2020年5月9日土曜日

5月10日(日)復活節第5主日

復活節第5主日を迎えるにあたり、湯澤神父様からメッセージをいただきましたのでご紹介します。

【湯澤神父様からのメッセージ】

復活第5主日(ヨハネ、14章1~12節)
✚ Pax et Bonum

兄弟姉妹の皆様
 「心を騒がせてはいけない。」この言葉は「わたしが行く所に来ることができない」という言葉に動揺した弟子たちに向けのイエス様の言葉です。更に言葉を付け加えます。「共にいるために、必ず迎えに来るから。わたしは道であり、真理であり、命だから。」

 天に戻っていくイエス様を前にして、弟子たちは不安に襲われています。取り残される。案の定、イエス様が殺された後、弟子たちは部屋に鍵をかけ、閉じこもってしまいます。しかし、イエス様は「あなた方に平和」といって現れました。平和は、戦争や争いのないことではなく、救いの完成を意味しています。イエス様は、救いの完成を携えて弟子たちのところへ戻ってきたのです。「あなた方に平和があるように。私が父に派遣されたように、あなた方を派遣する。」

 取り残されて不安の内にあるのは、弟子たちだけではありません。この福音書を読む人たちも同じでした。ユダヤ教の教会から追い出され、集まる場所を失ったヨハネの時代の信徒たちは、家庭集会に閉じ籠ることになりました。更にローマによる信仰の迫害が始まろうとしています。不気味な不安の中にある信徒たちのために、ヨハネはイエス様の言葉を伝えたのです。「心を騒がせてはいけません。イエス様は平和を携えて来られます。平和をもたらす道であり、救いの完成への道であるキリストに結ばれましょう。それこそ本当のキリストの弟子の真の在り方であり、真に生きることだからです。」さらに手紙の中で、「わたしたちの交わりは、父と子の交わりであって、この交わりをわたしたちは広げているのです。」と書いています。

 イエス様の前の弟子たち、ヨハネの周りにいる信徒たち。彼らは、わたしたちに似ていませんか。教会にも行けず、集会も開けず、自宅待機を求められ、家庭に留まっています。イエス様の言葉、ヨハネの福音、それは、こうしたわたしたちに向けられた言葉でもあるのです。「心を騒がせてはいけません。イエス様にパーソナルに(個人的に、人格的に)結ばれましょう。幹につながるブドウの枝のように。そして、互いにキリストに結ばれたものとして、互いの交わりを深めましょう。互いに愛し合いましょう。」

 「神様との交わり」と聞くと個別的な信仰に閉じこもりがちですが、この交わりは決して閉鎖的なものではありません。人と人の間に広がっていくものです。自宅待機で、交わりの手段をすべて奪われているのでしょうか。周りを見回してみましょう。まだまだ様々な手段が残されています。イエス様の言葉は、今現在の私たち一人ひとりに向けられた言葉です。「心を騒がせてはいけない。」「あなた方に平和があるように。」

2020年5月10日 復活第5の主日
湯澤民夫


【5月10日の聖書朗読】

いつくしみ深い父である神よ、
  あなたは御子キリストを復活させ、
  永遠のいのちに至る道を示してくださいました。
  わたしたちが危機や不安の中を歩むとき、
  あなたにいつも心を向けることができますように。
   集会祈願より

第1朗読 使徒言行録 6章1~7節
 そのころ、弟子の数が増えてきて、
 ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。
 それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。

 そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。
 「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、
 食事の世話をするのは好ましくない。

 それで、兄弟たち、
 あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。
 彼らにその仕事を任せよう。

 わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」

 一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、
 ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、
 アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、

 使徒たちの前に立たせた。
 使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。

 こうして、神の言葉はますます広まり、
 弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。


第2朗読 ペトロの手紙1 2章4~9節
 この主のもとに来なさい。
 主は、人々からは見捨てられたのですが、
 神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。

 あなたがた自身も生きた石として用いられ、
 霊的な家に造り上げられるようにしなさい。
 そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、
 イエス・キリストを通して献げなさい。

 聖書にこう書いてあるからです。
 「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、
 シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」

 従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、
 信じない者たちにとっては、
 「家を建てる者の捨てた石、
 これが隅の親石となった」のであり、

 また、「つまずきの石、 妨げの岩」なのです。
 彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、
 実は、そうなるように以前から定められているのです。

 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、
 神のものとなった民です。
 それは、あなたがたを暗闇の中から
 驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、
 あなたがたが広く伝えるためなのです。



福音朗読 ヨハネによる福音書 14章1~12節
 「心を騒がせるな。神を信じなさい。
 そして、わたしをも信じなさい。

 わたしの父の家には住む所がたくさんある。
 もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。

 行ってあなたがたのために場所を用意したら、
 戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
 こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。

 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」

 トマスが言った。
 「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。
 どうして、その道を知ることができるでしょうか。」

 イエスは言われた。
 「わたしは道であり、真理であり、命である。
 わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。
 今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」

 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。
 そうすれば満足できます」と言うと、

 イエスは言われた。
 「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。
 わたしを見た者は、父を見たのだ。
 なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。

 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。
 わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。
 わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。

 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。
 もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。

 はっきり言っておく。
 わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、
 また、もっと大きな業を行うようになる。
 わたしが父のもとへ行くからである。