2020年5月17日日曜日

復活節第6主日 世界広報の日

森田神父様から復活節第6主日の説教をいただいています。
聖書朗読とあわせてご覧ください。

【森田神父様 お説教】

『「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなた方と一緒にいるようにしているようにしてくださる。(ヨハネ14:16)」

古代ではパラクレートスというギリシア語を「弁護者」として使いました。もともとの意味は「招き入れられた」ということらしいのですが、そこから弁護者に使われたり、聖書では「助けぬし」「慰め主」と訳されることもあります。

弁護者といわれると法律用語で、わたしたちとは縁遠く感じます。迫害が始まって王や役人の前で答えるときに助けてくださる、ということでしたら、一生に一度あるかないかでしょう。現代のように宗教や信条の自由が保障されている時代ではまず体験しないことではないかと思います。

ある黙想会に参加したときに、インド人の聖書学者の司祭が「これは誤訳だと思う」とおっしゃいました。パラクレートスの「パラ」は「横に」「共に」の意味。だから単語の意味は「共に立つもの」「横にいるもの」とすべき、とおっしゃいました。

これならピンと来ます。

キリストは「この霊があなた方と共におり、これからも、あなた方のうちにいる」とおっしゃいます。それならば、やはり迫害のときだけ助けてくださる弁護者ではなくて、私たちの日常、そして人生において「共に立つもの」でしょう。この訳ならピンと来ますし、前後の脈絡にもあっていると思います。

「私は父にお願いしよう。父は別の助けぬし(共に立つもの)を遣わして、永遠にあなた方と一緒にいるようにしてくださる。」

「別の」。イエス以外に別の助け主がいるのでしょうか。イエスに等しい助け主などいるのでしょうか。

しかし聖霊はおん父の霊でもあり、イエスの霊でもあります。イエスがこの世を去られた後も、聖霊が私たちと共にいてくださいます。この約束はどれほど心強いものでしょうか。

聖霊は私たちの現実に即して導いてくださいます。生活の細かいところまで神に従おうとする人には、細かいところまで導き、祝福してくださるでしょう。

イザヤ書の次のような箇所を思い出します。

「あなたの目は常にあなたを導かれる方を見る。
あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。
『これが行くべき道だ、ここを歩け
 右に行け、左に行け』と。」(イザヤ30:20-21)

イエスはおっしゃいます。
「この世はこの霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかしあなたがたはこの霊を知っている。」

たしかにイエスが聖霊の存在を教えてくださらなければ、知ることも求めることも受け入れることもしなかったでしょう。

またイエスがこの助け主を遣わすとおっしゃらなければ、いただけないものだと思っていたでしょう。

しかしイエスは与えると約束してくださいます。

教会はこの聖霊の存在についてあまり強調してきませんでしたが、イエスがこの霊を私たちにお与えるになることを望んでおられることを私たちは知ります。

ルカ11章13節にもこうあります。
「まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

コロナウィルスの試練の中で、不安が広がっています。しかし試練はきっと神の恵みをももたらすでしょう。主の言葉に励まされ、聖霊と共に歩み、どのような状況の中でも私たちに道を示し、教え導き、助けてくださる方に信頼して歩んでまいりたいと思います。』



【5/17 復活節第6主日 (世界広報の日)の朗読】

いつくしみ深い父である神よ、
  主イエスは最後の晩餐の席で弟子たちに、
  「あなた方をみなしごにはしない」と約束してくださいました。
  どのような時も助け主である聖霊に支えられ、
  キリストとともに生きる恵みを、
  わたしたちに与えてください。
   集会祈願より

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第1朗読 使徒言行録 8章5~8、14~17節
 フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。
 群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、
 こぞってその話に聞き入った。

 実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、
 その霊が大声で叫びながら出て行き、
 多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。

 町の人々は大変喜んだ。

 エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、
 ペトロとヨハネをそこへ行かせた。

 二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。

 人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、
 聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。

 ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。


第2朗読 ペトロの手紙1 3章15~18節
 心の中でキリストを主とあがめなさい。
 あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、
 いつでも弁明できるように備えていなさい。

 それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。
 そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、
 悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。

 神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい。

 キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。
 正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。
 あなたがたを神のもとへ導くためです。
 キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。


福音朗読 ヨハネによる福音書 14章15~21節
 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。

 わたしは父にお願いしよう。
 父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。

 この方は、真理の霊である。
 世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。
 しかし、あなたがたはこの霊を知っている。
 この霊があなたがたと共におり、
 これからも、あなたがたの内にいるからである。

 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。
 あなたがたのところに戻って来る。

 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。
 わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。

 かの日には、わたしが父の内におり、
 あなたがたがわたしの内におり、
 わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。

 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。
 わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。
 わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」