂長のヤイロの娘の話があります。(ルカ福音書8章41~56節)自分の娘が死にそうなので、治してくださいと言われたイエス様は、行って治してあげようと、わざわざそうおっしゃいました。イエス様はヤイロを見ながら、もしかしたらこの家族は熱心な神様の弟子になると直感したのかもしれません。そして、12歳の娘を生き返らせたのです。そういう目的があったかもしれません。
 そして、イエス様はこのことを、誰にも話さないようにとおっしゃいました。別な箇所では、こう言っています。ゲラサ地方の悪霊にとりつかれた男の話です。この男から悪霊は出て行きました。しかし、ゲラサ地方の住民はイエス様に、ここから出て行って欲しいと言います。その時、イエス様はその男に、ことごとく話して聞かせなさいとおっしゃいます。(ルカ福音書8章26~39節)いろいろ違いますね。黙っていなさい。話しなさい。
 今日のイエス様は、私たちが不思議な業を他人に伝えるよりも、それを私たちの心に受け取って、深くこれを黙想したいのです。その意味を考える。神様はこんなに力強い方で、私たちを癒やしてくださる。こんなに近いお方でもある。それを考えて、私たちの今後の信仰やあり方をゆっくりと深めて欲しいと思われているのではないでしょうか。
 肉体上の癒しは一時的なものですが、精神上、霊的な癒しは長く続いて、永遠の命に至ります。もし、これを深めなければ、イエス様を喜んで迎えた後に、十字架につけろと叫ぶ民衆に私たちはなり得るわけです。私たちはこれを深めて、私たちの中に定着させる必要があると思います。
 このように今日の話は、ちょっと以外に見えますが、主はいろんな面からその人自身を良く知っておられ、何がその人にとってベストな方法であるか、何がその人にとって幸福に繋がる方法であるか、良くご存じである。そして主は、ご存じであるばかりでなく、それを望んでくださる。そういうことを思いながら、私たちも自分に対する主のなさり方を常に信頼して、祈りの中でそれを深めていきたいと思います。』