この日、灰を受けた私たちは四旬節を「悔い改め」「罪の償い」「神への立ち帰り」の心で過ごしましょう。
この日のミサは、佐藤神父様と後藤神父様の共同司式で行われました。
佐藤神父様のお説教をご紹介します。
『今日は「灰の水曜日」で、今日から四旬節に入ります。この紫色の祭服は、私が司祭叙階の時に四種類全部揃えたもののひとつですが、紫というのはほとんど使われることがなく、この四旬節と待降節の期間に使われるので、非常に珍しいと思います。ただ、今日は久しぶりにクリーニングをして着るものですから、アルバにまとわりつく感じです。逆に、新鮮な感じをしております。
今日の「灰の水曜日」で私たちは灰を受けるわけですが、そのしるしによって私たちは四旬節の間中、悔い改めなさい、罪の償い、そして神に立ち帰れ、これを思って過ごせるようにこの灰を受けるわけです。
第一朗読、ヨエルの預言の始めに「あなたたちの神、主に立ち帰れ」という言葉がありましが、これが端的に四旬節の意味を表しています。すでに洗礼を受けておらえる皆様にとっては、改心と罪の償いを意味しますし、これから洗礼を受ける方にとって洗礼の準備を意味するわけです。洗礼の準備とは復活祭に向けての準備といえます。洗礼志願者が復活徹夜祭で洗礼を受けた後、洗礼を受けている私たちは「洗礼の約束の更新」を行います。そしてその「洗礼の約束の更新」をとおして、私たちも洗礼を受けたと時のことを思い出し、神から離れることのないようにします。もし、神から離れていたなら、この四旬節の期間に悔い改めて、神に立ち帰るように心がけるのが良いと思います。
福音の中でイエスは次のように言っておられます。「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。…祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。…断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。」と、あります。これらこういうことをすることは、神の前で神を試す行為であると思います。
私たちはこの四旬節の間、祈りをしますし、施しをします、善い行いをします。断食もします。そのときに決して人に見てもらおうとか、と思うのではなくて、これが当たり前のことなんだと思うように歩んでいってもらえると良いと思います。施しをすることで既に報いを受けているのだ。祈ることで既に報いを受けているのだ。断食することで既に報いを受けているのであって、そこで人に見られたからといって何になるのかということです。普通のことであって、そして人に誇ることではないと、心にとめていただきたいと思います。
第二朗読、Ⅱコリントの手紙でパウロは、「神と和解させていただきなさい」と言っています。私たちに求められているのは、神に立ち帰ることであり、神と和解することです。
四旬節に入り、今日、灰を受けるために集った私たちは、自分の心が神に向かっているのだろうかと考える良い機会を与えられています。
このような神の恵みに感謝して、今日引き続き、灰の式に入っていきたいと思います。』