2021年4月24日土曜日

復活節第4主日 

 復活節第4主日 湯澤神父様の「福音への一言」を聖書朗読箇所と併せてご紹介します。



【福音への一言】

2021年4月25日 復活節第4主日(ヨハネ、10章11~18節)

✚ Pax et Bonum

兄弟姉妹の皆様

  「主は、善い牧者、私は乏しいことがない」という言葉はよく聞き慣れ、よく口ずさんだ典礼聖歌集の歌詞で、『詩編』の23編の第1節からのものです。残念ながら、コロナが流行ってから、聖堂で他の聖歌と共に歌われることがなくなってしまいました。この歌詞は、神様を牧者に例えています。しかし、旧約聖書の中で神様を牧者に例えることは、あまりありません。

  もともと神様を牧者に例えることは、『創世記』や『詩編』などで用いられていますが、それほど頻繁に用いられてはいません。それは、おそらく遊牧をしていたころから生まれた神様のイメージだったのでしょう。そして、草を探して旅をしているアブラハムなどの時代は、このようにイメージしやすかったのでしょう。神様は、草を探して旅をしている自分たちと常に共にいて導き、守る方でした。

  しかし、イスラエル人は、囲いの中の素直な羊というよりも、強情で言うことをきかない人々でしたし、その指導者としての王様たちも、神様に従って正しく守って導く羊飼いのイメージに似つかわしいものではありませんでした。こうした変化の中で、相応しいイメージとして用いられなくなってしまったのかもしれません。

  しかしだからと言って、このイメージが聖書の中で用いられなくなってしまったわけはありません。「主は羊飼いのように羊の群れを飼い、その腕に小羊を集めて、懐に抱き、乳を飲ませる羊を導く」とイザヤが書いているように、むしろ理想的な羊飼いを神様は与えてくださるという希望が生まれてきます。それは、理想的な王としてメシアの思想です。彼(理想的メシア)は、散らされている羊を、口笛を吹いて集め、その一人ひとりを心にとめてくださる方です。

  こうした理想的な羊飼いのイメージは、マタイやマルコやルカなどでも描かれていますが、特にヨハネの福音書では、今日の福音のように「善き牧者」として描かれることになります。先にも書いたように旧約聖書ではあまり頻繁に出てくるイメージではありませんが、羊飼いとしての神様のイメージは、今日の福音のように、それはヨハネにおいて集約され、完成されていきます。

  ちなみに、この『ヨハネの福音書』の終わりで、キリストはペトロに羊の世話をゆだねていきます。しかし、その羊は「あなたの羊」「ペトロの羊」と呼ばれることはありません。常に「私の羊」と言われます。旧約時代、神だけが唯一の羊飼いでしたが、この世にあって常に導くのはキリストです。真の「善き羊飼い」であるキリストに結ばれてこそ真の神の羊なのです。「善き牧者」としてのキリストとの結びつきを見直すとともに、その指導に従っていきましょう。  湯澤民夫



【聖書朗読箇所】


いのちの源である神よ、

  良い羊飼いであるイエスは、限りない愛をもって

  わたしたちのためにいのちを投げ出してくださいました。

  主イエスのもとに一つに集められたわたしたちが、

  主の愛に近づくことができますように。

   集会祈願より


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第1朗読 使徒言行録 4章8~12節


そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。

「民の議員、また長老の方々、今日わたしたちが

取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、

その人が何によっていやされたかということについてであるならば、

あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。


この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、

あなたがたが十字架につけて殺し、

神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、

イエス・キリストの名によるものです。


この方こそ、

『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、

隅の親石となった石』

です。

ほかのだれによっても、救いは得られません。

わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、

人間には与えられていないのです。」



第2朗読 ヨハネの手紙一 3章1~2節


御父(おんちち)がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。

それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、

事実また、そのとおりです。

世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。


愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、

自分がどのようになるかは、まだ示されていません。

しかし、御子(みこ)が現れるとき、

御子に似た者となるということを知っています。

なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。



福音朗読 ヨハネによる福音書 10章11~18節


狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。

――狼は羊を奪い、また追い散らす。――

彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。


わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、

羊もわたしを知っている。

それは、父がわたしを知っておられ、

わたしが父を知っているのと同じである。

わたしは羊のために命を捨てる。

わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。

その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。

こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。


わたしは命を、再び受けるために、捨てる。

それゆえ、父はわたしを愛してくださる。

だれもわたしから命を奪い取ることはできない。

わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、

それを再び受けることもできる。

これは、わたしが父から受けた掟である。」