2021年1月3日日曜日

主の公現

 湯澤神父様からいただきました主日メッセージ「福音への一言」をご紹介します。

2021年1月3日 主の公現(マタイ、2章1~12節)

✚ Pax et Bonum

兄弟姉妹の皆様

今日は、主の御公現の祝日です。今日の福音は、東方から来た三人の博士たちがイエス様を見出し、礼拝したという『マタイ福音書』の個所が読まれます。この物語が『民数記』の「バラアムの物語」を背景にしていることは、よく知られています。先日、クリスマスのミサに参加できない洗礼志願者たちを対象に小さいオルガン・メディテイションを行いましたが、その時にこの個所を皆さんで黙想していただきました。

東方に住むこのイスラエル人ではない人たちは、ある星の出現に気づき、その星に導かれて救い主を求めてユダヤまでやってきましたが、この先どこに行けばよいかわかりません。しかし、彼らは、聖書を手掛かりにベトレヘムへ向かうようにと知らされました。こうして、星と聖書によって救い主を探し当てることができました。星と聖書は、救い主に導く導き手だったのです。これは、彼らに限らず、今の私たちにとっても同じです。

では、星に当たる導き手は何でしょう。「神様は私たちに二冊の書物を与えてくださった。一つは自然で、自然は神様について語っており、昔は、この本を読めば神様を知ることができた。しかし、アダムが罪を犯したために、それだけでは神様を知ることができなくなってしまった。そこで、神様は、第二の本、聖書を与えてくれた」と、ボナヴェントゥラが語ったと伝えられています。ここでいう「自然」は、「星」に当たります。単純に自然的存在や自然現象だけではなく、書物や人との出会い、私たちの周りで起こる様々な出来事をも指しています。極端なことを言えば、私たちを含めたあらゆるものが神様について語っています。私たちはその声を聴き、それを見るだけで神様に導かれるはずです。しかし、現実にはそれだけでは全く不完全であることを、切実に実感するところです。

そこで、私たちには、どうしても「神様の言葉」である「聖書」が必要なのです。ここでいう聖書とは、単なる書物ではありません。教会の中で語られる神様の言葉です。あらゆる人々に聞かれるために語られている生きた神様の言葉なのです。典型的な神様の言葉は、ミサその他、典礼の中で語られています。それだけではありません。信徒が伝える神様の言葉も含まれます。信徒一人ひとりは、教会共同体の中で神様の言葉を預かっているからです。それを聖霊に助けられてあらゆる機会に語っているはずだからです。

さて、私たちは、いつどこであの「星」を見たでしょうか。そして、その星が指し示す方に救い主を探して歩んできたでしょうか。いつどこであの「聖書」がベトレヘムにおられる救い主を教えてくれたでしょうか。私たちは、何度「星」を見つけたでしょうか。何度「聖書」、神様の言葉を聞き、助けられたでしょうか。この二つのしるしに導かれて何度イエス様を探し当てたでしょうか。もし、見出せた体験に気づくことができたとしたら、神様を賛美し、感謝しないではいられないでしょう。          湯澤民夫