2019年3月3日日曜日

年間第8主日

死よ、お前の勝利はどこにあるのか(一コリント15・55より)

今週「灰の水曜日」を迎えます。今日の福音でイエスは「隣人を咎める前にまず、自分の過ちを正しなさい」と諭されました。



後藤神父様のお説教の大要をご紹介します。

『1年の典礼の季節の中で「年間」の季節が一番長い季節ですが、年間の季節は毎年、四旬節、復活節がちょうど中に入ってきますので、前半の年間の季節と復活節が終わった後の年間の季節と、ふたつの季節に分かれています。今日は年間の前半の季節の最後の主日になります。今週の水曜日(6日)から新しい典礼の季節、四旬節が始まろうとしています。四旬節を迎えると、皆さんもきっと春が来る、復活節を迎えるという思いの中で、春も来るんだと、長い信仰生活をしている人は感じているのではないかと思います。

 3年間(C年)の前半の最後の主日である今日のみ言葉。いろいろなテーマでイエスが弟子たちにたとえ話で語られました。イエスの弟子たちに対する心は近い将来、ご自分の後継者として教えを正しく、忠実に生きることを願い、その弟子たちが力強く復活の証し人として生きること、そういう思いであったと考えます。そうしたことを考えて、今日のみ言葉を味わう時に、たくさん語られるたとえ話の理解が深まるような気がします。
 自分の後継者として相応しくあって欲しいと弟子たちに語ったたとえ話。盲人の案内のたとえ、目にあるおが屑を使った人を裁く過ちの話し、実を結ぶ木の話など、次から次へと話されました。キリストの証人として、人を導く者になるならば、相応しい道案内人にならなければならない。案内をしながら、共に穴に落ちては困る。そして、あなたがたは師であるイエスに勝ることはないにしても、相応しい弟子になることが出来る。そのためには努力もしていかなければならない。
 イエスの目には、弟子たちの中にはまだまだ努力をしなければならないものが見えていたのかも知れません。先週のみ言葉を借りるとすれば、思いおこすと、裁くことはできたとしても、赦すことも、与えることもまだまだ十分に出来ていない弟子たちであったようです。時々、弟子たちはイエスに仕えていながら、非常に狭い考え方で人々を追い払おうとしていました。時にはペトロもそうでした。イエスの言葉にほんの少しでしたが、疑いを持ってしまった。あの網を下ろしなさいと言われた話の時に、ペトロはまだ十分な信頼を持てないでいた。また、弟子たちの中には、イエスの右に座るのは誰だろうか。そんな思いで、自分の立場に執着する弟子たちもいたように語られています。狭い考え、利己心に左右されて自分の立場を優先しまう弟子たち。そういう生き方がイエスの目には、見え隠れする弟子たちの心がありました。正しくない、道を外れたことを企てる心などを表す「よこしまな気持ち」。それは時に律法学者たちがたびたびイエスをおとしめようとしていたときに現れていたものでした。でも、その「よこしまな気持ち」は弟子たちの中に時々湧き上がっていたようです。

 今日のみ言葉の中でも厳しいイエスの呼びかけがありました。弟子たちに向かって「偽善者よ!」と呼びかけています。隣人を咎める前にまず、自分の過ちを正しなさいと諭されました。他人に教え、他人を導く第一の条件は、自らをよく知ることであり、自らを改め清めてこそ、キリストの弟子にふさわしい者になる。そして、心の内からあふれる言葉は、「話しているその人を現す」ともいわれます。
 それは第一朗読のシラ書でも語られていました。「話し方で、人は試されるのであり、心の思いは、話しを聞けばわかる。」と語っています。話す前にまず自ら実行することが求められ、その人の生き方に関わっているというのです。弱い私たちです。心の目が常に開かれてイエスに信頼するものであり、良き実を結ぶための人になっていかなければと思います。けっして偽善者であってはなりません。
 それでも、自分を見つめていると弱い自分が目に浮かびます。第二朗読のパウロが励まして応えてくださっています。「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないよう にしっかり立ち、主の業(わざ)に常に励みなさい。主に結ばれているならば、自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」(1コリント15:58)。

 わたしたちは、日々の生活の中で自分の十字架を背負って歩いています。試練においては、神に信頼して信仰に励むことが大事になります。弱さの中にあって主が励まし、力を与えてくださいますように。そう祈りを続けなければと思います。
 復活祭の準備となる四旬節が、今週の6日、「灰の水曜日」から始まろうとしています。教会が奨めている四旬節の精神はどんな精神でしょうか。回心と愛のわざに励むように と、毎年のように教皇様は全世界に繰り返し呼びかけられています。「償い」という言葉も良く四旬節に使われている言葉です。「灰の水曜日」は特別な日になります。「大斎・小斎」という言葉を皆さんは思い起こしていると思います。満60歳に達するまでの成人、健康な人は「大斎・小斎」を守る日とされています。大斎とは、一日に一回だけの十分な食事をとり、その他はわずかな食事をすることとされています。これは満14歳から60歳までの健康な人が守って欲しい、守るべき義務としての大斎とされています。また、小斎は肉を控えるという伝統的な考え方になっています。
 四旬節中は全世界の教会と連帯し、小さき人たちとの共感を大切にして「愛の献金」の奨めも続いています。日々の償いは各自の判断で、愛の行為に換えて行うことも「償う」といえると説明されています。愛と償いのわざを積極的に進めていくことが出来るように、この四旬節もまた神様の力と後押しを願いながらと思います。』