2022年4月2日土曜日

4月3日 四旬節第5主日

 レイ神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。



【福音メッセージ レイ神父】


四旬節第5主日 4月3日

イエスと姦通で捕らえられた女 ヨハネによる福音書8章1節―11節

この福音書の話では、姦通を犯した女がイエスの前にひきずられてきて石打の刑をどうするかと試されるのですが、その答えは見事で、最後にイエスの優しい憐れみに出会った女だけがその場に残ります。

しかし、軽く見逃されてしまう一行がこの話にあります。それは「・・・年長者からはじまって」と述べられているところです。ここで人間社会の興味深い動きがみられます。一般的に言って若者は年齢による知恵や経験が足りません。

若い人たちは認めたくないかもしれませんが、長い人生を歩んできた人たちには特別な幅の広い人生の見方があります。ことに緊迫した状況の時、年長者は決定や判断をするのにより慎重になるものです。

この話の中で、その女はきびしいとがめを受けてイエスの前に引き出されます。高ぶる感情で、女を石で打とうと構えていた人たちの理性はあきらかに曇っていました。イエスはこの理性のない人々の間に入り「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石をなげなさい」と意味深い言葉を投げかけます。

おそらく最初、若い人や感情で高ぶっていた人たちにはイエスの言葉が入っていかず、手にした石をいつ投げ始めようかとそこで立っていたことでしょう。そして年長者たちが立ち去り始めました。これが生きてきた年月であり知恵が働くということなのです。その人たちはその場の感情にあまり左右されず、そして私たちの主から出た言葉の賢明さにすぐ気づいたのです。そして他の人々も従っていきました。

年齢とともに生じる知恵について考えてみましょう。もしあなたが年長者ならば若い世代にはっきり、しっかり、そして愛をもって助け導くあなたの責任を考えましょう。もしあなたが若者なら年長者の知恵を無視してはいけません。必ずしも年齢が知恵をもたらすと保証するわけではありませんが、思いのほか,

もっと大切なことかもしれません。年長者に心を開き、敬意を示し、彼らが人生から得た経験を学びましょう。




【聖書朗読箇所】


愛の源である神よ、

  あなたは罪人をゆるし、

  倒れた者を立ち上がらせて、

  新たに生きる力を与えてくださいます。

  はかりしれないゆるしの恵みを注がれたわたしたちが、

  心を合わせて神に感謝をささげることができますように。

   集会祈願より




第1朗読 イザヤ書 43章16~21節


主はこう言われる。

海の中に道を通し恐るべき水の中に通路を開かれた方


戦車や馬、強大な軍隊を共に引き出し彼らを倒して再び立つことを許さず

灯心のように消え去らせた方。


初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。


見よ、新しいことをわたしは行う。

今や、それは芽生えている。

あなたたちはそれを悟らないのか。

わたしは荒れ野に道を敷き砂漠に大河を流れさせる。


野の獣、山犬や駝鳥もわたしをあがめる。

荒れ野に水を、砂漠に大河を流れさせわたしの選んだ民に水を飲ませるからだ。


わたしはこの民をわたしのために造った。

彼らはわたしの栄誉を語らねばならない。




第2朗読 フィリピの信徒への手紙三3章8~14節


そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、

今では他の一切を損失とみています。

キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、

それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、


キリストの内にいる者と認められるためです。

わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、

キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。


わたしは、キリストとその復活の力とを知り、

その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、


何とかして死者の中からの復活に達したいのです。


わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。

何とかして捕らえようと努めているのです。

自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。


兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。

なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、


神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、

目標を目指してひたすら走ることです。




福音朗読 ヨハネによる福音書 8章1~11節


イエスはオリーブ山へ行かれた。


朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、 座って教え始められた。


そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、

姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、

イエスに言った。

「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。


こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。

ところで、あなたはどうお考えになりますか。」


イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。

イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。


しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。


これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、

イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。


イエスは、身を起こして言われた。

「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」


女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。

「わたしもあなたを罪に定めない。

行きなさい。

これからは、もう罪を犯してはならない。」