2019年3月10日日曜日

四旬節第1主日

回心と愛のわざに励み、イエスの荒れ野での試みを思い出し、試練や誘惑を受けとめ乗り越え、四旬節の準備をいたしましょう。


今日の後藤神父様のお説教の大要をご紹介します。

『典礼の紫色は待降節と、そして今始まった四旬節の間に着ることになります。先週の「灰の水曜日」から、四旬節が始まっています。
灰の水曜日の儀式に与った方は、みな額に灰を受けます。灰を受けながら四旬節の精神というものを心に刻まれたと思います。
四旬節の典札を通して、わたしたちがよりいっそうキリストの死と復活の神秘を深く悟ることができるように祈りましょう。そして日々、キリストのいのちに生きることができるよう四旬節を過ごしていきましょう。

四旬節のテーマは、「苦しみを経て 栄光へ」ともいえるかと思います。このテーマを今日の第一朗読の「申命記」が最初に語ります。試練は、イスラエルの民が苦しみの時代を超えて、エジプトを脱出しモーセによって紅海を渡り、砂漠を越えて40年間と言う長い時の流れを持って試みられ、その後、嗣業の地 に導かれたことを伝えます。試み、試練の時には民は神から与えられたマンナについてつぶやき、また、みことばから離れ自分たちの思うままに生きたいと神に仕えることを忘れ、過ちを犯してしまいました。

四旬節のテーマは新約にも引き継がれ、今日のルカの福音では、イエスの荒野での40日の悪魔の試みにも重なってきます。イスラエルの民の過ちがイエスの三度の誘惑と重なり 考えることができるのです。マンナのつぶやきは、「人はパンだけで生きるのではない」とイエスは悪魔の誘いを退けます。みことばから離れたイスラエルの民は偶像礼拝の過ちを犯しますが、「あなたの神なる主を礼拝し、ただ主のみに仕えよ」と悪からの妥協を許さず退けました。さらにイスラエルの民が砂漠で渇きをおぼえ、水が欲しいと神を試みましたが、イエスは「あなたの神である主を試みてはならない」とその誘惑を退けたのです。
試練の中に起こってくる悪からの誘惑は、今のわたしたちにも起こりうることです。イスラエルの民が犯した三つの誘惑の過ちは、イエス・キリストの悪魔から受けた三つの誘惑と重なりますが、新しい民の頭である救い主イエス・キリストを証明することにもなりました。その救い主は、受難、死と復活をもってわたしたちを救いへと招いているのです。
教会が四旬節の典礼の精神を思い起こさせるのは、復活秘義にあずかるために、古い衣を脱ぎ捨て、キリストを着ることでもあるでしょう。
心に刻みたい祈りは、四旬節の初めにありました。
「いつくしみ深い神よ、四旬節の務めに励み、清い心で復活祭を迎え、御子の過越の神秘を祝うことができますように(灰の水曜日、灰の式 I )。
「四旬節の努めに励み、罪のゆるしを受けて新しいいのちを得、復活された御子の姿にあやかることができますように」(同、または灰の祝別 II )。この祈りは、四旬節が始る灰の水曜日の典礼儀式で使われた祈りになります。

四旬節に入り最初の日曜日である四旬節第1主日には、A,B,C年の各年ともイエスの洗礼の後、聖霊によって荒れ野に導かれ、そこで悪魔から誘惑を受けてそれに打ち勝った記事が今日も読まれましたが、この内容は誰でも知っています。
現代社会でも「試み、試練、誘惑」は誰もが体験しますが、この世に生まれすでに洗礼を受けたわたしたちもまた、試練や誘惑の場に生きているように思います。そして、避けることのできない試みの現実が日々わたしたちに訪れてきます。そういう時に私たちは、どんな選択をし、どんな決断をして歩んでいるでしょうか。
避けることのできない試みの現実がありますが、終末的な試みの場を通して約束の地に導かれる神の民として、私たちがキリスト者としてよい決断を持って前に進まなければなりません。

今日のみことばでは、そうした三つの誘惑の物語をもって私たちに黙想を求めています。、当時の人々は 預言者を通して伝えられた戒め、勧めとして思い起こして、黙想をしていたと伝えられています。私たちも二千年前のキリスト者と同じように教会が示している四旬節のテーマを心に刻んで歩んでいきたいと思います。

四旬節の「苦しみを経て栄光へ」というテーマで始まった四旬節、回心と愛のわざに励み、イエスの荒れ野での試みを想い出して、試練や誘惑を受けとめ乗り越え、そして復活祭の準備に一人一人がお互いに祈り合って今日のミサに与りたいと思います。』