2020年11月22日日曜日

王であるキリスト

 今年4月から、当教会を含む3教会(北11条、北26条)の協力司祭を務めておられますウルバン・サワビエ神父様(フランシスコ会)から、11月22日「王であるキリスト」の福音メッセージをいただきましたのでご紹介します。

 ウルバン神父様の前任地のカトリック戸塚教会ホームページに掲載されている転任にあたってのご挨拶と写真を転載させていただきます。

戸塚教会だより 2020年4月号 No.188 


【福音メッセージ ウルバン神父様】

2020.11.22 王であるキリスト

ウルバン・サワビエ神父 

今日は王であるキリストの祝日です。

この日はあんがい新しい祝日です。私は子供の時通った教会には大きな十字架がありました。そのイエス様の姿の十字架か私は好きでした。十字架の釘は大きかったけれども子供にとって恐ろしくなかった。体に傷と血があったがそれも痛そうに見えなかった。頭に冠があったが、冠にとげはなかった。王の輝く冠でした。イエスは手を広げて偉大なる力のある姿を現した。本当に王の姿でした。王らしい顔、優しい目のまなざしでずっと遠くまで見ているようがしました。誰を見て、だれを探しているでしょうか。イエス様、ぼくをも見ているかと聞いたこともありますが、私のほうへ見てくれませんでした。やっぱりイエス様は王様だ。この優しい、強いイエス様についていきたいと思いました。それで9歳に侍者になった時、いつも丁寧に、また丁寧に十字架の前に深いおじぎをしました。この故郷の十字架のイエス様はつねに心の中に残りました。

終戦後になって王であるキリストの祝日の時でした。私たち若者はみながある大好きな歌を生き生きした声で歌いました。 ‘わが王キリストよ、あなたのみ愛することを誓います、美しい白い百合のような愛、また忠実を、死に至るまで’。それを何回も張り切って歌いながら、体も心も熱くなって、心は革新と喜びにあふれた。やはりキリストは私たちの王です と私たちが深く感じました。

何年か後のことでした。渋谷か新宿駅のラッシュアワーに大勢の人々の間を歩いた時、人の大群衆でびっくりして、人に酔っていました。こんなに大勢の人を見たことはありませんでした。海の波のように見えました。その時思ったのは:イエス、あなたはどこにいるのか。あなたはここでも王なのか?あなたをどこもみえません。皆はあなたを知りません。あなたはいったいどこにいるでしょうか。何回も寂しそうに、悲しそうに心の中で言った。ある時声が聞こえるようにした。心配するな。私は皆の主、皆はわたしの子供ではないか。誰も私を知らなくても、私が一人、一人をしている。私はみなに命を与えたのではないか。私の手から出た心は愛に飢えている。またその心に私の声が聞こえる、私の慰め、励ます声。そしていつか私に会う。

40年前に数人の若者とともに韓国へ行きました。韓国戦そのあとで、生活はまだ厳しかった。ある日私たちはライ病者の村にも行きました。貧しいわら小屋の村でした。ある小屋の前に一人の男の人が座って誰かに自分の足を出した。その足の下はもうきえて、その足の残りの中から血とうみが流れ出た。その人の前に一人が土の上で座って病人の足を手にもって、それを治療して、血とうみを丁寧に洗っていた。私は王であるが、私が来たのは使えられるためではなく、使えるために来たと知った。その時私は心の底まで感動した。イエス様の姿が見えた。今日イエス様私とあなたを見ています。静かな声が聞こえるでしょうか。私について来ますか。あなたは最も小さな者にしたのは私にしたのである。