2021年5月8日土曜日

復活節第6主日

 ウルバン神父様の復活節第6主日 福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。




【福音メッセージ from 】

復活節 第6主日 2021. 5. 9 ウルバン神父

“あなたがたは喜びに溢れるように”

私が30才の時でした。日本語学校が終わった頃、日本海の海岸にある羽幌町に新しい教会ができました。“安心しなさい。信徒はほとんどいないから、説教も要らないし、ゆっくりあたらしい生活と日本語の言葉に慣れればよい”と励まされて、そこへ送られました。それでも不安のうちにそこに着きました。

ところが3日後の朝、小さい聖堂は信者ではない若者に溢れていました。2、3人の信者の内に22か23歳ぐらいの女性、中学校の先生、がいました。遠い田舎から来たそうですが、まじめな顔でごミサに参加したが、そのあと、皆と交わらないで、間もなく消えてしまった。何週間が経った後、彼女は見当たりませんでした。あの先生はどうなっているのでしょうかと思って人に聞いたのですが、彼女はこう言ったそうです。“教会をやめた。もう行きません。あまり掟と決まりに縛られて、何もできないことになった。だから教会をやめた。それでやっと自由になった”。かわいそうな娘だなあ。むなしい生活があなたを待っている。

もう58年前も昔のことになったが、今まで彼女を忘れませんでした。自由と求めた幸せを見つけたのでしょうか? ある時洗礼を受けたが、厳しい神様だけで、自分を愛するイエス様に会えませんでした。主のほほえみを見たことがないでしょう。

古い公教要理に育てられたと思います。その十の掟を厳しい重荷と心の責めのように感じたのではないでしょうか。”父母を敬うべし、殺すなかれ、姦淫するなかれ、盗むなかれ、偽証するなかれ、など“。それは本当に厳しい神様の厳しい定めでしょうか。かえって神様はこう言うのではないでしょうか。”わが子、見よ、私の美しい宝をあなたの弱い手に入れる。家族、命、生、財産、真実か名誉を。それを受け取って喜んでほしい。大切にしなさい。多いに喜んでください。私の愛のプレセントなのです“。

実に、私たちが掟を守ることより、掟が私たちを守ってくれる。暖かい巣が小さい鳥の命を守っているように、雌鶏の翼が可愛いひよこを守って温めるように。巣は狭いものですが、命に溢れている。雌鶏の羽も責めるのではなく、かえってそこには安心感と自由がある、母のあたたかい腕の中のように。

 “掟”はいのちへの道しるべ、神様の愛の畑の花で、傷をつける茨ではない。“私の愛に留まりなさい、喜びに溢れるように”。それは主の最後の望み、最後の願いでした。わああ、夢のようなすごい話ではないでしょうか。確かに、どれほどの力を持っても、このような愛を自分の内から絞り出すことはできません。これは上からいただくものです。”間もなく、あなたがたは上からの力を得る“。

ペンテコステの日は近い。心を開き、多いに望みましょう。聖霊は愛するたまものを与える。

”私の喜びがあなたがたの内にあり、またあなたがたが喜びに溢れるように。“


【聖書朗読箇所】

いのちの源である神よ、

  わたしたちが愛に生きようとするとき、

  あなたはわたしたちとともにいてくださいます。

  週の初めの日に主キリストの復活を祝うわたしたちが、

  愛のおきてのうちにまことの喜びを見いだすことができますように。

   集会祈願より


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第1朗読 使徒言行録 10章25~26、34~35、44~48節


ペトロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、

足もとにひれ伏して拝んだ。ペトロは彼を起こして言った。

「お立ちください。わたしもただの人間です。」


そこで、ペトロは口を開きこう言った。

「神は人を分け隔(へだ)てなさらないことが、よく分かりました。

どんな国の人でも、神を畏(おそ)れて

正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」


ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、

御言葉(みことば)を聞いている一同の上に聖霊が降(くだ)った。

割礼(かつれい)を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、

聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。

異邦人が異言(いげん)を話し、また神を賛美しているのを、

聞いたからである。そこでペトロは、

「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、

水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」

と言った。そして、イエス・キリストの名によって

洗礼を受けるようにと、その人たちに命じた。

それから、コルネリウスたちは、ペトロに

なお数日滞在するようにと願った。



第2朗読 ヨハネの手紙一 4章7~10節


愛する者たち、互いに愛し合いましょう。

愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。

愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。

神は、独り子を世にお遣わしになりました。

その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。

ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、

わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。

ここに愛があります。



福音朗読 ヨハネによる福音書 15章9~17節


<そのとき、イエスは弟子たちに言われた。>

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。

わたしの愛にとどまりなさい。

わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、

あなたがたも、わたしの掟を守るなら、

わたしの愛にとどまっていることになる。


これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、

あなたがたの喜びが満たされるためである。


わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。

これがわたしの掟である。

友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。

もはや、わたしはあなたがたを僕(しもべ)とは呼ばない。

僕は主人が何をしているか知らないからである。

わたしはあなたがたを友と呼ぶ。

父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。


あなたがたがわたしを選んだのではない。

わたしがあなたがたを選んだ。

あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、

また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、

わたしがあなたがたを任命したのである。

互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」