松村神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。
【福音メッセージ】
二人一組で遣わされることとは何であろうか。教会の法律によると大人1人の「証人がその証言に一致する共同証人を有するか、又は他の証拠によって確認できるか~(教会法1572・4)」と、一人の証言の信ぴょう性について不完全性を指摘している。また創世記で「人は独りでいるのは良くない。彼に合う助けるものを造ろう。(創世記2:18)」と人類の連帯性も、もともと神の意志から来ているものであることも語る。キリストの弟子、神の力が与えられている者であっても人の弱さや至らなさは共同体で守られなければならないということであろう。同時に他の助けは、宣教に赴いたところで神の働きにより随時受けることができるともされているので、重ね着である下着2枚は必要ないし、不必要な持ち物は排除され「日ごとの糧を今日お与えください(主の祈り)」という神への全幅の信頼と神への委ねに身を任せることで、恩恵を受けることができると信じている。そして逆に宣教される宣教地の人々は試されている。このように派遣されたものもその地では人々の信仰により支えられることに信頼を置くようにイエスは弟子たちに語られた。この双方は信仰による絆によって固く結ばれる。そのメインの教えは悔い改めで、その教えに耳を貸さない者は恩恵を受けられず、信仰が無いと判断されその結果によりすぐさまその場から立ち去ることも指示される。それほどイエスを頂点として、救いの計画の実行には、万物の救いという恵みの開かれた姿勢と、そこに与り本当に救われる人が限られていく姿を示された。
神の意志が天地創造の前からあり、すべてのものが生まれる前から決められた神の計画は、わたしたちに愛により、恵みを注ぎ救いに導こうとするイエスの実現によって完成されるのが神の意志。キリストが神の意志を実現しているように、私たちもキリストを唯一としてそこから派遣されたものもイエスの意志そのものであり、そこに付き従う姿勢が問われている。改めて目の前にいる人の頭が誰であるのかを認識しようとするのが今日の朗読個所なのだろう。
イエスが派遣した宣教者により福音を授けられる私たちは、最大限のもてなしをもって、その言動を受け入れる。しかしその派遣される人は、必ずしも立派な人ばかりではない。子供に読み聞かせる『靴屋のマルチン』の絵本では、それは時には子供であったり、老人であったり、病気の人や貧しい人である。「これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと。(詩編118:23)」によって、私たちの発想の外からいついかなる時に派遣されて来るかわからない。身を引き締めて対応できるには、悔い改めている心と、聞く耳を供えていなければ、「足の裏の埃を払い落と」されて置き去りにされ、救いに与れなくなる。私たちはキリストの言葉に従う決意だけではなく、その受け入れ準備を日々していかなければならない。それほどイエスの到来は私たちにとって大きな喜びだからである。
【聖書朗読箇所】
すべての人を招いておられる神よ、
あなたはいつの代も、神の国のために働く人々を求めておられます。
主日の集いをともに祝うわたしたちが、神の声に静かに耳を傾け、
その呼びかけを新たに受けとめることができますように。
集会祈願より
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第1朗読 アモス書 7章12~15節
アマツヤはアモスに言った。
「先見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこで糧を得よ。
そこで預言するがよい。
だが、ベテルでは二度と預言するな。
ここは王の聖所、王国の神殿だから。」
アモスは答えてアマツヤに言った。
「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。
わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。
主は家畜の群れを追っているところから、わたしを取り、
『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と言われた。
第2朗読 エフェソの信徒への手紙 1章3~14節
わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、
ほめたたえられますように。
神は、わたしたちをキリストにおいて、
天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、
御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、
キリストにおいてお選びになりました。
イエス・キリストによって神の子にしようと、
御心のままに前もってお定めになったのです。
神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、
わたしたちがたたえるためです。
わたしたちはこの御子において、
その血によって贖われ、罪を赦されました。
これは、神の豊かな恵みによるものです。
神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、
すべての知恵と理解とを与えて、
秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。
これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。
こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、
あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。
天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。
キリストにおいてわたしたちは、
御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、
約束されたものの相続者とされました。
それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、
神の栄光をたたえるためです。
あなたがたもまた、キリストにおいて、
真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、
そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、
こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、
神の栄光をたたえることになるのです。
福音朗読 マルコによる福音書 6章7~13節
十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。
その際、汚れた霊に対する権能を授け、
旅には杖一本のほか何も持たず、
パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、
そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。
また、こうも言われた。
「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、
その家にとどまりなさい。
しかし、あなたがたを迎え入れず、
あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、
そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」
十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。
そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。