レイ神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。
【福音メッセージ レイ神父】
第31主日 10月31日
申命記6章2-6,ヘブライ人への手紙7章23-28 マルコ12章28-34
世の中は法律で満ちていますが全てが同じように重要というわけではありません。このようなことは、イエスの時代ユダヤ人のモーゼ613の戒律についてもありました。律法学者の間では当たり前のように、どの掟が最も重要であるかというのが議論の中心でした。興味深いのは、あらゆる掟のうちでどれが第一でしょうかと尋ねられたとき、イエスは二つの掟を答えました。見たところイエスはこれらは離すことはできず、一つとして扱うものと教えているようです。
旧約聖書において、心、魂、精神、力の全てを捧げ尽くすのを要求する夫や妻の嫉妬のように妬む神について話しています。聖アウグスティヌスは簡潔にラテン語で有名な言葉、amor meus, pondus meus 「私の愛は私の重さ」と言いました。周りにいる人のことを考えてみてください。彼らにとって何が大切なのか、何が彼らを引き付けているのかを知る迄そんなに長くかかりません。何を考え、語り、何に時間、エネルギーそしてお金を使うかということです。
聖アウグスティヌスは私たちの無秩序な情熱を究明し、どうやって私たちの愛を正しく順序づけるかを示しました。完全な不滅の善へと導くために部分的で束の間の善を求め歩くのです。ここで私たちは本物の隣人愛の意味することを知ります。愛とは他の人の長所を探すことです。ですから神は私たちに悪意、不正、貪欲、嫉み、好色を遠ざけるように命じます。それらは隣人への、そして自分自身への善に反するからです。
さらに道徳的に善いことでも間違って命じられることがあります。私たちは神や神に関することにたいそう無関心である時代に生きています。家族、友人、芸術、スポーツ、趣味、創造的な仕事でいつも生活は占められています。ですがもし、それらの善き事が最も重要なことにおいて探し求めたり楽しめなかったりしたらどうでしょうか?もし、神の愛、隣人愛が一つの掟であるとするなら、神の愛なくして隣人愛を持つことができるでしょうか。私たちが服従している私たち自身よりもっと高位の真実やと善を認識せずに文明的な生活を送ることができるでしょうか?祭儀なくして文化があるでしょうか。
キリストはこの世の光として来られました。私たちは十戒と教会の道徳的な教義に従う時、神と隣人を愛します。そうすることによって、キリストの光をいつもそれを必要とする世に照らします。世がそれを無視し妨害する時にでもそうです。神を愛すること、隣人を愛することは二つの掟です。この二つは本質的に結びついており、片方を満足させないで、もう一方の掟を充分に実行することはできないのです。
Thirty-first Sunday in Ordinary Time – October 31, 2021
Readings: Dt 6:2–6 • Ps 18:2–3, 3–4, 47, 51 • Heb 7:23–28 • Mk 12:28b–34
Our world is full of laws, and they obviously can’t all be of equal importance. Such was the case for the Jews in the time of Jesus concerning the 613 precepts of the law of Moses. It was naturally a subject of debate among the rabbis as to which of these laws is the most important. Curiously, when asked to weigh in on which one law is the greatest, Jesus answers with two commands. Seemingly Jesus is teaching that these two are inseparably connected and so can be treated as one.
The Old Testament speaks of God as jealous, like the jealousy of a husband or wife who demands the spouse’s full devotion — demanding the spouse to love him or her with all one’s heart, soul, mind, and strength. St. Augustine, in concise Latin phrasing, famously said: amor meus, pondus meus, “my love is my gravity.” Think of the people you associate with. You don’t have to be around them too long to know what’s important to them — it’s what pulls them. It’s what they think about and talk about, spend their time, energy, and money on.
It was St. Augustine who diagnosed well our disordered passions and showed us how to order our loves rightly. Partial and passing goods are to be sought as they lead to the perfect and imperishable good. Here we see what authentic love of neighbor means. Love means seeking the good of the other. Hence, God commands us to put away malice, dishonesty, greed, envy, and lust because they are contrary to my neighbor’s good, and to my own.
Moreover, even morally good things can be wrongly ordered. We live in a time when God and the things of God are largely a matter of indifference. We’re occupied with family and friends, arts, sports, hobbies, and constructive work. But what if those good things are not sought and enjoyed in relation to what is ultimate? If love of God and love of neighbor are one commandment, can we have love of neighbor without love of God? Can we have civilized life without recognizing the truth and goodness higher than ourselves to which we are subject? Can we have culture without cult?
Christ came into the world as its light. We love God and neighbor when we follow the ten commandments and the moral teachings of the Church. In doing so we reflect Christ’s light in a world that is always in need of that light, even when the world disregards or obstructs it. To love God and to love our neighbor are two commandments, but they are essentially joined, since we can’t adequately fulfill one commandment without fulfilling the other.
【聖書朗読箇所】
愛の源である神よ、
ひとり子イエスは、いのちに至る道を、
ことばと行いによって示してくださいました。
真実の生き方を求めて集まるわたしたちの心に、
キリストのことばが力強く響きますように。
集会祈願より
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第1朗読 申命記 6章2~6節
あなたもあなたの子孫も生きている限り、
あなたの神、主を畏れ、
わたしが命じるすべての掟と戒めを守って
長く生きるためである。
イスラエルよ、
あなたはよく聞いて、忠実に行いなさい。
そうすれば、あなたは幸いを得、
父祖の神、主が約束されたとおり、
乳と蜜の流れる土地で大いに増える。
聞け、イスラエルよ。
我らの神、主は唯一の主である。
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、
力を尽くして、
あなたの神、主を愛しなさい。
今日わたしが命じる
これらの言葉を心に留め
第2朗読 ヘブライ人への手紙 7章23~28節
また、レビの系統の祭司たちの場合には、
死というものがあるので、
務めをいつまでも続けることができず、
多くの人たちが祭司に任命されました。
しかし、イエスは永遠に生きているので、
変わることのない祭司職を持っておられるのです。
それでまた、この方は常に生きていて、
人々のために執り成しておられるので、
御自分を通して神に近づく人たちを、
完全に救うことがおできになります。
このように聖であり、罪なく、汚れなく、
罪人から離され、
もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、
わたしたちにとって必要な方なのです。
この方は、ほかの大祭司たちのように、
まず自分の罪のため、
次に民の罪のために
毎日いけにえを献げる必要はありません。
というのは、このいけにえはただ一度、
御自身を献げることによって、
成し遂げられたからです。
律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、
律法の後になされた誓いの御言葉は、
永遠に完全な者とされておられる御子を
大祭司としたのです。
福音朗読 マルコによる福音書 12章28b~34節
「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
イエスはお答えになった。
「第一の掟は、これである。
『イスラエルよ、聞け、
わたしたちの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、
力を尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい。』
第二の掟は、これである。
『隣人を自分のように愛しなさい。』
この二つにまさる掟はほかにない。」
律法学者はイエスに言った。
「先生、おっしゃるとおりです。
『神は唯一である。ほかに神はない』
とおっしゃったのは、本当です。
そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、
力を尽くして神を愛し、
また隣人を自分のように愛する』ということは、
どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、
「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。
もはや、あえて質問する者はなかった。