2021年7月17日土曜日

7月18日 年間第16主日

 湯澤神父様の「福音への一言」を、聖書朗読箇所と併せてご紹介します。




【福音への一言 湯澤神父】

2021年7月18日 年間第16主日(マルコ、6章30~34節)

✚ Pax et Bonum

兄弟姉妹の皆様

  今日の福音は、弟子たちの福音宣教からイエス様が人々をパンで養う出来事へ移行する橋渡の箇所になっています。宣教から帰ってきた弟子たちもイエス様も疲れていたのでしょう。群衆から離れて休もうとします。これは、単なる休みというよりは神様と過ごす霊的な時で、祈りの時と言えます。しかし、群衆はそうしたイエス様の意図を知ってか知らずか、イエス様たちを追って集まってきます。その群衆を見た時、イエス様には彼らが飼い主のいない羊の群れのように見え、憐れに思って教え始めます。

  ここでは、よく知られた「見て、憐れに思う」という言い回しが使われています。たとえば『善きサマリア人のたとえ』では、瀕死の怪我人を「見て、憐れに思い」(ルカ、10.30-)、サマリア人は彼を助けます。『マタイ福音書』では、どうにも一万タラントの借金を返せない家来を「見て憐れみ」(マタイ、18.27)、王様は借金を免じます。また『放蕩息子』のたとえ話でも、二進も三進もいかなくなり、打ちのめされて帰ってきた息子の姿を「見て、憐れに思い」(ルカ、15.20)、父親は再び息子として受け入れます。この憐みの心は、単なる同情、憐憫の情を表しているのではありません。何者かの呼びかけを感じ、心の奥底から行動へと突き動かされることを意味しています。

  見て憐れに思ったイエス様がしたことは、教えることでした。これは、続く個所からも分かるように、モーセを介して神に甘え、依存するだけの群衆が自立して神の民になるまでを描く『出エジプト記』と『民数記』が背景になっています。そして、モーセに甘えっぱなしだった群れは、『民数記』の後半から、民として自立していきます。もちろん神様も、その時以来もはや彼らを子ども扱いせず、自立した大人として責任を取らせます。エジプトを出たイスラエル民族は、こうして約束の土地へ入っていくのです。

  大切な時を中断してまで、根底から突き動かされる力によって、イエス様が教えようとしたことは、このことだったのではないかと思います。宣教のために集まり、散っていく新しい集い、新しい神の民を形作るために教え始められた。この箇所は、一見何気ない橋渡しの出来事のように見えますが、このようにして見ると、イエス様を通して実現させようとした神様の思いも感じ取ることができるのではないでしょうか。神様は、単なる依存的な群れから、使命に生きる集いへ、教会共同体へ育ってほしいというご自分の思いを、旧約聖書を背景にしながら知ってほしかったのではないでしょうか。

  私たちはこうしたイエス様の姿から、何を感じるでしょうか。神様とイエス様の熱い思いを感じ取ることができたでしょうか。イエス様の、そして神様のこの熱い思いを味わいたいと思います。                           湯澤民夫



【聖書朗読箇所】


いつくしみに満ちた神よ、

  あなたは牧者キリストを遣わし

、   すべての人を呼び集めてくださいます。

  ここに集うわたしたちが、いつも主のことばに耳を傾け、

  その教えに従う者となりますように。

   集会祈願より


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第1朗読 エレミヤ書 23章1~6節


「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを

滅ぼし散らす牧者たちは」と主は言われる。

それゆえ、イスラエルの神、

主はわたしの民を牧する牧者たちについて、

こう言われる。


「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、

追い払うばかりで、顧みることをしなかった。

わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」

と主は言われる。


「このわたしが、群れの残った羊を、

追いやったあらゆる国々から集め、

もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。

彼らを牧する牧者をわたしは立てる。

群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、

また迷い出ることもない」と主は言われる。


見よ、このような日が来る、と主は言われる。

わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。

王は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行う。

彼の代にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。

彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。



第2朗読 エフェソの信徒への手紙 2章13~18節


あなたがたは、以前は遠く離れていたが、

今や、キリスト・イエスにおいて、

キリストの血によって近い者となったのです。


実に、キリストはわたしたちの平和であります。

二つのものを一つにし、

御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、

規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。


こうしてキリストは、

双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて

平和を実現し、十字架を通して、

両者を一つの体として神と和解させ、

十字架によって敵意を滅ぼされました。


キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、

また、近くにいる人々にも、

平和の福音を告げ知らせられました。


それで、

このキリストによってわたしたち両方の者が

一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。



福音朗読 マルコによる福音書 6章30~34節


さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、

自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。


イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、

しばらく休むがよい」と言われた。

出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。


そこで、一同は舟に乗って、

自分たちだけで人里離れた所へ行った。

ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、

それと気づき、 すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、

彼らより先に着いた。


イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、

飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、

いろいろと教え始められた。