2021年5月1日土曜日

復活節第5主日

 レイ神父様の復活節第5主日 福音メッセージを、聖書朗読箇所と併せてご紹介します。




【福音メッセージ レイ神父】

復活節第五主日(B年)

「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がそれにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」ヨハネ15章5節

「わたしを離れてはあなたがたは何もできない」。これはなんと素晴らしい心に留めるべきことなのでしょう。こういわれると、はじめは自尊心が傷つけられ否定的に受け取るかもしれません。本当にそうなのでしょうか、神がいなければ何もできないのでしょうか?これに対する答えは明らかに、「その通り」です。イエスは嘘は言われません。神がおられなければこの世で何事も行えません。実際、もし神が私たちをいっときでも忘れたら、わたしたちは終わってしまいます。私たちの存在さえも神のご意志が続くことにかかっています。善き行いをする、影響を与える、創造的に生きる、などは神の恵なしにはできません。

最初このように聞くと難しく思うかもしれませんが、いつもこのことをよく考えましょう。思いをめぐらし、この真実を受け止めると心の中に2つのことが起こってきます。まず謙虚になるでしょう。謙虚さは私たちの成長に最も大切な美徳であり「すべての徳の母」と言われています。そこから全ての徳が生じるからです。謙虚さは私たちに、神は全てであり100%必要であることを気づかせてくれるのです。この謙虚な真実は、私たちがすべてにおいて神を求めるようにし、また人生の様々な場面に深く神を招き入れるのです。

神がいなければ何もできないと気づいたとき、次に起きることとは感謝の気持ちが生まれることです。神はすべてであり、そして常に私たちの人生に恵みを与えているとわかりはじめると、わたしたちの唯一ふさわしい返事とは「ありがとうございます」でしょう。すべての善きことは神からの贈りものだと感謝しましょう。

今日は、これらの真実である謙虚さと感謝の念を黙想し思いを巡らせましょう。そうしながら、これらの美徳があなたの命の内にもっと大きく実るようにしましょう。

主よ、あなたがおられなければ私は何もできないと信じます。さらに深い確信をとおして、謙虚さと感謝の気持ちが高まるよう、イエス、あなたに依り頼みます。


Fifth Sunday of Easter (Year B)
 

“I am the vine, you are the branches. Whoever remains in me and I in him will bear much fruit, because without me you can do nothing.”  John 15:5

What a great little reminder…“Without me you can do nothing.”

At first, hearing this may hurt.  It may hurt our pride, and we may react to this idea negatively.  Is it really true?  Can we really do nothing without God?  Obviously the answer to that is “Yes.”  Jesus does not lie.  We can do nothing without God in our lives.

In fact, if God were to forget us for one moment, we would cease to exist.  Even our very existence depends upon God continuing to will that we exist.  And as for doing good, making a difference, having a productive life, etc., we can do nothing good without God’s grace. 

Though this may be hard to hear at first, we should ponder it regularly.  And if we do ponder it and embrace this truth, two things will happen in our souls.  First, we will grow in humility.  Humility is the most important virtue in which we can grow.  It’s been referred to as “the mother of all virtues.”  This is because from this virtue, all other virtues flow.  Humility means we realize that God is everything and that we need Him with a 100% need.  This humble truth will enable us to seek God in all things and to invite Him deeply into every part of our lives. 

A second thing that will happen in our souls when we realize that we can do nothing without God is that we will grow in gratitude.  As we see that God is everything AND we begin to see that He provides us with constant grace in our lives, our only appropriate response will be “Thank you!”  We will be grateful to God for everything because we will realize that everything that is good is a gift from Him. 

Reflect, today, upon these truths of humility and gratitude and allow them to sink in.  As you do, allow these virtues to grow to greater fruition in your life.

Lord, I do believe that I can do nothing without You.  Help me to believe this with an even greater conviction and, as I do, help me to grow in humility and gratitude.  Jesus, I trust in You.


【聖書朗読箇所】

いのちの源である神よ、
  あなたは信じる者を見捨てることなく、養い育ててくださいます。
  キリストのからだとして一つに集められたわたしたちが、
  愛と一致のきずなを深めることができますように。
   集会祈願より

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第1朗読 使徒言行録 9章26~31節

サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、
皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。
しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、
サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、
ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。
それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、
主の名によって恐れずに教えるようになった。

また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、
彼らはサウロを殺そうとねらっていた。
それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、
そこからタルソスへ出発させた。

こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で
平和を保ち、主を畏(おそ)れ、聖霊の慰めを受け、
基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。


第2朗読 ヨハネの手紙一 3章18~24節

子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。
これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、
神の御前(みまえ)で安心できます、心に責められることがあろうとも。
神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。

愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、
神の御前で確信を持つことができ、神に願うことは何でもかなえられます。
わたしたちが神の掟(おきて)を守り、
御心に適(かな)うことを行っているからです。
その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、
この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。

神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、
神もその人の内にとどまってくださいます。
神がわたしたちの内にとどまってくださることは、
神が与えてくださった“霊”によって分かります。


福音朗読 ヨハネによる福音書 15章1~8節

<そのとき、イエスは弟子たちに言われた。>
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、
父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、
いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。

わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。
わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。
ぶどうの枝が、木につながっていなければ、
自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、
わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており、わたしもその人に
つながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。
わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
わたしにつながっていない人がいれば、
枝のように外に投げ捨てられて枯れる。
そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。

あなたがたがわたしにつながっており、
わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、
望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、
それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」