2021年10月23日土曜日

10月24日 年間第30主日

 ウルバン神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。



【福音メッセージ ウルバン神父】

第30主日 10月24日 “私を憐れんでください” ウルバン神父

ある日の事でした。バルティマイと言う盲人が道端に座って物乞いをしていた。生まれた日から暗闇の中で生きていた。いつも、昼も夜も、暗闇。目を開けても暗闇。太陽の光、空の星、道端に咲いている花、遊んでいる子供達も、自分の父母の顔さえも見たことがない。人の笑いを聞いても、共に喜ぶことができない。子供に虐められて、度々物乞いの鍋の中に石だけ投げ入れられた。友もないあの盲人の孤独を想像もできない。それだけでしょうか。暗闇は心の中まで深く入り込んだ。何の罪のために罰されているでしょうかと神に聞いても、返事はない。神様に見捨てられた者だと思われたので、人に軽蔑され、無視された。「神様、あなたはどこにいるのか、僕を捨てたのか」と叫んでも、返事はない。

ところが、ある朝“暗闇の中に座る人は大きな光を見る”と書いてあるように、彼も光を見た。

「ホラ、足音だ、大群衆だ」と分かった。聞いたら、「ナザレの預言者のお通りだ」と教えられた。イエスを知らなかったが、噂を聞いた事があります。その時、盲人の心は飛び上がって、大きな声で「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」と叫び始めたが、道を通る群衆のノイズの中で彼の声が消えてしまった。人は彼に怒った。「黙れ、あの偉い方はお前のような人を相手にするわけがない」と叱ったが、何と言われても、彼は益々大きな声で叫び続けた。「ナザレのイエスよ、ナザレのイエエエース」と。その時、声がイエスに届いた。イエスは足を止めて、「あの男を呼んできなさい」と。幸いに彼が叫び続けたのだ。もし諦め、叫ぶ事をやめたら、イエスにいつまでも会えなかったでしょう。

彼は飛び上がって、手で道を探し、躍りながらイエスに近づいた。躍りながら、バルティマイは自分の溢れる喜び、イエスを信じる心を現しました。彼は暗闇の中に、大きな光を見た。彼は今の私達に呼び掛ける。「闇に沈んだら、黙ってはいけない。叫びなさい。イエスを信じて、叫び続けなさい。彼は泣く人と共に泣き、喜ぶ人と共に喜ぶのだ。見えない人に視力、圧迫されている人に自由を与えるために来たのはないでしょうか。信じたら、あなたにも言う“あなたの信仰があなたを救った”」。

主は盲人が来るのを見た時、大群衆より彼の事をどんなに喜んだでしょう。人を助ける事は今でも主の喜びです。人の不幸と涙を喜びません。「私は仕えられるためにではなく、仕えるために来た」と言ったのではないでしょうか。今でもあなたに聞いています「何をしてほしいのか、私に言ってください」。主は頼まれるのを待っています。ただ、条件が一つある。それは全くの疑いのない信頼と信仰です。ちょっとの疑いがあっても、主の手が縛られて、もう働けなくなり、救えなくなります。私達が喜びに溢れるように。これは主の心の望み。頼む事、叫び続ける事と期待する信仰、もう頂く前に既に感謝する事には大きな力があります。

暗い夜に野原の中で迷った子羊が恐れで叫ばなかったら、羊飼いは倒れて震えた羊を見つけなかったでしょうが、見つけた小羊を大喜びで抱きながら帰っていた。泣いてよかった。あなたも心から呼んだら、この小羊のように持ち上げられて抱かれる。

「御覧なさい、私はあなたの門の前に立ってノックしている。もし門を開ければ、私は入って来て、あなたと共に食卓に座る」。



【聖書朗読箇所】


いつくしみ深い神よ、

苦しみや悲しみの中から救いを求める声に、

耳を傾けてください。

あなたにより頼むわたしたちが、

この集いをとおして

主の導きを

確かに受けとめることができますように。

   集会祈願より


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第1朗読 エレミヤ書 31章7~9節


 主はこう言われる。

 ヤコブのために喜び歌い、喜び祝え。

 諸国民の頭のために叫びをあげよ。

 声を響かせ、賛美せよ。そして言え。

 「主よ、あなたの民をお救いください

 イスラエルの残りの者を。」


 見よ、わたしは彼らを北の国から連れ戻し

 地の果てから呼び集める。

 その中には目の見えない人も、歩けない人も

 身ごもっている女も、臨月の女も共にいる。


 彼らは大いなる会衆となって帰って来る。

 彼らは泣きながら帰って来る。

 わたしは彼らを慰めながら導き

 流れに沿って行かせる。

 彼らはまっすぐな道を行き、

 つまずくことはない。


 わたしはイスラエルの父となり

 エフライムはわたしの長子となる。



第2朗読 ヘブライ人への手紙 5章1~6節


 大祭司はすべて人間の中から選ばれ、

 罪のための供え物やいけにえを献げるよう、

 人々のために

 神に仕える職に任命されています。


 大祭司は、

 自分自身も弱さを身にまとっているので、

 無知な人、

 迷っている人を思いやることができるのです。

 また、その弱さのゆえに、

 民のためだけでなく、

 自分自身のためにも、

 罪の贖いのために

 供え物を献げねばなりません。


 また、この光栄ある任務を、

 だれも自分で得るのではなく、

 アロンもそうであったように、

 神から召されて受けるのです。


 同じようにキリストも、

 大祭司となる栄誉を

 御自分で得たのではなく、

 「あなたはわたしの子、

 わたしは今日、あなたを産んだ」

 と言われた方が、

 それをお与えになったのです。


 また、神は他の個所で、

 「あなたこそ永遠に、

 メルキゼデクと同じような祭司である」

 と言われています。



福音朗読 マルコによる福音書 10章46~52節


 一行はエリコの町に着いた。

 イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、

 エリコを出て行こうとされたとき、

 ティマイの子で、

 バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。

 ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、

 「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」

 と言い始めた。

 多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、

 彼はますます、

 「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」

 と叫び続けた。


 イエスは立ち止まって、

 「あの男を呼んで来なさい」と言われた。

 人々は盲人を呼んで言った。

 「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」

 盲人は上着を脱ぎ捨て、

 躍(おど)り上がってイエスのところに来た。


 イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。

 盲人は、

 「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。


 そこで、イエスは言われた。

 「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

 盲人は、すぐ見えるようになり、

 なお道を進まれるイエスに従った。