2021年7月23日金曜日

7月25日 年間第17主日

 レイ神父様の福音メッセージを、聖書朗読箇所と併せてご紹介します。




【福音メッセージ レイ神父】

私たちは時折自分たちの能力を超えた難しい状況に陥ることがあります。問題とそれに対応する間の隔たりが大きすぎるのです。問題に取り組むためのエネルギーを使い果たすような無力さを感じ、それに立ち向かうには問題が大きすぎると思ってしまいます。この福音ではこのような明らかな無力さの例が語られています。

イエスと弟子たちは町から離れた場所で、多くの空腹な群衆を前にしていました。彼らに食事を与える必要がありましたが、そこにはそのようなものは見当たりません。どうしようもない気持ちがイエスの弟子の言葉から聞かれます。フィリポが言います。「二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう。」アンデレは大麦のパン5つと魚2匹を持った少年を見て、「こんなに大勢の人では何の役にも立たないでしょう」とむしろ絶望的に問いかけます。イエスは弟子たちと同じく、ことの難しさと食べ物が足りないことに気づいていました。しかしイエスは弟子たちと同じようには思っていませんでした。少年の持っていた5つの大麦パンと2匹の魚が大勢の群衆を満たす鍵であるとわかっておられたのです。

その少年の存在と彼のわずかな食べ物がなければ、群衆は満たされることがなかったでしょう。主が今日の群衆の様々な飢えを満たすことを続けようとされるには、私たちは、それが基本的な食物不足であれ、避難所、家庭、友情、共同体、受容、そして神への精神的な深い飢えであれ、私たちが今持っているものに物惜しみをしないことが必要であると主は教えます。

この福音では、最も小さな努力でさえ過少評価してはならない、自分が自由に使えるものについては金銭、時間、技能など、何でも物惜しみしないようにと教えます。

四人の福音記者たちは皆、その日野外で起こったこと、最後の晩餐で起こったこと、そして毎回御聖体に起こることの繋がりを理解していました。少年の簡素な5つの大麦パンと2匹の魚の提供を何千人分もの人々の食事に変えたように、主はパンと葡萄酒の簡素な捧げものを全ての人への霊的な食事、命のパンと救いの盃に聖変化されます。御聖体を通して主が働く様は私たちの生涯に渡りなされるものです。主は私たちの捧げる僅かなものを受け取られ、それをもって、聖パウロの言葉を借りるならば、私たちが求め想像するより更に豊かに成し遂げられるのです。


【聖書朗読箇所】


救いの源である神よ、

  飢え渇くすべての人に、

  あなたはいつくしみの目を注いでくださいます。

  きょう一つに集まり、救いのことばに耳を傾けるわたしたちが、

  あなたのいのちに満たされる喜びを深く味わうことができますように。

   集会祈願より


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第1朗読 列王記下 4章42~44節


一人の男がバアル・シャリシャから

初物のパン、大麦パン二十個と新しい穀物を袋に入れて

神の人のもとに持って来た。


神の人は、「人々に与えて食べさせなさい」と命じたが、

召し使いは、

「どうしてこれを百人の人々に分け与えることができましょう」と答えた。


エリシャは再び命じた。

「人々に与えて食べさせなさい。

主は言われる。

『彼らは食べきれずに残す。』」


召し使いがそれを配ったところ、

主の言葉のとおり彼らは食べきれずに残した。



第2朗読 エフェソの信徒への手紙 4章1~6節


主に結ばれて囚人となっているわたしは

あなたがたに勧めます。


神から招かれたのですから、

その招きにふさわしく歩み、

いっさい高ぶることなく、

柔和で、寛容の心を持ちなさい。


愛をもって互いに忍耐し、

和のきずなで結ばれて、

霊による一致を保つように努めなさい。


体は一つ、霊は一つです。

それは、あなたがたが、

一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。


主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、

すべてのものの父である神は唯一であって、

すべてのものの上にあり、

べてのものを通して働き、

すべてのものの内におられます。



福音朗読 ヨハネによる福音書 6章1~15節


イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。

大勢の群衆が後を追った。

イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。

イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。


ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。

イエスは目を上げ、大勢の群衆がご自分の方へ来るのを見て、フィリポに、

「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」

と言われたが、こういったのはフィリポを試みるためであって、

ご自分では何をしようとしているか知っておられたのである。


フィリポは、

「めいめいが少しずつ食べるためにも、

二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」

と答えた。


弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。

「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。

けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」


イエスは、

「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。

男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。


さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、

欲しいだけ分け与えられた。

人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、

「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。

集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、

なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。

そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、

「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。


イエスは、人々が来て、

自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、

ひとりでまた山に退かれた。