2020年4月26日日曜日

復活節第3主日

【松村主任司祭からのメッセージ】

復活第3主日に向けて
♰ 主のご復活お喜び申し上げます
  ルカ福音書における頂点に位置する今日の聖書朗読箇所は、弟子の信仰における行動指針を示すものとして私たちに多くのアドバイスをくれます。まず復活したイエスは、イエスと気づかれずに弟子のもとに近づきます。そして共に歩く同伴者から始めます。身を潜め、ただ耳を傾けて謙虚に対応します。上から教え諭す律法学者とは正反対の姿勢を取り、奉仕者として、また私たちの痒い所に手が届く様にそっと心に寄り添う姿が見て取れます。このようにまず正しくても間違っていても聞いて、違うところから真の正しさに向けて順に紐解いていくことは、相手のプライドや主張を無視せずに、私たちの内面性を変えようという真の温かさが感じられます。イエスは強制的に教えるのではなく、私たちに「見せて」「気づかせる」方法を取ります。まどろっこしいのですが、自分が理解しない限り、私たちの真の回心はあり得ないからです。そして復活が「分かる」、すなわち“目が開け・・・イエスと分かった”時、私たちは改めて生前イエスに習ったことを思い起こし、熱心に聞いていた、見ていたことが脳裏によみがえり、情熱的であった自分を取り戻すのです。
今回のコロナウイルスの蔓延をはじめ、過去にいろいろな自然災害や人災が起きた時に、私たちは「隣人に対して何か愛を行わなければ」と心が燃えていませんでしたか?時間が経つと忘れてしまう限界を持つ私たちですが、今なお私たちにイエスが近づいてきていることに心を留めましょう。復活したイエスは、目に見えなくてもあなたのそばで今日も心身ともに支えようと同伴されているからです。
2020年4月26日 復活節第3主日
北1条教会より アンドレア 松村繁彦

【聖書朗読】

希望の源である神よ、
  あなたは御子キリストの復活によって、
  新しいいのちに至る道を示してくださいました。
  信じる者とともに歩んでくださるキリストに、
  わたしたちがいつも心を開き、
  救いの喜びを分かち合うことができますように。
   集会祈願より


第1朗読 使徒言行録 2章14、22~33節
 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。
 「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、
 知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。

 イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。
 ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。
 神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、
 しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。
 あなたがた自身が既に知っているとおりです。

 このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、
 あなたがたに引き渡されたのですが、
 あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、
 十字架につけて殺してしまったのです。

 しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。
 イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。

 ダビデは、イエスについてこう言っています。
 『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、
 わたしは決して動揺しない。

 だから、わたしの心は楽しみ、
 舌は喜びたたえる。
 体も希望のうちに生きるであろう。

 あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、
 あなたの聖なる者を
 朽ち果てるままにしておかれない。

 あなたは、命に至る道をわたしに示し、
 御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』

 兄弟たち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、
 その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。

 ダビデは預言者だったので、
 彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、
 神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。

 そして、キリストの復活について前もって知り、
 『彼は陰府に捨てておかれず、
 その体は朽ち果てることがない』
 と語りました。

 神はこのイエスを復活させられたのです。
 わたしたちは皆、そのことの証人です。

 それで、イエスは神の右に上げられ、
 約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。
 あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。

第2朗読 ペトロの手紙1 1章17~21節
 また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、
 「父」と呼びかけているのですから、
 この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。

 知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、
 金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、

 きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。

 キリストは、天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、
 この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました。

 あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、
 キリストによって信じています。
 従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。

福音朗読 ルカによる福音書 24章13~35節
 ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから
 六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、

 この一切の出来事について話し合っていた。

 話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。

 しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。

 イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。
 二人は暗い顔をして立ち止まった。

 その一人のクレオパという人が答えた。
 「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、
 あなただけはご存じなかったのですか。」

 イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。
 「ナザレのイエスのことです。
 この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。

 それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、
 十字架につけてしまったのです。

 わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。
 しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。

 ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。
 婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、

 遺体を見つけずに戻って来ました。
 そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。

 仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、
 あの方は見当たりませんでした。」

 そこで、イエスは言われた。
 「ああ、物分かりが悪く、
 心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、

 メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」

 そして、モーセとすべての預言者から始めて、
 聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。

 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。

 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、
 もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、
 イエスは共に泊まるため家に入られた。

 一緒に食事の席に着いたとき、
 イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。

 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。

 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、
 わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。

 そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、
 十一人とその仲間が集まって、

 本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。

 二人も、道で起こったことや、
 パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。