2022年4月16日土曜日

4月17日 復活の主日

主のご復活おめでとうございます。

 ウルバン神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。




【福音メッセージ ウルバン神父】

復活祭 4月17日 “驚くことはない。あの方は復活なさった”  ウルバン神父

 朝早く、まだ暗いうちに、数人の婦人達は墓へ向かって歩いていました。黙って、何も言わないで歩いていた。遠くにある山の向こうに朝日が昇るように見えたが、心の中に光はなかった。手に重い荷物、布、油、薬と沢山の水を持って、朝の暗闇の中、一歩また一歩、歩いていたが、心の中にもっと耐えられない重みがあった、愛するイエスが死んだ悲しみと痛ましい別れ。自分の人生の太陽が沈んだ。もう一回主の顔を見たい、体を触れたいと思っていた。その後、水と涙で傷を洗って、体に油と香水を塗って、布に包んで葬ることでした。墓に投じた後どうすれば良いか知りませんでした。光が消えた。

 すでに開いていた墓に入って、主の姿を見ようとした時、驚くほどの事があった。光り輝く二人の人を見て、声が聞こえた。「誰を捜しているのか。驚くことはない。あの方はもうここにはいない、復活なさった。行って、弟子に伝えなさい」と。婦人達は我を忘れ、恐れのあまりで逃げた時、道の途中でイエスに出会った。イエスの足を抱いた時、悲しみの涙は喜びの涙に変えられた。「シャローム、もう恐れることはない。私は生きている」と。もし孤独の中で望まなかったら、もし捜さなかったら、もし家の中に沈んだ心で残ったら、イエスに会わなかった。今は喜びで飛び上がって、弟子の集まった家に光った顔で入り込んだ時、暗い目で見つめられて、何と言っても、何も信じてくれなかった。「誰も信じなくても、私達は知っている。まことにイエスは生きておられる」と、婦人達は勝利的な喜びに溢れた。

 弟子達はゲッセマネの庭で主から逃げて、遠くからイエスの最後の叫び声を聞いた後、何をしたのでしょうか。最後にイエスと共にいた部屋に次々と集まって、震えながら隠れていた。寝る事も、食べる事もできず、互いを慰める事もできなかった。「イスラエルを開放してくださるこの方だと、私達はすべての望みをかけていた」と思って、今絶望に沈んだだけではなく、自分もイエスを裏切った悲しみに耐えられなかった。3年間共にいて親しい友と思われて、最後に必死に友を待っていた時、一人にしておいて逃げてしまった。「ごめん、許して、僕はもう友と呼ばれない、僕はクズだ」と、罪悪感と悲しみの深い穴に落ち込んでいた。牢屋のように暗闇に囲まれて、光はもうなかった。

 今日も数知れない多くの人は -あなたもそうかも知れません- 目に見えない壁の牢屋の中に住んでいます。鉄と石で作られた壁ではありませんが、刑務所の中の囚人のように暗闇に生きています。度々自分で作った牢屋です。怒り、不安、恐れ、許せない心、絶望、功徳、あらゆる悩みに縛られています。心を繋ぐ鎖をもう自分の力で解すことができない。暗闇に囲まれている時叫んでも、誰も聞こえない。自分を悲しみの墓から救える誰かがいるだろうか。

 どんなに深い穴にいても、私達に救いがある。十字架につけられて、墓から復活したイエスです。悲しんだ弟子はイエスの人言葉「シャローム」と耳にした時、心は生きてきた。光が見えて、太陽が上った。私達もイエスに手を伸ばして、心から呼びましょう。「主よ、あなたを待っています。私は沈みます。来てください」と。主はあなたの叫び声を待っている。答えがあります。「シャローム、心配するな。わが子よ、私は共にいる。」イエスは微笑みながら、あなたの手を取って光へ救い出したら、あなたも喜んで、大きな声で呼ぶ。「主はまことに復活しました。私はイエスに出会った。」



【聖書朗読箇所】


全能の神よ、

  あなたは、きょう御ひとり子によって死を打ち砕き、

  永遠のいのちの門を開いてくださいました。

  主イエスの復活を記念し、

  この神秘にあずかるわたしたちを、

  あなたの霊によって新たにし、

  永遠のいのちに復活させてください。

   集会祈願より



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第1朗読 使徒言行録 10章34a、37~43節


そこで、ペトロは口を開きこう言った。

「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。


あなたがたはご存じでしょう。

ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、

ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。


つまり、ナザレのイエスのことです。

神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。

イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、

悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、

それは、神が御一緒だったからです。


わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、

特にエルサレムでなさったことすべての証人です。

人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、


神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。


しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、

つまり、イエスが死者の中から復活した後、

御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。


そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として

神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、

力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。


また預言者も皆、イエスについて、

この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、

と証ししています。」




第2朗読 コロサイの信徒への手紙 3章1~4節


さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、

上にあるものを求めなさい。

そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。


上にあるものに心を留め、

地上のものに心を引かれないようにしなさい。


あなたがたは死んだのであって、

あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。


あなたがたの命であるキリストが現れるとき、

あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。




福音朗読 ヨハネによる福音書 20章1節~9節


週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、

マグダラのマリアは墓に行った。

そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。


そこで、シモン・ペトロのところへ、

また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。 「主が墓から取り去られました。

どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」


そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。


二人は一緒に走ったが、

もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。


身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。

しかし、彼は中には入らなかった。

続いて、シモン・ペトロも着いた。

彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。


イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、

離れた所に丸めてあった。


それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。


イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、

二人はまだ理解していなかったのである。